十月と十日とかつての十年のそのあと

君足巳足@kimiterary

はじめに。

 僕は父としてこの文章を書くと決めた。

 だからまずはじめにその意味するところについて説明する。


 僕は父として文章を書くから母の言葉は、つまり僕の妻の言葉は可能な限り書かないし、とくにその心情については、書かない。母には母の言葉があるのだから、そうするのがフェアだ、とする。しかし、僕が父になり、妻が母になるにあたり当然ながら多くの言葉をかわした。議論を重ね合い感情を認め合い異論を衝突させあい、そして最終的には納得して、笑って、折り合いをつけてきた。そのやり取りについての詳細もおそらく省くことになるのだが、その結論について書くとき、僕は「僕たちは」との主語で記す。これがいちばん大事なことだからはじめに伝えなくてはならない。



 短くするならこうだ。



 だからこれから僕が僕たちのことについて書くとき、それらはどんなことであっても僕たちが二人で決めたことなのだと納得してほしい。そうでなければ、それをに納得させるための経緯を、しかも君を納得させ得るかもわからない経緯を長々と羅列していく羽目になってしまうだろう。それはきっと、書き手の僕も読み手の君も望むところではないと思う。なにより、と僕は考えている。これもまた僕の言葉であって、推測であって、思いであって、ほんとうはそうでないのかもしれないが。もしそうなら、それはそのときに、また別の言葉を君と交わそう。僕たちがそうしてきたように。


 そして、僕は父としての言葉で書くと決めたのだけど、では何について書くのか。

 それもここで書いておく必要があるだろう。だから書く。僕は「父性とは父になる前から内在しているのか?」という問について考えるためにこの文章をしたためはじめた。そしてこの問は、僕にとっては以下の別の意味を、別の姿を持つ。それがどういうことかは、きっと最後まで読んでもらえればわかる。僕はこれもはじめに宣言する意味でいまここに書き記した。そして、そのもうひとつの問は、こうだ。



 ――


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