第29話 元凶
ミルーシャ様に身を清めていただき、お兄さんがゲインヴと呼んだ男が近隣の村で譲ってもらったシュミーズとローブを着る。ブーツは調達できなかったのでお兄さんに
その後、隣の領地に入る。
この領地は未だに魔王領のころと変わらないそうだ。どうやって入り込むのかと思ったら、ゲインヴはすでに入って戻ってきたあとらしい。そして、何か手筈を整えているのかと思ったら……。
「行商の者です」
「よし通れ」
などと、あっさり通れてしまった。
確かに、門番の前でわずかに
「お兄さん、今のは?
「
その後も、お兄さんは難なく村や町を訪れる。
不思議なことに、一人二人が気を許すと、周りの人間には特に気にもされない。
領兵がうろうろしていても、お兄さんが少し声を発したり、
ただ――。
「お兄さん、それだけ
「そうしないとエリンが困るだろう」
「はい?」
「いや、ジルコワルと軍部の高官が居ただろ? 立場的に困るだろう」
「そんな! それでお兄さんが牢に入れられるのは良いのですか!?」
「そう言う加護を得ているんだ、仕方あるまい」
その言葉に驚き、ミルーシャ様に助けを求めるように見やると彼女も無言で首を横に振る。
「納得がいきません!!」
「おい、ルハカ……」
「そんなのは納得がいきません! エリン様のためとは言え、間違ってます! やっぱりわたくしがお兄さんを……」
そこまで言いかけて、理性的に考えるとありえないという思いと共に気分が落ち着いてしまう。そして胸元を見る。服の上からでは見えないが――。
「――やっぱりこれ外したいです」
「おいおい……」
「ルハカはオーゼにもっと自分に対して素直になってもらいたいのですよ」
――そう、ミルーシャ様が言ってくださる。
「そうか……」
「お兄さんは加護について気負い過ぎです。そもそも、加護について負い目を感じるくらいなら、エリン様や我々に対して申し訳ないと思ってください」
「わかった」
「本当に分かっておられますか?」
私はお兄さんの前に回り、両手をお兄さんの頬にあてる。
無精ひげがチクチクした。
「う、うむ。本当に分かった」
「本当にわかっておられないようでしたら次はちゅーしますからね!」
「ああ……」
お兄さんは照れもせず申し訳なさそうにするけれど、このくらい言ってやらないとお兄さんのダメなところは直らないような気がした。ミルーシャ様はクスクスと笑っていた。
◇◇◇◇◇
我々四人はそのまま領都まで向かい、領主の館まで容易に侵入できてしまった。
館に入るとお兄さんは
領主に相対すると、お兄さんはすぐに
――お兄さんの魔法は相手が誰であろうと外したのを見たことがない。
「領主殿、私は地母神様のため、あなた方を救いに来ました」
「な……に……?」
うつろな領主。お兄さんによって別の魔法が掛けられている。
「貴方は
「ああ……そうだ……」
お兄さんは
虚栄? 自惚れナホバレクの勢力? 実在するの?
「望むなら私があなたのその衝動を抑え込んでみせます。かつての豊穣の地を望むのであれば協力は厭いません」
「頼む……助けてくれ……」
「ルハカ、領主以外全員眠らせてくれ。――ゲインヴ、使用人は
私は指示に従って眠りの魔法で部屋に居る者を眠らせていく。
お兄さんは洗脳の力でキラキラした透明の葉っぱのようなものを作り出し、領主の胸元に埋めていく。お兄さんが一言二言呟くと、埋まった場所から血が滲み出て、小さな赤い結晶を作り出した。私と同じものができる。
「では魔法を解除して元に戻しますよ」
お兄さんがそう言うと、領主は二三度めをぱちくりさせ、嗚咽するように息を飲む。
「……あああ、ありがとう。悪い夢を見ていたようだ。漸く目が覚めた」
「地母神様のお導きです。ミルーシャ、癒してやってくれ」
ミルーシャ様が進み出ると女神の祝詞と共に領主に触れる。
「あなたの行いを赦します。地母神ルメルカの加護を」
領主は涙を流し、ほうと息を吐く。
◇◇◇◇◇
領主が落ち着いた後、お兄さんが現状を伝えた。
現在、レハン公を中心に国の立て直しを図っていること、そして南西部の領主たちは未だ争い続けていて障害になっていることを伝えた。
「領主殿、ひとつ大事なことを伺いたい。あの衝動に支配されるようになったのはいつごろでした? 具体的には地母神様が堕ちる前か後か」
「前でした。いつからかそのようになってしまって……」
「何か原因に心当たりがありませんか? 何でもいい、それまでと変わった事がなかったか……」
「もう四年以上も経ちますか。何か思い出せればよいが……」
その後、お兄さんは一人ずつ眠った者を起こして必要なら衝動を抑えるため感情を封じていった――のだが。
「多すぎる。何故こんなに多い!? 東の領地では領主の影響が断ち切られればほとんどが元に戻っていたはずだ」
「確かに。あちらではせいぜい身内が一人二人、近い側近が僅かにという程度でしたね」
どうやら、お二人によるとあの衝動の影響を受けている人間が極端に多いらしい。
彼らはお兄さんに激しい感情を抑え込んでもらい、感謝はしていたがその原因がわからなかった。
「風土的要因でしょうか?」――お兄さんに聞いてみる。
「ならば領主殿に協力していただき、領民を調べてみる必要があるな」
ただ、その調査も順調にはいかなかった。何しろ領兵をまとめる高官や文官まで、広く衝動の影響が出ていたのだ。それも戦士長、高級文官といった高い役職に多かった。そして領民たち。領兵もそうだったが、彼らには全くと言っていいほど影響が無かった。
◇◇◇◇◇
結局、証拠となるようなもの、原因となるようなものは見つけられずにいたが、翌々日の昼食の際、館のある人物が気を利かせたことで進展を迎えることとなった。
「ほう、こんなものがまだ残っていたのか」
「ええ、大きな祝い事があったときのために冷所に保管していたものがございまして」
そう言ってきたのは料理長。おかしなことに屋敷の料理長を始め、料理人たちは全員があの衝動の影響下にあった。そして彼らの会話。そこには、白い小麦のスープに浮かぶ、キラキラとした黄金の粒のようなものが――。
「お待ちください! 皆さん手を止めて、スープを飲んではいけません!」
「何!?」
「どういうことだルハカ」
「これ、タニラですよね? スープに入っているのは」
「タニラ? それは何だ?」――お兄さんでも知らないらしい。
「はい、タニラですが……何か問題でも?」
「これ、いつから使うようになりました? 料理に」
「タニラは四年……いや五年前ほど前でしょうか。南方の行商が齎した、スープの味を魔法のようにおいしくする香辛料でしたな。革新的でしたのでこの辺り一帯の金持ちはこぞって買い求めました」
「やはり……」
私はお兄さんの顔を見て頷き、片手を小さく挙げる。
「――わたくし、提言いたします。求めている元凶がこのタニラではないかと」
「理由は?」――お兄さんが真剣な顔をする。
「ひとつ、この香辛料の入ってきた時期が領主殿の変貌に重なります」
お兄さんは頷く。
「――ひとつ、比較的裕福な人物、もしくは領主殿と食事を同席する機会の多い人物が衝動の影響を受けています。さらに料理人の全員が影響を受けていました。これは味見や賄いで領主殿と同じものを口にする機会も多いからでしょう」
「なるほど」
「ひとつ、わたくしはこのタニラを一度だけ口にしたことがあります」
「何っ? 王国へ入って来ているのか!?」
「ええ、小さな麻の袋に入った大量のタニラを見ました。そして持ち込んだのがあのジルコワルです」
「何だと!?」
「ジルコワルは言っていました。南方の珍しい香辛料が手に入ったと。そして貴族たちに高額で取引を持ち掛けていました。つまり、こちらの国で何らかの入手手段を見つけたのではないでしょうか」
「それでは我々の国が狙われているというのか!? しかもジルコワルに」
「ジルコワルはおそらくこれの効果までは知らないか、或いは知った上で利用しようとしているか……ではないですか?」
「可能性はあるな」
「そして種ということでおそらく魔法や呪いでは無いのでしょう。ですからそれらの
「なるほど。となると、まずはこれをどうにかして判別する方法を調べないとな。そして可能なら排除する方法も。ありがとう、お手柄だルハカ」
そう言ってお兄さんは私に礼を言った。
食事の席で舞い上がりそうになったのを抑えて言う。言ってしまう。
「ご褒美、期待していますね?」
途端にお兄さんは顔を強張らせた。ひどくない?
--
魔法的なハーブと言うとタニスが有名ですね!
なのでそれにあやかって、タラゴンの香りとバニラのような小さな種からタニラとなりました。
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