第30話 潰走

「よいか! 此度の遠征は威圧が目的だ。数で他領を脅かし、可能なら掠め取る!」


 私は三百の領民兵の前で演説エンスラルという魔法を試してみていた。なるほど、皆、こちらに注目し、魅了されたように聞き入っている。断りを入れておいた領主代理も――ようやくその気になっていただけましたか――などと言っていたが、先程からの私の演説に、今も遠くで満足そうにしていた。


 壇上から見渡す領民兵の中には成人しているのかさえ怪しいような少年、或いは腰が曲がりかけているのではないかと思うような老体まで見え隠れした。そうでなくとも疲れた顔の者が多い。ガナトの支配する領地は最初の激戦地。ただでさえ死者が多かった。


 聞き入っている領民兵を見、そろそろかと考えた私は彼らを鼓舞するための言葉を放つ。


「――我らには王国からの兵糧が十分にあるが、他領は食つなぐも難しい。つまり、兵士の数を揃えられないという事だ! これはもとより勝ち戦だ!」


 おお!――と、私が差し上げた剣に合わせて声を上げる領民兵たち。

 同時にこれは合図だった。アシスに演説エンスラルを切ってもらい増幅アンプリファイだけ残す。


「――勝ち戦で死者は許さぬ! 戦ならば命を賭して戦うものだが、これは威圧だ! 諸君らには腕一本、脚一本失おうとも、必ず生きて故郷へと帰ってもらいたい!」


 働く者たちにとって――腕の一本を失う――ということは、それだけでもう家族を支えていくことさえ難しくなる大事であろう。そんな言葉を私が軽々しく言い放つと、演説への魅了から解放されたこともあり、領民兵に焦りの色が見え始める。領主代理もおそらくは眉をひそめていることだろう。


「――そのためにも! 勇者としてこの私が最前線を引き受け、もしもの場合には諸君らを逃すため殿しんがりを務めようぞ!」


 安心したのか、再び領民兵たちは声を上げた。



 演説を終えると、すぐに領主代理が駆け寄ってきた。


「勇者様、何を言い始めるかと思って焦りましたぞ……。だが、陣頭指揮を頂けるならこれ以上はありません」


「ええ、お任せください。敵兵を薙ぎ払ってみせますよ」


 尤も、勇者の加護を失った私にはそんな人並外れた力はなかったが。



  ◇◇◇◇◇



 国境の砦を抜けると、隣領側にも砦があった。砦側は既に門が閉じられ狼煙も上がっている。

 我々は金緑オーシェを先頭に、領民兵――戦士団――領民兵――と、いくらか幅の限られた山中の回廊を進軍していた。


「アシス、あちらから門を開けて攻めてくるというのは不自然か?」

「戦術的には不自然ですが、領民兵です。判断できないでしょう」


「よし、ならばやろう。頼むぞ」

演説エンスラルでそちらに気を引きつけますので領民兵を鼓舞してください。詠唱キャストから気を逸らします」


「わかった」


 停止の号令と掛けると軍はその場で止まった。アシスたちは魔法を準備し、私は領民兵に向かって声を上げる。演説エンスラル増幅アンプリファイで私の声に惹きつけられた軍団はアシスたち金緑オーシェの魔術師たちの詠唱キャストを気にもしない。



 演説エンスラルが切られたことは、徐々に領民兵たちの目の色が変わっていくことでわかった。彼らが砦の方を指さし目を見開く。動揺を隠し切れず、ざわめきが起こる。振り向くと、そこには回廊を埋め尽くす、完全武装した戦士たちが居た。


 幻影と知っている私でさえ怯むような軍勢は、今や怒号と共に押し寄せようとしていた。


 『逃げよ』――小さく囁かれたアシスの言霊ワードは、最初の一人を逃走へと導いた。


 小さく悲鳴を上げたその男が隊列を乱すと、それを目にした者へと意識が伝播していく。ぱらぱらと逃げ出す領民兵。さらに周辺の隊が耐えきれずに後退りし、やがて駆け始める。どよめきはさらに後方の隊へと……。押しのけて逃げようとする兵に誘発され、誰もが我先にと逃げ始めると、領民兵をまとめる領兵が号令を発しようと止まらなくなった! 恐怖は領民兵たちを飲み込み、たちまちのうちに総崩れとなっていった。


 領主の戦士団たちもその様子を見て前線を維持しようとは思わなかったようだ。潰走とまでいかなくとも後退していく。


 私と金緑オーシェは約束通り前線を守り、戦士の波に飲まれていった。



  ◇◇◇◇◇



 潰走の後、幻影の魔法が切れる前に我々は回廊を下がっていった。


「オーゼが言っていた通りだな、混乱の中で踏みつけられて負傷する者の方が多い」

「そうですね。それだけは気を付けろといつも言われてました」


 潰走した領民兵の中には回廊でうずくまっている者もちらほら居た。

 私は彼らを治癒して回る。軽傷の者は金緑オーシェの戦士に任せた。


「力を振り絞って家族の元へ帰れ。こんなことで命を落とす必要は無い」


 私は彼らにそう声を掛け、立ち上がらせた。

 峠の砦は放棄されたのか、落とし格子もそのままで人の気配がなかった。

 領境の町に着いたときにはもう日暮れだった。

 そして死者は見かけなかったことが幸いだった。


 町には逃げた領民兵たちが紛れ込んでいた。町の近くの街道には、ちらほらと彼らの武器や盾、胸当てなどが投げ捨てられていたのだ。彼らにとっては財産かもしれないが、命には代えられないだろう。そうやって紛れ込んだ領民兵たちの多くは隊にも復帰しないだろう。領主代理や戦士団には彼らの判別もつくまい。


「団長、お待たせいたしました。なにしろ人が多くて」


 アシスがマグに入った温かいスープを買ってきた。

 町の広場には大勢の人が座り込んで火を囲んでいた。おそらくは逃げ出した兵士たちだろう。

 我々もクロークを纏いフードを目深に被り、身分を隠して固まって火を焚いていた。


「いや、すまないな。助かる」

「領主代理は逃げたようです。戦士団を伴って」

「領都まで逃げたのか? 峠はともかく、せめて町で陣を張ればよいものを」


 ウェブデンはそう言うが、そのおかげで領民兵は安全に町に紛れ込めた。


「その余裕も無かったようですね。町を抜けてそのまま撤退したとか」

「町が落ちてもお構いなしか。ただ、兵糧を置いて行ってくれたのは助かった」


 町の北側の野営地に兵糧の荷馬車をそのまま置いて行ったらしい。

 町へとなだれ込んだ領民兵に暴動を起こさせないために一部を提供したようだ。


「団長はこのあとどうされます?」

「私は領都まで戻るつもりだ」

「危険では?」


「生きている限り戻る必要があろう。姿をくらませられるわけでは無いのだ」

「私はそれもいいと思いますね。そこまで義理は無いと思います」

「存外、アシスの言う通りかもしれませんな」


「だとしても、一度戻る必要はある。貴様ら本隊に戻って構わんぞ」

「ご冗談でしょう。オーゼ殿が仰っていた意味が今、分かりました」


「どういうことだアシス?」

「エリン様は裏付けされた自信もないのに危険に足を踏み入れていく無鉄砲だ――と」


「なっ……オーゼがそんなことを言っていたのか!」

「はい、小さい頃からそれは変わっていないとも。だから自分が助けないと――と仰っておられました」

「オーゼ殿からしてみれば、勇者様の行動の意味がそこまで違っておられたのですね。我々には恐ろしい化け物相手に、怯むことのない勇敢さを示しておられたのに」


 オーゼは私をそんな風に見ていたのか。

 ただ、思い当たる節はいくつもあった。勇者を目指したときからずっと。


「そ、その通りだ。オーゼは常に私のことを考え、守ってくれていた。この無鉄砲が勇者たりえたのも彼のお陰だ」


 恥ずかしげもなく、仮にも国の勇者ともあろうものが金緑オーシェの前で弱みを見せた。どうせ堕ちた身だ、せいぜい馬鹿にしてくれと思ったが、十数名の団員は皆、こちらを見て微笑んでいた。


「で、あれば、団長をひとりで行かせる理由はありませんな」

「団長をこのまま放っておいてはオーゼ殿に顔向けができません」

「オーゼ殿の代わりとしては役不足かもしれませんがお供いたします」


 私は一人では何もできない。それは加護があろうとなかろうと同じことだったようだ。



  ◇◇◇◇◇



 領都の砦に戻ると内部は大荒れしていた。

 統率できない領民兵は食事を寄越せと騒ぎを起こしているし、戦士団はそれらを抑えることで手いっぱいだった。領主代理を尋ねてみると、貴族たちと言い争いをしていた。


「領主代理、外の騒ぎは何事か」

「勇者様! あれはこの愚か者が兵糧を領境に残したまま逃げたのです!」

「領主代理、あれは貴方の命令だっただろう。町を捨てて逃げよと」


「馬鹿な! 町は捨てよと言ったが兵糧を捨てよとは言っておらん」

「荷馬車が強行軍についてこられるわけがないだろう!」

「そもそもなんだあのざまは、戦士団としての矜持は無いのか」


 領主代理と戦士長の言い争いに、さらに貴族が口を挟む。


「冗談ではない、あれだけの軍勢を我々だけで相手できるわけがなかろう」

「剣を交えても居ないのに逃げたではないか」


「当たり前だ! 領民兵が混乱している中でまともに戦えるわけがない。それにあれは後退だ。逃げたわけではない」

「勇者様を見習え!……いや、そういえば勇者様、よくご無事で」


 貴族が聞いてくる。私はウェブデンと顔を見合わせ、いくらかの逡巡と共に口を開く。


「命からがらな。幸い、大した負傷はなかった」


 見よ、勇者様を――とばかりに戦士長を煽り始める貴族。


 そこに慌てた領兵の一人が部屋に入ってくる。

 混沌とした状況で誰もその領兵には気に留めなかった。

 そのためか、領兵は声を張り上げる。


「牢に!……領主の姿がありません!」


 ハッとしてウェブデンの顔を見るが、彼は首を横に振る。


「どういうことだ!? 見張りは居なかったのか!」

「それがなにぶん、砦の人員が手隙でして……」


 当然だろう。敵地の砦を奪いはしたものの、この軍団は戦争をするつもりで来ているわけでは無い。領民兵を揃えるのが手いっぱいでその後を統治したり治安を維持するだけの人員は連れてきていない。領主代理は攻めてきた軍団をほぼそのまま進軍させている。


 勇者一行の遠征の時はそれでもよかった。何故なら、最初の領地以外はほとんどが寝返らせて味方につけたものだ。味方になってくれた領地の統治がそのまま続くだけ。彼らはそれを模したのか、似たようでいてずさんな進軍だったわけだ。



 そして翌日、想定外の報告はこれだけではなかったのだ。


「兵糧が……何者かに奪われました」

「なんだと!?」


 兵糧の守りと領民兵の再編成のため、領境の町に残してきた僅かな領兵が報告してきたのだ。金緑オーシェには指示を出していないし、何か起こせるだけの数も居ない。となると……そういえば、この騒ぎですっかり忘れていたが、しばらく無警戒だった一団が居たなと思い出した。







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 現状、標準的な小領地の人口規模は成人人口で4,000-9,000人程度を想定しています。領兵は多くて40-90人。動員は200-450人。ガナトの治める辺境領は12000人の中領地として標準の動員は600人ですが、先の勇者一行の遠征での激戦地で死者も負傷者も多いので、300人の領民兵の動員はかなり無理をさせてる感じです。


 領主ガナトの戦士団は私設で王都から。領兵も王都から雇いで来ているかもしれませんね。

 ちなみに魔王軍のころの兵糧は魔王様が産み落としていました。黒い聖餐ですねw


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