三章 呪い

三章 プロローグ

「ありがとう、助かった……」


 あれから何日経っただろう。オレは長い間気を失っていたように思う。フクロウソワルには、もしもの時はオレのことは見捨てて、地母神の国の連中との約束を果たしてやってくれと頼んであった。――にも拘わらず、かつての部下であったゲインヴはオレを助けやがった。


 ミルーシャは瀕死のオレとゲインヴを連れて帰還リコールを使ったらしい。オレたちはかつて、あの堕ちた地母神と戦った神殿の神の座に居た。ここに飛んだ当時、神殿には新たなる地母神の降臨を待つ神官や侍女たちが居た。まさかの聖女サマの復活にたいそう驚いたそうだ。そして瀕死のオレ達を治癒の祈りにて癒してくれた。


「あなた自身の為したことが、巡り巡って返ってきただけなのですよ」


 そう、かつての地母神の聖女、ミルーシャは聖女としての加護を取り戻していた。哀れな彼女はエリンが魔王を葬った後、城や貴族の館を略奪して周ったジルコワルによって穢され、心に深い傷を負った。オレはそんな彼女が消したいと思う記憶を消してやった。


 ――いっそオレのことも忘れてしまえばよかったのに、彼女は憶えていたままだった。


「――私には記憶はありませんが、オーゼが救ってくれたことは憶えております」


 ニコと笑うミルーシャ。

 オレは生命の維持に魔力を使い果たしたこともあり、酷く消耗していた。今はベッドの上だ。ゲインヴはさっさと元気になって外に出ているらしいが……。


「――ルシアには説明しておくべきでした。あなたの加護のこと」


「ああ、だが君がオレのために誰にも話さないでいてくれたことは感謝しているんだ。それに……オレがこんな加護を持っているなんて知られるのが恐かった。エリンたちに呼び止められた時点で諦めていたよ」


「あなたがそれだけのものを背負っていることは知っていました。だからあなたのことは忘れたくなかった。傍に居て支えてあげようと、ずっと考えていたのです」


「すまんな。助かる……」


「そこは愛しているとか、女の悦ぶことを言うべきですね」


「そうか、すまんな」


「ふふっ、あなたがそう言えないくらい頑固で一途なのも存じております。――さて、少し体調がよくなったのでしたら、近隣の領主に会っていただけますか?」



  ◇◇◇◇◇



 その後、ミルーシャはその領主とやらを連れてきた。

 近隣の大領地を統べるレハン公だ。


「オーゼ殿、少しは良くなったか」

「これはレハン公、こんな見苦しい恰好で申し訳ない」


「何を言うか。未だに立ち上がれないのも我々にこれを授けてくださったのが原因であろう?」


 彼は胸元に左手を当てる。


「レハン公はもともとが善人だったのですよ。ですからあのような激しい感情にも抵抗することができた」

「いや、我々もあのままでは地母神様と共に堕ちるだけだった」


 オレは当時、侵攻先の領主たちの情報を集めていた。なるべく無傷でエリンたちを魔王の元まで連れて行きたかったのもあるし、領民や領主たちの変貌ぶりの理由も知りたかった。そして、評判の良かった領主たちが魔王の降臨に呼応するかのように、強権的に変貌したという情報を掴んだのだ。


 秘密裏に彼らと接触すると、多くの領主や親族、側近らは自分たちの変化に思い悩んでいた。オレは加護の力を使えば或いはと考えた。人前に晒すことへの恐れもあったが、彼らのため、何よりエリンのためにその力を使う決心をした。オレは彼らに協力してやり、その激しい感情を封じたのだ。


「ミルーシャから聞かれたかもしれませんが、娘さんを襲ったのはジルコワルだと思われます。審問の場でそのような発言がありました」

「やはりあの男か……」


 ミルーシャはオレに会うための旅の途中、レハン公の娘が王都で何者かに襲われたと聞いていた。おそらくはジルコワルだとは思っていたが、確証は無かった。だが、奴は自らそう喋っていた。どこかの領主の娘の胸元を見たと。


「いずれはここにもやってきます。私を捕らえに」

「我々は奴らにオーゼ殿を引き渡すほど恩知らずではないぞ」


「しかし国内もまだ落ち着いてはいないでしょう」

「そうだ。堕ちた地母神ルメルカの力は潰えたはずなのに、未だに激しい感情に支配されたままの領主たちが居る」


 オレは領主たちの堕落が地母神を魔王に変えたと推測している。その影響でレハン公のような善良な領主まで影響を受けたと。ただ、それにしても不自然な点が多かった。少なくともレハン公の話によると、そのような堕落した領主がそれほどまでに大勢居たとは考えられないというのだ。加えて、魔王降臨以前に変貌した領主も少なくないと。そこが確証に至らない点だった。


「やはり、地母神様からの力だけで領主たちが変貌しているわけでは無いようですね」

「現状を調べさせた資料を作ってある。あとで持ってこさせよう。主に南西部の領地に偏っている」


「なるほど。現地で調べてみる必要もありますね。可能なら味方に……」

「あまり無理はするな。魔力もそれほど多くないのだろう」


「ええ、まだ死ぬわけにはいかなくなりましたので」

「必要なら兵を貸そう。オーゼ殿は必要だ。必ず生きて戻れ」



  ◇◇◇◇◇



 相談の結果、オレはミルーシャとゲインヴを伴ってこの国の南西部の領主たちを尋ねることにした。


 ミルーシャに残れと言っても聞かないのは普段通りだったが、――そもそも地母神を堕とした原因に領主たちの問題があるというのなら、神殿のためにもそちらを解決する必要がある――と強弁されたのもあった。それから聖女は巫女と違ってあちこち放浪するものだとも。まあ彼女の言う通り、領主たちに問題が残っているままで地母神が再び降臨すると危険な可能性がある。


 そしてゲインヴは潜入に向いた傭兵だった。脱獄も得意だし、どんな敵地からでも平気で帰ってくる。彼に先行させて領地の調査を頼むことができる。


 加えて、我々を後方の町で支援してくれるレハン公の寄越してくれた一行が付いてくれた。



  ◇◇◇◇◇



 ジルコワルが言うようにオレには洗脳ブレインウォッシュの力がある。自身の魔力を他人に埋め込み、その記憶や感情を封じてしまえるのだ。幼い頃、父とその鑑定を行った親類の魔術師に制約ギアスによって他言を禁じられ、その後は幻覚魔術師デリュージョニストとして振舞うことを命じられた。その後、成長したオレはその力の恐ろしさというものを理解し、ただただ震えた。



 領主たちの心に忍び込んでくる高慢さや怒りといった感情を封じたとき、彼らに魔王から齎される影響が断ち切られた。領民たちへの影響も失われた。しかし領主の身内や側近の中には領主のように高慢さや怒りを溢れさせる者も稀に居た。彼らの感情も同様に封じた。


 魔王が滅びて、領主の中には激しい感情から解放された者も居た。彼らの領民も同様に。しかし南西部の領主たちの多くは解放されてないという。



 そしてミルーシャ。ミルーシャの望む記憶を封じてやると、なんと彼女には聖女の加護が戻ってきた。本来、地母神の聖女には姦通の罪はないらしい。しかし、彼女の深い心の傷は自ら加護を遠ざけてしまっていたのだ。


 そして思い出したのがエリンのこと。全てを諦めていたオレがひとつだけ心残りだったのが、そのエリンの加護のこと。あのとき、まさかエリンの加護が失われるとは思っていなかったのだ。


 オレはエリンのために彼女の記憶と溢れんばかりの欲情を封じた。混乱した彼女は理解していなかったが、オレは喩えエリンとの未来を失ってでも彼女を助けてやりたかったのだ。


 エリンに残された希望の鍵は、きっと彼女自身にあるはず。







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 オーゼの加護についてが語られました。

 オーゼが知るジルコワルの情報についてはもう少し先で語られます。

 そしてそれぞれのヒロインがまた新たな想いをのせて動き始めます。



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