第53話 私達の浄化

「──っ! 申し訳ありませんミシェル様。こんなはずでは……。せめてミシェル様だけでも、逃げてください」

「だから、マルを放っておいて逃げるわけには……だいたい、その悪魔が逃がしてくれるの?」


 うっ、そうでした。私は強欲の悪魔を出し抜こうとしたのですから、怒って当然。

 ですが……。


「構わんサ。我を出し抜こうとしたお前の行い、なかなかに面白かっタ。それに、魂を差し出したことに変わりはなイ。ならば我も、約束は守ろうじゃないカ」


 返ってきたのは意外な答え。

 もしかしたら悪魔って、人間よりも約束に関しては律儀なのかもしれません。

 もっともだからといって、感謝する気にはなりませんけど。


 白き魔女は、私達に選択肢を与えるだけと仰っていましたけど、それはどれを選ぶか分かりきった、意地悪な選択肢ばかり。

 きっと人の弱みに付け込んだり、甘い誘惑で逃れられないようにするのが、彼らのやり口なのです。


 ですが、それでも約束を守ってくれると言うのなら、やっぱりミシェル様を……。


「マル、何を考えてるのかはだいたいわかるけど、俺だけ助かろうなんて思わないよ。そもそもマルはいいの? このままここに取り残されたら、大聖女の力を強欲の悪魔に奪われて、悪用されちゃうんだよ。そんなの平気なわけないよね」

「──っ! 当たり前じゃないですか」


 ミシェル様を助けたい一心で、結んだ契約。

 けど当然、他の人を犠牲になんてしたくありません。


 白き魔女の誘いに乗った時止めようとしてくれて、私のことを友達だと仰ってくれたダイアン様。

 厳しい意見を何度も言われましたけど、容姿で蔑まれてきた私に偏見を持つわけでもなく、一人の聖女として向き合ってくださったハンス様。

 ミシェル様のお世話にすぎない私にも常に紳士的な態度をとってくださった、頼れるお兄さんみたいな存在なアレックス様。

 いつも私の事を気にかけて、もっと食べろと美味しい料理をふるまってくれていた食堂のライラさん。

 長らく会えていないけど、「お姉ちゃんお姉ちゃん」と言って私を慕ってくれていた可愛い妹のアティ。


 強欲の悪魔に力を奪われたら、そんな人達も苦しい思いをしてしまう。

 それに本当は、ミシェル様とだって離れたくない。

 だから、だから私は……。


「さあ、話はすんだカ? 邪魔者にはそろそろ、お引き取り願おウ」

「待て、俺はまだ──」


 悪魔の言葉に、ミシェル様が反発する。

 このまま返してしまっては、ミシェル様とも二度と会えなくなってしまう。


 何度も私を元気付けてくれた声は聞けなくなり、胸を焦がすような愛しい笑顔も、未来永劫見れなくなる。

 当然、そうなる覚悟を決めてここまで来たつもりでした。

 だけど……だけど今は……。


「偽聖女ミシェル。お前がいくら言ったところで、既に契約は結ばれていル。お前の魂は元の体へと戻リ、大聖女マルティアはここで我と共ニ……」

「……嫌です」

「ン?」


 私が呟いた言葉に、強欲の悪魔が反応する。

 ミシェル様も「マル?」とこっちを見るけど、私は構わず言い続ける。


「このまま、ミシェル様と会えなくなるなんて嫌。ここに囚われて、アナタの思い通りになるのも嫌! 大聖女の力を悪用されて、たくさんの人を苦しませるのも、全部嫌です!」


 まるで子供が駄々をこねるように、一気にまくし立てる。

 今更ですけど、大切なものを失う事への恐怖と執着が、私の中で渦巻いていく。

 何も失いたくない。そんな欲望が、私を突き動かす。


「が変わりました。アナタの思い通りになんてさせません。契約なんて知った事じゃないです。私の大切なものは、何一つ奪わせません!」

「ククク……何を言うかと思えバ。我を騙そうとした事といい、本当にワガママな娘だナ。だがもう遅イ。お前はここから永遠に出られず、未来永劫我と共にあるのダ」

「──っ! でしたら!」


 勢いよくしゃがむと地面に手をついて、さっきと同じ浄化の光を再び放つ。

 だけどそんな私を、強欲の悪魔は嘲笑う。


「性懲りもなく我ヲ浄化させるつもりカ? 無駄だと言っただろウ。お前自身の欲望ガ、我に力を与える限りナ」

「そんなの、やってみないと分かりません!」


 強欲の悪魔の言うことを無視して、光を放ち続ける。

 私の欲望が、力を与える? そうだとしても関係ありません。やれることは、全部やってやりますよ!


 だって私の本当の願いは、犠牲を払ってでもミシェル様を助けることじゃない。何一つ犠牲にすることなく、取り戻す事なのですから!


 放たれる大きな力の反動で、体が軋む。

 だけどそれでも、浄化を止めません。


「止めるんだマル。これ以上続けたら、君の負担が……」

「嫌です! 今だけは、ワガママを通させてください」

「フハハ、大した欲望ダ。だがお前が我を張れば張るほド、我は力を増すゾ」


 力の反動の大きさを知っているであろうミシェル様は私を案じてくれて、強欲の悪魔はおかしそうに笑う。

 だけど止めない。私の願いを、叶えるために。


 奪わせない……。奪わせたりなんかしません。

 私の人生の多くはおおよそ良いものとは言えませんでしたけど、認めてくれる人も確かにいました。

 その人達を苦しめたり、辛い思いをさせるなんて絶対に嫌。何より私自身が、そこにあった幸せを手放したくないんですもの。

 だから絶対に諦めない。奪わせない。


 ミシェル様もダイアン様もハンス様もアレックス様もライラさんもアティもミシェル様の家族もシマカゴで戦っていた騎士団の人達も意地悪をして来た同僚の聖女達や白い髪を気味悪がって治療を拒否した人達やカフェの店員さんや町ですれちがった人達だって、誰一人犠牲になんてさせてやるものですか!


「アナタには、何一つ奪わせません!」


 声を上げて、さらに強く光を放つ。


 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に……。


「……ム?」


 奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない奪わせない……。


「なんだこれハ」


 強欲の悪魔、私の大切な人達に何かあったら、何かを奪ったら、私はアナタを呪う。怨む。憎む!

 千年経っても二千年経っても未来永劫恨み続けるだから何も奪わないで解放して全てを返して契約なんてどうでもいいアナタが私から多くのものを奪おうとするなら私はアナタの全てを奪う強欲の悪魔であるアナタよりも私の方がたくさんのものを欲しワガママで身勝手で強欲だということを教えてやりますどんなにずるく醜く身勝手でもやる事はかわらない。

 契約を今すぐ破棄して、あの幸せだった時間を


 カエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテ


「ま、まテ……」


カエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテカエシテ


「クッ……待テ、ヤメロォー!」


 何やら強欲の悪魔が叫んでいますけど、構わず浄化を続ける。

 するとそんな私の肩を暖かい手がそっと抱き締める。


「ミシェル様……」

「マルが本気だってことは、よくわかったよ。元々俺が勝手なことをしたせいでこんな事になったのに、今の俺には何の力もない。けどせめて、傍にいさせて。悪魔の腹の中だろうと、マルの隣にいたい。マルも、同じ気持ちなんだろ?」

「もちろんです。よろしくお願いします、ミシェル様!」


 左手は地面に当てたまま、右手の指同士を絡ませるように、ミシェル様と手を繋ぐ。

 するとそれだけで、不思議と浄化で掛かる負担も気にならなくなってきます。


 ミシェル様といると、私はどんどん欲張りになる。もっとずっと一緒にいたい。共に笑い合いたいって、際限なく願ってしまうのです。


 その気持ち……欲望は強欲の悪魔を強くさせてしまうかもしれないけど、それでも願う気持ちは止められませんし、この気持ちから目を反らしたくはない。

 これが私の、素直な気持ちなのだから。


 だけど不思議です。私が抱いた欲望は、強欲の悪魔の力になるはずなのに。

 何故か聞こえてくる強欲の悪魔の声は苦しそうになっていったのです。


「バカナ。欲望ガ、強すぎル……呑み込みきれんだト?」 


 え、どう言うことですか?

 何故か分かりませんけど……ひょっとして焦ってる?

 私の欲望が力になると言っていたのに。

 けど、だとしたらチャンスかも。するとミシェル様が、強く手を握ってきます。


「マル、何だか様子が変だ。よくわからないけど、もしかしてこれは……」

「はい……ミシェル様、力を貸してください!」

「ああ、君のためならいくらでも!」


 ……ああ、その言葉があるから、私はどこまでも頑張れるんです。


「これが私の……私達の力です。強欲の悪魔、アナタは消えてください!」

「ヴアァァァァァァッ!?」


 放たれる光が、闇に包まれていた空間を眩しく染める。

 同時にこの世界のどこかに、まるでヒビでも入ったようなピシリと言う音が、どこからか聞こえてくる。

 何かが起きている。詳しくは分からないけど、そんな気がします。


 すると強欲の悪魔は、苦しそうな声を出す。


「何という欲望ダ……大聖女マルティア、どうやらお前の欲望の強さを見誤ったようダ。我を上回る強欲、これだから人間は面白いイ──ッ!」


 瞬間、世界が音を立てて崩れていく。

 地面や天井、空間のあちこちにヒビが入って、同時にまるで強い睡魔に襲われたみたいに、意識が遠くなっていく。


(これは、何が起こっているの? ミシェル様──!)

「マル!」


 ミシェル様の叫ぶ声が聞こえる。だけどもう、目を開けておくこともできない。

 それでも薄れる意識の中、手の温もりだけは、最後まで感じていました……。

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