第49話 眠りに落ちた大聖女

「ああ、なんということだ。まさかこんな事になるなんて」

「ミシェル殿、早まったまねを……」


 ハンス様とアレックス様の見つめる先にあるのは、ベッドの上でまるで死んだように横たわるミシェル様。

 側にはダイアン様もいるけど、表情は暗い。


 そして私も絶望的な気持ちで、眠っているミシェル様を見ている。

 真っ黒な穢れに染まった、ミシェル様を。


「……マルティアちゃん。確認するけど、ミシェルは悪魔と契約して、こんなになったって事で良いんだよね?」


 ダイアン様の問に、私は頷いて答える。

 契約した瞬間は見ていませんけど、おそらく間違いないでしょう。


 昨日ミシェル様から薬を嗅がされて眠らされた私は数時間後、今ミシェル様の眠っているベッドの上で目を覚ましました。


 低血圧なため、普段は起きてすぐは頭がスッキリしていないことの多い私ですが、その時は目が覚めてすぐに状況を理解しました。

 私はミシェル様に眠らされて、そのミシェル様の姿は部屋の中にはありません。

 そして私の右鎖骨の下。聖女の紋章がある辺りが、凄く熱くなっているではありませんか。


 慌てて服をはだけさせて見てみると、そこには見慣れた2級聖女の紋章ではなく、ミシェル様にあった七色の、大聖女の紋章が刻まれていたのです。

 それを見た瞬間、確信しました。私に力を返すために、ミシェル様が悪魔と契約をしたのだと……。


 簡単に眠らされてしまった、自分の愚かさを呪いました。

 表面上は気にしていない風を装っていても、ミシェル様が思い詰めていたことくらい、わかっていたはずなのに。


 いてもたってもいられなかった私は、ハンス様達に声を掛けてミシェル様を探しました。

 まだ真夜中でしたけど、そんな事言ってられません。

 ですがその後見つかったのは、教会の中庭で倒れている、ミシェル様だったのです。


 それからミシェル様を部屋に運んで、白き魔女からの接触があったという話をして、今に至るわけなのですけど。

 ミシェル様を見て嘆いていたハンス様が、今度は責めるような目で私を見る。


「マルティア……魔女からの接触があったこと、なぜ今まで黙っていた?」

「それは……」


 何をどう話して良いのかわからずに、返事に困って口ごもる。

 白き魔女が訪ねてきた事は話したものの、詳細はまだ話していないのです。


 するとダイアン様が、私を庇うように言います。


「落ち着きなよ。ミシェルにもマルティアちゃんにも、何か理由があったんだって」

「その結果、ミシェル様がこのような目にあったのだぞ。だいたい、悪魔なんぞと契約する理由とは何だ?」

「そこまでは知らないけど……どうなの、マルティアちゃん?」


 ダイアン様は責めはしないものの、それでもやっぱり気になっている様子。

 こうなってしまっては、もう隠し通せません。


「分かりました。全てをお話しします。……まずはこれをご覧ください」


 そう言って服の襟部分をズラして、右鎖骨の下。紋章が見えるようにする。

 いきなりの行動に皆さん何事かと驚いていましたけど、露になった大聖女の紋章を見て一同更に目を丸くしました。


「これは、大聖女の紋章?」

「いったい、どういうことだ?」


 驚く皆さんに、私は全てを話しました。

 かつて私は穢れ病に掛かったミシェル様に会っていて、治療した事。白き魔女が言っていた、その時聖女の力がミシェル様に渡ったという話。

 皆さん信じられないといった顔をしていましたけど、私に刻まれた大聖女の紋章。そしてミシェル様の手にあったはずの紋章が無くなっているのを見て、一様に複雑そうな表情でうなずきます。


「それじゃあマルティア……いいえ、マルティア様が、本物の大聖女だったと言うわけですか。今までの数々のご無礼、どうかお許しください」

「そんな、頭を上げてくださいハンスさん。それよりも今は、ミシェル様です。どうすればミシェル様を、助けられるのですか!?」


 だけど尋ねたものの、ハンス様は無言。けど代わりに、ダイアン様が答えてくれました。


「ミシェルは今、全身を濃い穢れに犯された状態にあるよね。だったらこの穢れを浄化したら、元に戻るんじゃない? 滅茶苦茶濃い穢れだけどさ、今のマルティアちゃんには、大聖女の力がある。だったら、浄化することもできるんじゃないの?」

「それです! では、急いで取りかかって……」

「お待ちください。それは危険です」


 浄化を行おうとした私を、ハンス様が制する。けど、どうして!?


「悪魔と契約した者は魂の一部が削り取られ、そこを穢れが代用する形で命を保っています。よって穢れを浄化してしまうと、生命活動を維持できなくなる。この事をお忘れですか? ミシェル様も同じ状態だとしたら、不用意に浄化を行うのは危険かと」


 ──っ! そうでした。

 悪魔と契約したということは、通常の穢れ病のように浄化して治すわけにはいかないのです。


 ミシェル様、私のせいでこんなことになってしまうなんて。

 すると目に涙を浮かべる私の肩に、アレックス様がポンと手を置く。


「マルティア殿、アナタは今ご自分を責めておられるのかもしれないが、これはミシェル殿がやった事。アナタに罪はありません」

「でも、ミシェル様は私に力を返そうとしてこうなったのですよ。そもそも、私が昔ミシェル様に力をあげなければ、こんなことにはならなかったのに。私が、ミシェル様の運命を狂わせたのです……」


 ミシェル様は自分のせいだと思い詰めていたみたいですけど、それは違います。

 悪いのは私。私が余計なことさえしなければ、ご自分を責めた挙げ句悪魔と契約するなんて愚かなこと、しなくてすんだはずなのに。


「さて。問題はこれからミシェル様と、マルティア様をどうするかだ」

「事は複雑ですからね。マルティア殿をミシェル殿の代わりにすればいいなんて、簡単な事ではありません。下手をしたら今まで欺いていたのかと批難する者や、マルティア殿が大聖女であることに疑問を懐く者も出てきそうですし」

「うむ。他の聖女達の間にも、混乱が起きるだろうな」


 難しい顔をするアレックス様とハンス様。だけど……。


「他の聖女達なんてどうでも良いです。そんな事より、どうすればミシェル様は助かるのですか!?」


 たまらなくなって声を上げましたけど、途端に二人とも黙ってしまう。

 それは解決の当てが無い事を示していました。


「とにかくまずは事の次第を議会に報告して……ミシェル様は今のままでは、穢れを放ち続けてしまう。どこかに隔離した方が良いだろう。マルティア様、よろしいですね?」

「……好きにしてください」


 投げやりで、失礼な態度になってしまったけれど、冷静にものを考える事もできない。


 私に宿った……いいえ、戻ってきた大聖女の力。けど、こんなものに何の価値もありません。

 私は、大聖女になりたかったんじゃない。ただミシェル様にお仕えできたら、それだけで幸せだったのに。


「マルティアちゃん、気をしっかり持つんだ。大丈夫、だってミシェルだよ。そう簡単にダメになるような奴じゃないって」


 ダイアン様が励ますように明るい声で言ってくれましたけど、心には届かず。

 それから私は毎晩のように、涙で枕を濡らすのでした。

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