第2話
自分に子供が生まれたら、ピアノを教えたいと思っていたんだ。
おとうさんのそんな願いは叶い、幼い私はおとうさんの膝の上に座らせてもらいながら、ピアノを教わる。
「ピアノは弦楽器に分類される。こうして触れるたびに、美しい音を奏でてくれる。美弦。君の名前は何よりも尊いものなんだ」
何度も何度も、恥ずかしげもなく、この世の何よりも幸せだって顔で言うものだから、変なおとうさんってそのたびに腹へ肘打ちしたものだ。おとうさんは笑って許し、私に色んな曲を教えてくれた。
きらきら星にドレミの歌、他にも音楽の時間に習った曲を譜面に起こし、それを私にプレゼントしてくれた。
小さい時は膝の上、大きくなったら横並び。難しい曲もおとうさんとなら楽しく弾ける。ピアノを通して、私達は会話してきた。
中学生になったら新しい友達もできて、どこかに遊びに出掛けることも増えた。連弾する機会は減り、一人で弾くようになる。ただ弾けるだけで楽しいからそうしていた。たまにおとうさんが、淋しそうに私を見てくることが増えた。会話も著しく減った。
高校生になると、いつの間にか人を介さないと用件を伝えられなくなっていた。同じ家に住む家族なんだから、普通に話せばいいと頭では分かっているのに、顔を見ると何も言えなくなるし、目を逸らしたくて堪らなくなる。何でだろう、お世話になっているのに。
「思春期だから仕方ないよ、成長してくれている証だよ」
おとうさんの声は変わらず優しかった。ごめんなさいと謝りたくなるくらいに。でも結局、口に出すことも顔を見ることもできないまま──先日のことだった。
「そんな曲を弾くんじゃない!」
生まれて始めて、おとうさんに怒鳴られた。私は何もしていない。ただピアノを弾いていただけ。たまたま点けたテレビで流れていた歌を思い出しながら、適当に弾いていただけだったのに。
「……勝手に開けないで、ください」
口から溢れたのは非難だった。何でそんなことを言ったんだろう。昔はよくこの部屋で、連弾したり一緒に寝たりしたのに。
おとうさんは返事もしないで中に入り、勢いよくキーボードのコンセントを引き抜いた。そんなことしたら壊れるのに、おとうさんがくれたキーボードピアノ。
「……その曲だけは、やめてくれ」
懇願するような声に首を振る。
「弾きたい曲を弾いてはいけませんか?」
「それだけは、駄目だ、やめてくれ」
「意味が分かりません」
「分かってくれ」
「分かりたくありません」
「俺はそんなの君に教えてない」
「だから何ですか? 貴方に教えてもらった曲しか弾いちゃいけない、なんて決まりないですよね? 私の好きにさせてくださいよ」
自然と敬語になっていた。久し振りの会話だからか。予想外に距離を感じ、おとうさんもどこか傷付いた顔をしている。
「……だって、その曲は……」
「父親を失った子供の曲だからですか?」
「……」
もしもここで、私には既におとうさんがいるのですから気にしないでくださいと言えてたら、何か変わっていたのか。
「気にしすぎですよ、再婚から何年も経っているのに」
そんな風にしか、言えなかった。
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