6 天狗の死②


「そりゃそうでしょうよ。やましい記憶を消しに来ているんだから本名なんか名乗らないでしょう」


 周囲に微妙な沈黙が落ちたことでニアは自分が失言をしたことに気がついた。未来世界にはそもそも本名という概念がないのだ。かつての本名に相当する概念は国民コードであり、名前は自由に変更可能な要素の一つに過ぎない。


「教主様の”記憶平坦化プログラム”を受けるには戸籍コードの開示が必須条件となっております。例えば、刑事犯が自白のリスクを回避するためにプログラムを受けるといったことを避けるためでもあります。しかし、『時山修一郎』の申告したコードは第三者のものに巧妙に偽装されていたのです」

「第三者?」

「はい。データ上は東京の兵器関連企業に勤務する職員のものと合致します。ニア様が先ほどお話された『時山』の供述内容と整合性が取れています」


 …………それはデータが本当に時山のものだからではないのか?


「整合性の取れないデータが新たに見つかったんじゃないですの? 例えば、生体DNAコードとか?」

「どういう……こと?」


 生体コードとはそのままの意味であり、各個人が持つDNAデータである。最もパーソナルなデータであり、生体型MRの認証もこのコードを用いる。


「…………お手数ですが、ご同行願えますか?」



 外に出ると桃の香りがぷんと匂った。

 風は身体の力が抜けるように生温かいが、空気は少しひんやりとしている。湯に浸かっているときはあまり気にならなかったが、春の陽気設定は浴衣一枚だと少し肌寒い。


「???」 


 参道をひしめくように歩いていた仮面の数がめっきり減っている。

 時刻は既に20時を回っていたが、不夜城そのものこの町では宵の口みたいなものだろう。

 違和感を覚えながら坂を見上げれば何人かの仮面の後ろ姿が同じ方向を向かって早歩きで向かっているのが見えた。おそらくそれは自分たちの目的地と同じに違いないとニアは思ったし、事実そうであった。

 低山の頂上に設けられた社は瀟洒な佇まいであった。

 歴史を感じさせる檜造りの拝殿と本殿はメンテナンスが行き届いている一方で朱赤や漆が必要以上に塗りたくなれていないのが好感が持てた。境内も同様で好ましい古さを維持しつつも、敷き詰められた白砂利の上には葉一つ落ちていない。

 新興宗教がいかにも作りそうな―――ギラギラでゴテゴテした教祖の顕示欲を具現化したような―――トントキな似非神殿を想像していたのでニアは肩すかしを食らってしまった。


「意外、でしたか?」


 よほど変な顔をしていたのだろうか、狐面が淡々と言った。


「近隣地域の神主のいなくなった廃殿を移築して造り直したのでございます」

「へえ、ちゃんと宗教しているじゃん」

「何やら勘違いされているようですが、当代表は教祖ではありません。古来からこの地に根ざした八百万の神を守護奉りたく、団体を作られたのでございます。また弊団体は宗教省に認可されているれっきとした宗教法人でございます」

「なるほど、ね」 


 経緯はどうであれ、正式な手続きを踏めばそれは公となるいうわけか。


「それはそうと、随分と騒がしいわね」


 鳥居を潜ったときから参道は仮面の人々で埋まっていた。門から奥は物々しく警備されているので入っていくことはないが、今も仮面の奥から無数の視線を感じる。


「…………奥へどうぞ」


 ゆらりと足音を立てずに狐面が拝殿の奥に進む。それにつられてニアとイーも進むとその後ろにいつの間にか立っていたやはり狐面の教徒たちが左右後ろをそれぞれ挟むように動いた。

 拝殿の奥には今まで目にした社とはまるで違ってコンクリート作りの建物があった。駅前の雑居ビルぐらいの大きさのそれは一階の警備室兼入り口に窓が一つあるばかりでおよそ人の温もりを感じさせない。


「これが私たちの祭具殿になります」

「ここが……?」

「言い忘れましたが、ここから先は通信が全て遮断されております。ニア様は問題ないでしょうが、お連れの方は大丈夫でしょうか?」


 まるで相手のことを慮っていない慇懃無礼な声音。後になって知ったことだが、境内に入ったときからデータ通信はほぼ遮断されていたらしい。常時接続型の医療機器はある程度であれば単独運用スタンドアロンでも動くように設計されているが、警告なしの電波遮断は犯罪に等しい行為である。

 しかし、イーはさも無頓着な様子でさらりと言った。


「ええ、問題ございませんわ。お姉さま、行きましょう。ここにどうやら見せたいものがあるらしいですわ」

「う、うん……」

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