6 天狗の死③

 祭具殿、というより明らかにデータセンターを思わせる建物の入り口には鬼面をつけた警備員たちが蟻の子一匹通さないような物々しさで立ち塞がっている。

 皮肉にも頭に浮かんだのは自分がかつて”保管”されていた研究施設だった。オーパーツ並みの超一級の稀少種である自分だが、当然その一挙手一投足は全て監視されているだろう。


「(あのクソどもも接続が断たれて慌てふためいているかな、ザマミロ)」


 入口の窓を通して祭具殿の中が垣間見えた。顔が映り込むような塩化ビニル樹脂の床と白い壁材。中にあるのはどうやらエレベーターだけのようだった。


「こちらです」


 ところが、狐面が勧めたのは祭具殿の脇にある獣道だった。人一人やっと通れるような、道と呼ぶの怪しいもので森の中にぽっかり暗い口を開いている。


「(入らないんだ………)」


 獣道を10メートルほど進むと木々の葉の隙間から強烈な光を差し込んだ。

 目を眇めて見ると光源はどうやら空地に設置された投光器からのようだ。そして、投光器の前には5人の警備員が空き地の中央を囲うように立っている。鬼を模した仮面たちはニアの存在を認めると音もなく後ろに下がった。

 最初に感じたのは臭いだった。

 錆びた鉄を鼻先に突きつけられたような臭い。

 次に感覚器を捉えたのは、色だった。

 赤をもっと黒くしたような、黒い鉄を赤に混ぜ込んだような―――。


「―――ウッ!?」


 胃の腑がぐるりと一回転するような不快感が駆け巡り、ニアはこの一時間で飲み食いしたものを全てぶちまけそうになった。結局吐くまでに至らなかったが、口の中には胃液と吐しゃ物の味が広がる。


「…………これがあんたたちが見せたかったもの?」

「はい、時山修一郎様だったモノでございます」


 ソレは一見するだけは時山とわからなかった。身体中の生体組織が変形し、破壊され、ヒトとしての原型を留めていなかった。血は木の幹や葉に飛び散り、歯や皮膚、脂肪が辺りに散乱している。そして、表に出るはずのないものが―――いや、もうこれ以上はいいだろう。


「これはひどい」


 そのとき脳裏に赤い残像がよぎった。

 ここ半年、繰り返して現れて終わることのなかった悪夢。


「お姉さま、大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですわ」

「…………いや、大丈夫だから。ホント」


 ”アレ”は妄想だ。現実のわけがない。

 しかし、目の前に広がっているのは…………紛れもない現実だ。

 鼻の穴を塞ぐように立ち込める血の臭い。まるで臭いそのものが質量を持っている、あるいは生物であるかのようだ。同じ肉でも温泉の参道で嗅いだ香ばしい香りと何が違うのだろう? そんな馬鹿なことを考えた瞬間、今後こそニアは胃の中のものを吐き出していた。


「お姉さま! お姉さま! しっかりしてくださいまし!」

「…………うっ、ううっ……大丈夫、じゃないかも……」


 イーの手の優しく背中をさするとニアの両目からぽろんぽろんと涙が零れていく。ウミガメの産卵みたいな構図になっているが、そんな感動的なものでは断じてない。しかし、実体はやはり正義だとニアは思う。幽霊AKIだとこうはいかない。


「…………それでこの推理小説の真似事は何でしょうか? まさかお姉さまがこの方を殺したとは言わないですわよね? わたくしは今までお姉さまと一緒にお風呂に入っていましたわ。もしこの言葉が信じられないのなら、わたくしにもそれ相応の考えがありますわ」


 背中をさする手が殺気の高まりとともに重くなっていく。まるで掌底だ。


「イー、痛いんだけど…………」

「私たちはニア様を犯人だと疑っているわけではありません。それは監視カメラでも確認が済んでおります。ましてや、一緒にいたのがよりもよってキュクロプス一つ目なのだからな、我々も下手に手は出せんよ」

「えっ…………」


 顔を上げると狐面の係員がおもむろに仮面を外すのが見えた。

 仮面の内側にあったのは女の貌だ。仮面とさほど変わらない白い肌、艶やかな唇。切れ長の目から投げかけている視線は氷のように冷たかった。


「やれやれ、教主様のやっとのご登場ですわ」

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