4 顔無しの郷①


  4 顔無しの郷


「わあ、すっごーい☆ まさしく桃源郷、て感じ☆」


 正面ゲートで潜り抜けるとAKIが感嘆の声を上げた。


「すっごーい」


 遅れてニアも全く同じ声を漏らす。確かにこれはすごい。

 山腹には満開の桃の花が一面に咲きほこり、あえて白熱電球に似せた淡い照明と湯の煙に包まれて幻想的に霞がかっている。


「これってもしかしてARじゃない?」

現実マジだよ、マジの現実マジ


 そんな馬鹿なと思い、手近な花に触れると感触があった。それでも信じきれず、MRグラスを外してみるが、桜と違って少し先が尖った花びらが確かに掌の上で揺れていた。

 ひええー。感嘆の声が再び漏れる。

 今は夏だぞ。だが、敷地の中に入ってから夏の暑気をほとんど感じない。ノースリーブでは肌寒いぐらいである。

 AKIによるとどうやら一過性の粒子を大型送風機で上空に散布しているらしい。粒子は大気中の熱を吸収すると崩壊とともにその熱エネルギーを外部に放出する。おまけに粒子そのものが太陽光を遮断するので日中は日よけの効果もあるとのこと。


「何でもありだな、未来世界」


 しかし、おかげで敷地内は優しい春の夜に包まれ、桃源郷そのものであった。

 山全体を削るように造られた参道には浴衣姿の湯治客がゆっくりと歩き、硫黄や桃の花の香りに混じって香ばしい匂いや甘い匂いが鼻をくすぐる。周囲を見渡せば贅を凝らした芸術品を模したARが並び、中空には麒麟や鳳凰、鸞が思い思いに舞っている。 

 「神の貌」の総本部、通称「顔無しの郷」はまごうことなき観光施設だった。


「ニア様ですね。お待ちしておりました」


 正面ゲートに一番近い七号棟に入ると狐面をつけた受付係が待っていた。エントランスでOGボックスを預けると受付係は滑るような足取りで中に案内していく。見た目はARにしか見えないが、本物の人間らしい。

 引き戸を開けた先は畳が敷き詰められただけの簡素な部屋だった。30畳ほどのスペースに枕とマットがぴっちり並べられている。そのうちの一つに浴衣と仮面が置かれてあった。


「ニアー、せっかく来たのになんでこんな蛸壺部屋なんて予約したのさー。別にお金に困っているわけじゃないっしょー」


 情緒もクソもない風景に案の定AKIが口を尖らせる。


「まあまあ。別に観光に来たわけじゃないし、それにこれはこれで味があるもんよ」


 そう言ってマットの上に置かれていた仮面を手に取った。


「ご指定の仮面を用意しましたが、こちらでよろしかったでしょうか?」

「あ、うん。これで全然問題ないっす」


 仮面、というよりお面は女児向け魔法少女アニメのヒロインを模したものだ。プラスチックの彩色はいかにも大量生産のもので可愛いというよりむしろ怖い。


「(でも、昔はこれが欲しかったんだよなー)」


 夏祭りの屋台に並んだお面を母や祖母にねだったが、結局買ってもらえることはなかった。まあ妥当な判断だろう。逆の立場なら自分もそうする。しかし、今あえて手にするとは。100年ぶりの大人買いといったところか。


「今夜は予約が立て込んでおりますので”施術”は3時間後になりますが、よろしいでしょうか?」


 よろしいも何も決定事項のくせに何を言いやがるとニアは思った。ましてや蛸壺部屋の客の意見など1デシベルの価値もないだろう。


「記憶を消すのに”教祖様〟が一々立ち会わないといけないの?」

「”施術”の担当は当団体の”代表”のみとなっております」

「ふーん。まあいいや。やってもらえるだけでこちらは感謝しないと、ね」


 お面の孔の先で受付係が慇懃に礼をするのが見えた。


「ご協力感謝致します。それでは時間までごゆるりとお過ごしくださいませ」

「温泉は全部入れるの?」

「はい、事前に玉串料をお納めいただいておりますのでプライベートエリア以外でしたら温泉も食事処も娯楽設備も全て無料となっております」

「そりゃすごい」


 ちなみに玉串料という名目の依頼料は大山のときの一週間分の宿泊料に相当する。これが安いか高いかは施設の充実度次第といったところか。


「ただし、いくつか守っていただきたいルールもございます」


 自動音声のような声音から一転して係員は声を低める。


「当たり前のことですが、立ち入りを禁じているエリアは絶対に入らないでください。特に施設の最上部にある祭具殿には当団体の宗旨にとって非常に重要な物品が納められております。それらは我々にとって金銭に替えられない価値を持つものなのです」

「わかりました」

「もう一つは食事処や屋台で提供される飲食物は全て無料と述べさせていただきましたが、最近、これらの飲食物以外の食べ物が無許可で取引されているようです。私たちの提供する飲食物は保健局の指導に従っておりますが、無許可のものは当然そのようなものはございません。ゆめゆめ口になさらぬようにお願い致します」

「わかりましたー」


 薬物ドラツグならともかく、飲食物であれば大方どこかの馬鹿が自分好みの酒でも持ち込んでいるのだろう。こんな場所なのでどれほど奇怪な約束をさせられるかビクビクしていたが、どちらも当たり前すぎて拍子抜けしてしまった。

 係員は伝えるべきことを伝えてしまうと再び慇懃な礼をしてからその場を立ち去った。

 ニアは脱衣所も使わずにその場で着替えてしまうと金属製のロッカーに着衣を放り込み、意気揚々とした気分で蛸壺部屋を後にした。

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