3 人間嫌い④


「間もなく到着だ。君と話せて楽しかったよ。誰かと直接話すなんて何年ぶりだろううね。今後、思い出せなくなるのがとても残念だ。駅で最初に見かけたときは、てっきり君は”ミザントロープ”だと思っていたよ」

「あー、そういう」


 ミザントロープ―――仏語で「人間嫌い」を意味するこの言葉は、未来世界では現実リアルの人間との関係を断ち、言語的コミュニケーションはAIのみで完結している人間たちのことを指す。AIの技術的完成もあり、個人版モンロー主義を標ぼうする彼ら彼女らはそれぞれが最小の国家として成立している。実際に著名なミザントロープは大国と対等に渡り合えるほどだ。

 もっともニアの場合は各種ステータスがリセットされたうえになぜか81年後の新作に転送されるという奇々怪々なケースなわけなのだが、そんなことは露程も知らない時山にはボッチも人間嫌いミザントロープも同じように見えるのだろう。とはいえだ、


「はい、嫌いですよ、人間」


 実際、ニンゲンは嫌いだった。それはおそらく山本似愛の頃から変わらない。学校も駅もスーパーもCPUの操作するモブと何が違う。そして、それは自分さえも変わらない。


「だろうね。そう見えるよ」

「あっ、そうだ」


 車体の振動が小さくなり、道の両脇に行灯が灯るのを見て慌てて尋ねた。一番肝心なことを確認していない。


「それで?」

「…………えっ?」


 えっ?じゃねーよ。ここまできてその反応はないだろう。


「時山さん」

「いや、ごめん。まあ、そうだろうね。そこが一番気になるよね。結論を言うと、消せる。というより思い出さなくなる」

「思い出さなくなるって、どんな感じなんです?」

「うーん。嫌な記憶が頭のどこかにあるのはなんとなくわかる。でも、どこにそれがあるのかはわからないし、嫌な記憶なのは間違いないのだからあえて探す必要もない」


 夢やフラッシュバックで不意に浮上してくることもないらしい。それを聞いてニアは安心した。それなら目的を果たすことかできそうだ。


「というか、なんでそんな技術を奥多摩の温泉施設が持っているんです?」

「えっ?」


 ディスクブレーキが効いて車が停車した。信号が赤になり、目の前を浴衣姿の温泉客が左右に交差していく。誰もが仮面をつけていて幻想的な光景ですらある。


「時山さん?」

「あ、ああ。そう、だよね。そう思うよね。ここは今でこそ温泉施設だが、少し前までは研究施設だったんだ。正確に言うと研究所はおまけで入所施設が本体。はっきり言ってしまえば、どこにも行き場のなくなった人たちが最後に流れ着く『姥捨て山』さ」


 目を見張るニアに、時山は、ただし、と付け加えた。


「その福祉施設で『虐待』は発生したことはない。ただの一度もね」


 入所者は寿命の尽きるその日まで心穏やかに過ごしたのだと時山は言う。施設に残った最後の入所者がいなくなるまで…………。


「宗教法人が運営母体ということもあって入所施設も研究所も外部と交流することが極端に少なく、自分たちの宗教的理想に沿って粛々と毎日を過ごしていた。しかし、日本そのものが老衰死にむかって穏やかに滅びゆく段階になると運営母体は外部からスタッフを呼び寄せることにした。それが当時上海で記憶の研究をしていた、今の『神の貌』の代表その人だよ」

「じゃあ、そいつが団体を乗っ取った?」

「…………彼は施設で行われていた『利用者が穏やかに過ごす』方法をもっとより良く、より多くの人たちに活用しようとしたのだろう」

「それが記憶の消去?」


 信号が青になる。しかし、時山はアクセルを踏むことはなかった。後続する車はない。仮面をつけた利用客のなかで車が奇妙に浮き上がるかのような感覚をニアは覚えた。


「リュウ・カーター・ランドルフ、それが彼の名だ」

「…………は?」


 時山は今、なんて言った?

 視界が行灯の色に染まるように赤に塗りつぶされていく。

 息が苦しい。まるで車の窓の外が深海のようだ。


「13年前、最後の入所者が旅立った直後、施設職員を含む団体関係者51名が巻き込まれる”事故”が起きた。原因は現在も不明、”幸い”にも51名全員が命に別状はなかったものの、彼らから聴取を取ることはできなかった」

「…………っ!?」


 ―――51人全員が自我を喪失していたからだ。

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