第23話 序章、紅蓮の夜

 士官学校にやってきて一週間が過ぎた。

 今のところ夜間の襲撃は1度もなく、日々は穏やかに過ぎ去っていく。

 

 夜は変わらずシャハムの病室に行って不寝番だ。

かつて自分を罠に掛けて一度は命を奪われた相手を夜を徹して何日も護衛するという奇妙な……或いは間抜けとも言える状況。

 

ふと、ベッドの上で包帯に包まれて眠る男を見て自分はこいつが殺されたらどう思うのだろうかと考える。

 ……怒るのか、惜しむのか、それとも何も感じないのか。

 少なくとも喜んだり胸が晴れたりはしないと思うが。

 わからない。それを判断するには複雑に絡み合った事情がノイズだ。


 初日に奴の実家の話を持ち出して以来、シャハムは泣き叫ぶことは無くなった。

 その代わり唐突に何だか虚空を見つめてぶつぶつ言いだすことが増えた。

 ……正直不気味である。

 クラウスも気味悪がってシャハムに辛辣な言葉を投げかけることはなくなった。

 ただ「壊れてしまった」わけではなさそうだ。

 正気を失った者の目はしていないように見える。小さく、微かなものであるが何かを決意した者特有の目の光のようなものが見えた気がする時もある。

 奴なりに何か考えているのかもしれない。


 士官候補生たちへの講義の方はといえばすこぶる順調だ。

 大体が好き勝手にやっているだけなので詰まるような事もないのだが……。

 ほとんど私の受け持ち時間はレクリエーションと化している。

 

 その日は午後になり時間ができた私は寮の自室へと戻ってきた。

 鼻歌を歌いながら手にしていた多数の荷物の入った大きめの箱を机に下す。


「ずいぶんとま~ぁご機嫌でいらっしゃいますわねえ……」

「うッ!!!」


 地獄の底から響いてくるような底冷えする低い声に思わずのけ反った。

 見れば私のベッドにエトワールが腰を下ろしている。

 いるのに気付かなかった……。


 ご機嫌だと私に声を掛けた彼女は反対に地獄の底のような冷気を纏っている。

 トゲトゲしい空気がちくちくと私のハートを刺す。

 立ち上がった彼女は私が置いたばかりの箱を覗き込んだ。


「へぇ~今日もお手紙が沢山だぁ。これは何かな~手作りのクッキーですねぇ。ラッピングも可愛らしいですなー。これは手間がかかってますよかな~~~~りね……」

「いやその、貰ってしまいましてね……はは、は……」


 部屋に持ち帰った大箱の中身は主に女生徒たちからの贈り物の数々であった。

 大勢の前で堂々と渡してくる子もいれば、誰もいなくなった時にもじもじと渡してくる子もいる。

 1つ1つ手にとって吟味している我が担当は親しい人間が殺された現場の遺留品探しの捜査員みたいな気配を出しちゃっている。

 とても怖い。

 殺し屋のような目でジロリと睨んでくる彼女に笑いかけようと試みたのだが喉から漏れたのは錆び付いた金属部品が出すような妙な音だった。

 背中を嫌な汗が伝う。

 一晩中の病室の寝ずの番でもほぼ消耗しない私が彼女のこの視線に晒されているとガリガリ精神力を削られていく気がする!!


「物珍しいだけだろう。物書きの外部の人間が来ることなんて滅多にないだろうしな」

「……本当にそー思ってます?」


 咄嗟に目を逸らす。


 ……白状すればちょっと浮かれていた。

 若者たちにちやほやされるのは心地がいいものである。

 だがそれにずっと浸っていたいとは思わない。

 これはイレギュラーだからこそ眩しく得難い日々。

 それは良くわかっている。


「大丈夫だ。ここは私の居場所じゃない」


 ただ少しだけ遠い昔に過ぎ去った日々を想い、あり得たかもしれない自分の姿に思いを馳せた。

 感謝してまた次の旅へ向かう自分の糧とさせてもらおう。


 窓を開けて縁に両手を置き外を見る。

 心地よい風が室内に吹き込んでくる。

 このどこまでも続く青い空の下にまだまだ自分の知らない世界が広がっている。


「……次は何処へ行こうか」


 この言葉をまた口にする機会があるとは思っていなかった。

 これまでの旅はこの国が終着点になるはずだったからだ。

 ここで全ては終わるはずだったからだ。

 それが今は「この先」の事を考えている。


「どこでもいいですよ~ウチは。センセと一緒ならどこでも」


 エトワールの口調は軽いもので、夕食を食べる店を決めている程度の話題の返事に聞こえる。

 ……しかし本当に彼女は私が行くと言えばどこへでも付いてきてくれるのだろう。

 それが例え危険で過酷な土地なのだとしても……。

 近所に夕食をとりに行くような、そんな空気で、彼女は一緒に来てくれるだろう。 


 ────────────────

 同時刻、士官学校裏手。


「毎度どうも~小麦粉、今月分お持ちしました」


 裏門から2人の出入りの業者が大袋を抱えて入ってくる。

 寮に食用の諸々を降ろしている業者である。


「ああもうそんな時期か……いや、今月は早くないか?」


 守衛が不思議そうに言った。


「ええ。今月はちょっとうちの都合で」

「そうなのか……まあ、いつもの場所に頼むよ」


 頭を下げた業者が倉庫へ向かう。

 その時の彼らの口元の冷たい笑みは守衛からは見えていない。


 学校関係者は誰も知らない。

 ……この守衛ともすっかり顔馴染みの業者が黒蛇会の構成員である事を。

 そして、この時運び込んだものは小麦粉などではない事を。



 この日、王都の重要施設各所に同等の手口で可燃物や爆発物が大量に運び込まれていた。

 何年も前から計画されその時の為に関係各所に手下を潜入させていた黒蛇会によって。


 ────────────────

 暗い、深い王都の地下……悪意の深淵、黒い蛇たちの巣。

 このアジトでも最大の広間に大勢の黒蛇会の構成員が集められている。

 皆黒い装束に包まれた集団はまるで影の海のようだ。

 彼らは皆黒蛇会「本部」所属の最精鋭のエージェント達。

 組織と首領に絶対の忠誠を誓い死をも恐れない者たちである。

 1人として雑談しているものはなく手持無沙汰に見える者もいない。

 全員が直立し前を見つめ続けている。

 まるでそこに不可視の自分たちが崇める神がいるかのように。


 そして今、壇上に一人の男が現れる。

 

 闇を切り取ってきたかのように全身を黒く固めた男。

 遠目にもわかる禍々しい青黒いオーラを纏った漆黒の鎧姿。

 さながら悪魔の騎士か地獄の使者か……。

 兜には捻じれた一対の大きな角が生え、面具の口は裂けて鋭い牙が並んでおり笑顔にも憤怒にも見える。

 その男が姿を見せた途端、場の空気は数度冷え込んだように集った者は全身を緊張させた。

 目に見えぬ狂信もまた一層鋭角に膨れ上がった。


「この都を……黒い蛇が喰らいつくす時がきた」


 低いがよく通る声が周囲の空気を震わせ場に溶ける。

 王都の暗部を支配する男の声だ。

 

「全てを地獄に変えてやれ。……このオレの『地獄から蘇った復讐鬼』ダグラス・ルーンフォルトの名でなァ!!!!!」


 目に見えぬ猛毒の熱狂が満ちていく。

 構成員たちの多くは興奮に身を震わせ目に涙を浮かべる者すらいた。

 心酔する悪のカリスマが遂に待ち望んでいた「宴」の始まりを宣言したのである。

 

 それはこの国の表と裏が……「正」と「邪」が逆転する祝祭の開始を告げる嚆矢であった。


「オレの名を騙るニセモノも王家も全ては今夜で終わりだ!!! 殺せ!!! 破壊しろ!!! 何もかもを蹂躙しつくしてやれ!!!!」


『ダグラス!!! ダグラス!!!』


 誰かが叫んだその名を瞬く間に広間の全ての者たちが唱和する。

 叫びが地響きのように周囲を震わせる。


「……すいません。叫びまくったらノド痛くなったんですけどレモン絞ったお水もらえます?」


 そんな中、壇上のザイハルトはヒャッハーが維持できずにスン、となっていた。

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