第13話 仮面の下に

 礼拝堂の戸が開く。

 既に日は落ちかけ薄暗くなりつつある朽ちかけた床に長く影が差す。

 拘束され床の上に転がされているパルテリースは顔を上げて入ってくる男を見る。

 入ってきた男……かつてこの国で騎士団長を務めた英雄。

 そして自分の祖父が罠にかけて地獄を見せた相手……ダグラス・ルーンフォルト。


 無言で男が自分の拘束を解いてくれる。


「アンタ……本物のダグラス様だったのかよ」

「……………………」


 まだ若干の涙声で言うパルテリースにダグラスの返事はない。

 しゃがみ込んで縄を解く男の顔は逆光で表情がわからない。

 拘束を解かれたパルテリースが立ち上がった。


「お爺様が……アンタを裏切って襲わせたのか!! それでアンタはこの国に居られなくなったのかよ!! ……答えてくれ!!!」

「……………………」


 やはりダグラスは無言だった。

 黙殺している、というわけではない。


(うおおおおおどうする!? ここからどう誤魔化せばいいんだ!!??)


 ……返事が思いつかないのだった。


(イーファン! バカヤロウ!! 何だって全部話すんだ!! さっきのやり取りも聞かせてたって!? 思いっきり色々言っちゃったじゃねえか!!!)


 先ほどまでのイーファンとのやり取りで何を話したかを必死に思い出す。

 あれを言っちゃったってことは、これはもうごまかしが効かない。

 これを言っちゃってるから、あれもダメだ。


 結論……もうどうしようもない。


「いや、違う。私の名前はゴンザレス」


 最後の手段だ。

 そうだ、自分にはまだゴンザレスがいるじゃないか。

 再び内心の陽気で自由な旅人ゴンザレスを解放して事態の収拾を試みる。

 しかしこれまでゴンザレスで事態を収拾できた試しはないのだった。


「アタシは……アタシはこれからどうすりゃいいんだよ!!!」


 今度はゴンザレスが黙殺される番だった。

 ひたすらに虚しい。


 ふぅ、と色々な感情の混ざった息を吐く。


「……君の言うその男は、随分昔に死んだはずだ」

「!!」


 務めて穏やかにそう言うと弾かれたように姫は顔を上げた。

 もうこうなったらしょうがない。

 誤魔化せないなら事実は認めた上で黙っててもらう方に持っていくしかない。


「今更真実を暴いた所で誰も喜ばない。私だってそうだ。私には今の名前と今の生活があるからね。今回は昔を懐かしむ為にちょっと帰国しただけだ。さっきだってイーファンにそう言いたかった。……彼は彼の事情で私との決着を望んだがね」

「でも……」


 釈然としない表情のパルテリース。

 無理もない。自分だってそう納得できているわけではない。

 彼らを恨んで憎む気持ちは間違いなく残っている。

 だが、それが生む騒動がどれ程愚かしいのかも目の当たりにしてしまった。

 今はただそれが自分が望んで自分の手で生んだものではないことに安堵するのみだ。


「お爺さんの事は好きだったか?」


 問いかけると一瞬姫は考え込むように沈黙した。

 そして申し訳なさそうにわずかに頷いた。


「それでいいんだ。君の見ていたお爺さんが君のお爺さんだよ。それが真実だ」


 ……結局はそういう事だったのだ。

 これは自分に対する言葉でもあった。

 自分にとって憎い敵であろうと他の誰かにとっては尊敬や愛情の対象だ。

 そこに踏み入るべきではないのだ。


 パルテリースは尚も何か言おうと思案している風だったが……。


「……気ィ揉ませるような事言いやがって。やっぱりやる気あるんじゃねえか」


 彼女が何か口にするより早く、礼拝堂の入り口から響いた声が周囲の空気を凍て付かせる。


 既に空には一番星が光っている。

 徐々に闇に包まれていく礼拝堂。その入口に立つのは不吉な髑髏の仮面の男。

 一連の惨劇を主導する悪意の殺戮者。


 仮面の男は顎でしゃくって表の……イーファンの亡骸のある方向を指す。


「安心したぜェ?」


 喜悦と嘲笑の混じった声で言う。

 イーファンを殺したことを喜んでおり嘲笑ってもいる。


「さァァて!! それじゃゲームを再開しようか!!! ……今はオレが1人分リードだよな? どっちが多く殺るか……勝った方がダグラス・ルーンフォルトだ」

「ダグラス・ルーンフォルトを名乗るなら……」


 奴の方を向き直って睨む。

 この男の正体はもうなんとなく見えている。

 その切っ掛けは……先ほどのイーファンとの戦いだった。


を使ってちゃまずいだろ……ザイハルト・ウォーグラム」

「!!!!」


 虚を突かれたようにその男の動きが停止する。

 実のところ名前はカマかけだった。

 帝国式の剣術を使う男で出てくる名前がそれしかない。


 ……だが図星だったようだ。


「クックックック……」


 やがて奴は笑い出した。

 笑い声はどんどん音量を増して哄笑になる。

 礼拝堂の屋根を見上げて、仰け反りながら笑っている。


「ヒャハハハハハハハハッ!!!! いいぞいいぞ!!! そうだ、よくオレの正体に辿り着いたなァ!!!」


 ザイハルトと呼ばれた男が乱暴に仮面を剥いでそれを投げ捨てた。

 隠していた素顔が外気に晒される、

 黒髪の男だ。そう歳はいってない……外見はだ。

 顔は正直うろ覚えなので以前と変わらないとは言い切れないが、少なくとも以前の奴はこんな凶相……血に飢えた野獣のような暴虐を滲ませた顔はしていなかったように思う。


「これでようやくオレもお前に『お久しぶりです』って挨拶ができるなァ」


 ザイハルトが肉食獣の威嚇を思わせる顔でニヤリと笑った。


 イーファンと戦った時に思った。

 鍛え上げ大分我流に傾いてはいるが基本の癖は自分と同じ王国式の剣術、そこは変わらないなと。

 そしてこの仮面の男とこの礼拝堂で再開して思い出したのだ。

 ……この男の使った剣に王国式の癖がなかった。

 だがまったく知らない剣でもない。

 戦場では幾度となく命を狙ってきた太刀筋だ。


 帝国の剣士ザイハルト。奴は大戦当時帝国最強を謳われていた。

 戦場で相対したのは3度。その3度目が王国軍の勝利を決めたウェンブロークの会戦だ。

 そこで自分がこの男を討った。

 遺体を確認したわけではないが確かに討ち取った感触があった。


 つまりこの男は……自分と同じ本来ならば死んでいるはずの者。


「お前を魔人ヴァルオールに変えたのは東方の魔女か」

「そうだ」


 ザイハルトは即座に肯定する。

 黒衣の剣士は愉快そうだ。

 実際にこの種明かしの時間を奴は楽しみにしていたのだろう。


「そして俺の過去を彼女から聞いたか」

「そうだ」


 あの内部が超古代の技術による研究施設となっている石造りの塔を思い出す。


 ────────────────

「ダグラス・ルーンフォルトだとォ!!??」


 その名を聞いた時、思わずザイハルトは声を荒げていた。

 相対する銀髪男装の美女は涼しい顔をしているが。


『自分以外に誰かを魔人にしたのか』

 そう問うたザイハルトに魔女は「もう1人いる」と答えたのだ。

 正しくは処置だけなら10人ほどに施した。

 その内魔人として蘇生できたのが2人だけという事だ。


「以前はそう名乗っていたらしいね。今はてるひこと名乗っているが」


 名乗ってねえ。


「野郎は戦に勝った側だろうが。それが何でアンタの死体袋に収まるような事になってやがる?」


 ザイハルトが勝てないのなら帝国軍にはもうダグラスを倒せる戦士はいないはずだ。

 その問いに魔女レイスニールは首を斜めに傾けて

「ん~……」

 と何事か考え込んでから……。


「まあ『言うな』とも言われていないし構わないか。彼はね、悲劇の舞台に血を流しながら立つ者。絶望の慟哭が木霊する深淵を彷徨う者なのだ」


 そうしてあの裏切りの夜の話をザイハルトに語って聞かせたのだ。

 やがて長い話(主に語り手の都合で)を聞き終えたザイハルトは無表情だ。


「なるほどなァ。そいつは災難だったな……」

「そういう事さ。キミも敵軍だったなら色々あったのかもしれないが、今の彼はお聞きの通りの身の上だ。仲良くしてあげたまえよ」


 瀟洒な椅子に腰掛け優雅に足を組んで涼しげに言うレイスニール。

 それに対してザイハルトは返事はせずに「フン」と鼻を鳴らしただけであった。


 だが魔女は気付かない。

 気にしてもいない。

 ザイハルトの口元が一瞬喜悦に歪んだ事を。


 ────────────────


「その後すぐに俺は自由の身になった。で、そのままこの国に来たってワケよ」


 帝国の剣士であったこの男が何故帝国に帰らず王国にやってきたのか……その答えは聞くまでもない。

 自分を狙ってこの国に来たのだ。


「お前は必ずこの国に帰ってくる。復讐の為に帰ってくるはずだ。……そう思ってな」

「随分とお待たせしてしまったようだ」


 ようやく皮肉の1つも返してやれる。

 だがあまり効果はないようだ。

 自分同様にこの男にも『時間はいくらでもある』のだから。


「20年は長かったな。まぁ退屈はしなかったぜ。やる事は多かったからなァ。実際お前が戻ってきてからのオレの『おもてなし』は完璧だっただろ?」


 そうだ。

 実際自分が帰国してからのこの男の動きは迅速だった。

 こちらの動きは把握されて先手を打たれた。

 監視の目が方々に行き渡っているのか……それがこの男が20年でこの国に築き上げてきたものなのか。


「もうこの国は全てオレの巣だ。どこへ行こうが何をしようが逃げ場はねェ!!」


 両手を広げその掌を上に向けて胸を反らしたザイハルト。

 まるでオーケストラの指揮者のように。

 演説をする革命家のように。


「さあ楽しもうぜダグラス!!! このクソッタレどもの国をステージにして思うがままに暴れてやろうじゃねえか!!! オレたちの時間だ!!!! オレたちの祭りだぜェェェッッッ!!!!!」


 黒衣の男がビリビリと周囲の空気を震わせるような圧を放つ。

 かと思ったら急に、スン、とザイハルトは静かになった。


「まあそれはそれとして今日はもう陽も落ちたんで帰ります」

「なんなんだよ」


 思わず突っ込んでしまった。

 テンションの上下が激しすぎる。

 姫なんかあまりの落差にポカンと口を開けてフリーズしてしまった。


「まあずっとあんな感じで喋られても疲れるかなって。そんじゃまあ、おつかれっした」

「なんなんだよお前は本当に」


 本当に会釈して帰っていってしまった。

 礼拝堂に残った2人はなんとも言えない空気になる。


「なんなんだよアイツ」

「うん。まあ……ヒャッハーだけどそれがあんまり持続しない人だ」


 そう言うしかなかった。





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