第12話 英雄の真実

 礼拝堂の中に姫がいる。

 イーファンの言葉は真実だった。

 昨日、あの街の中での邂逅の後でイーファンはパルテリースを拉致していたのだ。


 ──────昨日。

「それは興味ありますな。どこで見かけたんです?」


 立ち去りかけたイーファンだったがパルテリースの『ダグラスに似た男を見かけた』という言葉に踵を返す。


「あそこだよ、あの飯が美味い宿屋のさ。『青雀亭』だ」


 その店の名を聞いた時イーファンの細い目の奥の瞳が僅かに鈍く輝く。

 そこにいるのは間違いなく本物のダグラス・ルーンフォルトだと……そう確信した。

 あの店は彼のお気に入りだった。

 何度も一緒に足を運んだ事がある。


 この瞬間、彼の頭の中にいくつかの計画が浮かぶ。

 だが、実行のためには大きな障害がある。


「姫様、あっちに城の連中です。こちらへ……」

「え? お、おう」


 小声の早口で言うとイーファンは姫の手を軽く引いて細い路地に入った。

 無論城の者がいたというのは嘘だ。

 そして周囲の視線がなくなった事を確認すると素早くパルテリースの頸動脈を押さえて落とした。

 イーファンを警戒していなかった姫はまったく抵抗できずにあっさりと意識を失う。

 路地には無数の大きな空の木箱が積んであった。

 その一つに一旦昏倒した姫を隠し馬車を使って礼拝堂に運び込んだのだ。


 目を覚ました時、パルテリースは自分がどこにいるのかわからなかった。

 酷く傷んだ礼拝堂に転がされている。

 手足は縛られ身動きが取れない。だが口は自由にされている。


「くそっ! なんだこれ!! おーい!!! 誰かいねーのか!!!」


 大声で叫ぶと礼拝堂の戸が開く。

 入ってきたのはイーファン騎士団長だ。

 それで昨日の記憶が蘇る。そうだ、自分はこの男と会って意識を失ったのだ。


「ここは滅多に誰も来ない。叫んでも体力の無駄だ」

「団長!! こりゃどういうことだオイ!!」


 床の上でもがきながら叫ぶパルテリースをイーファンが冷たく見下ろしている。


「悪いですな、姫。ですがどうしてもあなたを今自由にするわけにはいかないんだよ」


 冷徹な宣告にゾクッと背筋に寒気が走った。

 本当にこの騎士団長が自分をここへ拉致したのだと今更ながらに理解する。

 大罪である。これが表沙汰になればこの男は破滅する。


 つまり……。


 自分が今命の危機にあるのだと理解して彼女の頬を冷たい汗が伝う。


「あなたが昨日会った男の話をな、他の誰かにされるわけにはいかん」

「……ダグラス様の……」


 ニヤリとイーファンが笑った。

 そしてゆっくりとパルテリースに歩み寄り、片膝を突いて顔を近づけてくる。


「面白いことを教えてやる。昨日あなたが会った男はダグラスによく似た男なんかじゃない。……本物だよ。本物のダグラス・ルーンフォルトだ」

「あぁ?」


 今自分が置かれている立場も一瞬忘れて姫は表情を歪めた。

 ……何をバカな、と。


「フフ、とっくに死んだ筈の男だろうってか?」


 そして再び立ち上がったイーファンは長椅子の1つに乱暴に腰を下ろし足を組む。


「昨日あの後俺も会ってきたんだよ。……驚いたぜ、フフフ」


 どういう感情からなのかイーファンは笑っている。


「本物だ! 本物だったよ!! 生きてたんだ、フッ…ハハハ!! いや悪い夢を見てるみたいだぜ!!」


 哄笑するイーファンの意図が読めずにパルテリースは困惑するばかりだ。

 ふいに笑い声が止む。

 そして一瞬の沈黙の後……。


「ちゃんと殺したつもりだったのにな……」


 姫の顔が強張る。


「そうだ。殺したんだよあの日。俺が……俺たちがあの男を殺したんだ。……イヤ、生きてたんだから正しくは殺そうとしてしくじってたって事か」

「……な、なんで……」


 その声は震えている。

 カチカチと奥歯が鳴る。


 その姫をイーファンが見る。感情のない目で見る。


「……お前の爺さんがそう命令したからだよ」


 そのセリフは低く静かな声で放たれた。

 だがパルテリースの耳には落雷の轟音にも似た衝撃と痺れを残す。


「ウソだ」


 僅かな沈黙の後で絞り出すようにして言う。


「嘘なもんかよ。逆に聞くが他に誰が俺たちにそんな命令を下せる?」


 パルテリースは言葉がない。


「理由も教えてやろう。姫様……アンタのお爺様はな、本音じゃダグラス団長が大ッキライだったんだよ。ダグラス団長がお爺様が心底見下してた平民の出だったからな。ずっと内心で苦々しく思ってたんだよ」


 それを同じ平民の出のイーファンが語る。

 先王ロムルス三世の貴族主義のことなど勿論パルテリースは何も知らない。


「だがあの時代は戦争をやってた。団長のズバ抜けた指揮官としての能力も捨て難い。だが可愛がってて目に入れても痛くねえ自分の娘を嫁にやるのは絶対にイヤだ。……それで大戦の後の帰り道で暗殺指示が出た」

「…………………………」


 パルテリースは歯を食いしばって俯いている。

 朽ちかけた木の床にぽつぽつと涙の雫が落ちる。


「王都に戻ってしまえば暗殺は一気に難しくなる。すぐに婚約発表する段取りになってたしな。その前に始末したかったんだよ、お爺様はな」


 悪魔のような実の祖父の謀をその孫に聞かせるイーファン。

 その目は遠く二十数年前の夜を見ていた。


「俺を含めた団長麾下の部隊長全員が裏切った。指揮をしたのはクラウスの爺さんだ。……毒を飲ませて全員で襲い掛かって最後は崖から落とした。まさか、あれで生きてたとはな」

「お前らは悪魔だ」


 パルテリースの言葉にイーファンが意識を現実へ戻す。

 床の上の姫はまだ涙を流していたが強い怒りの炎を宿した目で自分を睨みつけていた。

 フッ、とイーファンは笑う。

 どんな意味の笑みだったのかわからない。

 ただ……嘲りの冷笑ではないように見えた。


「仰る通りで、お姫様」


 そして倒れる姫に歩み寄ると乱暴にその顎を掴んだ。


「……!? ンぐっ!!」


 丸めた布を噛ませその口元を縛る。


「実はな、今日ここにダグラス団長を呼んである」


 パルテリースの顎を掴んだまま顔を寄せたイーファンが耳元で囁いた。


「生きて帰れるのは俺か奴のどちらか片方だけだ。姫様、折角だからアンタは特等席で観戦する権利をやるよ。せいぜい奴が勝つようにお祈りしてな。俺が勝てば、アンタは憧れの英雄と命日が重なることになる」

「…………………………」


 言葉を取り上げられたパルテリースはただ睨むことしかできない。

 再び長椅子に腰を下ろすイーファン。


「恐らく日が傾きかけた頃に奴は来る。……それまで待つとしようぜ」


 そして裏切りの騎士団長は腕を組んで目を閉じた。


 ─────そして数時間後。


 イーファンの立ち上がる気配にパルテリースは目を覚ます。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 銀髪の男はもう何も言わず、姫を一瞥もせずに礼拝堂から出て行った。

 

 パルテリースは床の上をもぞもぞと移動して壁に身を寄せる。

 朽ちかけた礼拝堂の壁にはいくつも小さな穴や板材の裂け目がある。

 そこから外を伺うことができた。


 ……草原にあの人が立っている。

 ダグラス・ルーンフォルトが……立っている。




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