第11話 遠い日の夕暮れ

 イーファン・メレクがダグラスに密会の場所として指定してきたのは王都城壁の外……そこから近いある村の礼拝堂の脇の空き地だった。


 礼拝堂は普段は無人であり、村での祭事がある時だけ王都から神官が来て開放される。

 とはいえ、忍び込む方法はいくらでもありダグラスと仲間たちの悪ガキ時代は皆の隠れ家、秘密基地のようなものだった。

 皆が成長するとここはちきんと許可を得た上での修行場となった。

 礼拝堂脇の草原には地面に打ち付けられた案山子に古い鎧を着せたものが並んでいる。

 正規の訓練を終えた後で皆はここへ来てよく汗を流した。


 ──────────────────

『ああっ、くそッ! やっぱり勝てねえ!!』


 彼の脳裏に響く声。

 遠い日の事が記憶に蘇ってくる。

 自分の前で木刀を持つイーファンが大の字に転がっている。

 騎士団に入りたての頃、弓に比べて剣が不得手なイーファンに頼まれてよく特訓に付き合った。


『ちきしょー、負けたから約束通り今日の奢りは俺だぜ』


 ダグラスは思い返す。

 それも奴自身から言い出したことだ。

 今思えば特訓に付き合わせている礼だったのだろう。

 礼だ、と素直に言えないのが奴らしい。

 ──────────────────


 時刻は夕刻。

 会う時間は指定されていなかったが、ここで会うのならこの時間だとダグラスは判断した。

 2人の特訓の時間帯だ。


「昔を思い出すだろ? そうだ俺たちがここを使うならこの時間だよな」


 草原に立ち、朽ちかけた案山子を見て過去に思いを馳せていると礼拝堂の戸がゆっくりと開く。

 そしてイーファンが出てくる。

 相変わらずのラフな格好で鎧は着ていない。


「最初に言っておきたいことがある」


 ゆっくりとした足取りでこちらに来るイーファンに向かって彼は言う。

 草原で対峙する2人。

 両者帯剣している。イーファンは得意の弓は持っていない。


「ロムルス先代とカルタスの2人を殺ったのは俺じゃないぞ」

「ふぅん……?」


 僅かに首を傾けるイーファン。

 意外だといった風でもなく反応は薄い。


「クラウス爺さんはアンタだつって血眼になってるぜ?」


 ぐったりした感じでダグラスはこめかみを押さえた。


「ヤツはその場に居合わせた。真犯人は逃げちまってて俺が運悪く残ってたんだ。それで誤解された。俺はあの夜先代にもう俺に関わるなと言いにいったんだ。そうすりゃこっちからももうお前らには関知しないってな」

「……………………………」


 イーファンは腕を組んで黙っている。

 まるで値踏みするように此方を伺いながら。

 やはり言い分が苦しいか……ダグラスが僅かに奥歯を噛む。100%事実なのだが自分が逆の立場で聞かされたとしても信じまい、そう思いながら。


「まあアンタがそう言うならそれが事実なんだろうよ」


 やがて口を開いた銀髪の男は意外とあっさりダグラスの言い分を受け入れた。


「今更俺を騙したって何の意味もないだろう。どうせ……」


 殺意が視線に宿る。


「数分後にはどっちかが死んでるんだ」

「……………………………」


 今度はダグラスが黙る番だ。

 そんなつもりはないがそれをどう説得するか……。


「実の所俺にとっちゃどうでもいい話だしな」


 続いた台詞には嘲りの響きがあった。


「誰が殺ったとしたって死んで当然のヤツらだよ。そうだろ? 同じ穴の狢の俺が言うんだ間違いないさ」


 イーファンは軽く肩を竦める。


「アンタは知らんだろうが先代はアンタの国葬で大泣きしてたぜ。大した役者だよ。自分が殺させておいてな。それにカルタス……アイツはな……」


 カルタスの名を呼んだ時、その瞳に闇の色が濃くなったように見えた。


「あいつはあの後でヒルディンも殺したんだ」

「!!」


 少なからぬ衝撃を受けてダグラスはイーファンを見る。

 事故死とされていたヒルディン・ライアンを殺したのはカルタスだと言うのか?


「ヒルディン……あいつはな団長、戦場であらゆる汚れ仕事をこなして来ましたみたいな顔してたろ? だが実際んとこ仲間を裏切った事だけはなかったらしい。あの夜の後でヒルディンだけは露骨におかしくなっちまった。酒に溺れてみるみるうちにボロボロになってったよ」


 イーファンが苦々しげに表情を歪めた。


 ──────────────────


 ───あの裏切りの夜から2年が過ぎていた。

 この頃になるとヒルディン・ライアンは毎夜酒を浴びるように飲んでは前後不覚になり、様々なトラブルを起こしていた。

 酩酊するとダグラス団長の名を呼び、泣きながら詫びるのだという。

 今の所はそれは団長を守れなかった罪悪感から出ているものだと思われているようだが……。

 このまま壊れ続ければいつ酔って事の真相を口走るかわかったものではない、と共犯者たちからも徐々に危険視されつつあった。


「とにかくヒルディンをこのままにはしておけん」


 ある冬の日の朝、王城の謀議の部屋でイーファンはクラウスと相対していた。

 イーファンの言葉を黙ってクラウスが聞いている。


「幸い遠方に働き口を世話してやれそうだ。とにかくこの都から遠く離して酒を抜かせる」


 そしてイーファンはクラウスを鋭く睨む。


「言っておくがな、口封じをしようなどと考えるなよ。アンタがそう動くなら俺にも考えがある」


 クラウスは静かに首を横に振る。


「そうは考えておらぬ。お前の言うその案でよかろう」


 真意は測れぬが一先ず同意は得られた。

 そこで戸が開き厚着のカルタスが入ってくる。


「ひぃ、寒い寒い……。おお、ちょうどよかったお二人。今他の方々にも集合を呼びかけてきた所ですよ」

「何の話だ? カルタス」


 イーファンは怪訝そうな顔をする。


「何って、ヒルディンの事ですよ。さっき殺してきましたからこれでもう安心ですよ。あぁ、くたびれた」


 暖炉の火に両手を翳しながら億劫そうにカルタスが言う。


「なっ……!!」


 イーファンの顔が強張る。


「殺した!? どういう事だ!!!」

「どういうって……そりゃわかるでしょう? あいつをあのままにしてたらいつ私たちも破滅させられるかわからないんですよ? もう殺すしかないでしょう」


 カルタスは平然としている。


「何もわからなくなるまで飲ませてから用水路に突き落としたんですよ。酔って足を滑らせたって事で決着するように手配をお願いしますよ」


 どことなく自慢げですらある。

 瞬間的に頭に血が上りイーファンはカルタスの襟首を掴み上げた。


「貴様ァ……!!」

「わわっ、ちょっ……何を興奮してるんですか!!? 怒ってる!!?? そんな権利我々にはないでしょうが!!!」


 その言葉に冷水を掛けられたような気分になり腕を離す。

 自由になったカルタスはげほげほと咽ながらイーファンを睨んだ。


「……まったく、あなたたちに代わって殺ってきてあげたんだから感謝されたっていいくらいですよ。それをこんな」

「……………………………」


 そう『仲間殺し』に関して自分は他人を責める資格はない。

 ない……のだが…………。


 ──────そして現在。


「確かに俺たちは同じ穴の狢だ。仲間殺しの外道どもだ」


 苦々しくそう言うとイーファンは一瞬視線を伏せた。


「だが、どうにも好きになれん狢もいる」


 そして銀髪の男は腰に帯びた長剣の柄に触れた。


「それじゃ……やるとするか」

「俺をやった見返りに騎士団長になったのか?」


 ダグラスの問いにイーファンが頷く。


「ああそうだ。アンタを殺れば騎士団長にしてやるって言われたよ。……まったく……クラウスの奴は本当に大したもんだぜ。俺が騎士団長になりたがってる事なんざ誰にも話した事もなかったし、態度にも出さないようにしてたのによ」


 確かにイーファンがそれほど騎士団長の座を望んでいる事などダグラスはまったく知らなかった。

 その気配すらもなかった。

 それを見抜いて暴いてしまうのがクラウスの洞察力の恐ろしさか。


「俺を釣るなら最上のエサだったよ。もしそれ以外の条件を掲示されてたら俺は何もかも失う覚悟でアンタに暗殺の話を打ち明けてたぜ」


 イーファンはほろ苦く笑う。


「俺を部隊長に推してくれたのもアンタだった。強くて優しくてよ……自慢の兄貴分だったぜ。あんな事がなきゃ……きっと俺は今でも団長のアンタの下で何の不満もなくやってただろうよ」


 そんなイーファンの目がギラリと剣呑に光る。

 それは執念と狂気の炎だ。

 長年この男が心の奥底に隠して押し殺してきたものだ。


「だがよ……!! 団長にしてやるって言われちまったんだよ!! どんだけ足掻いても絶対に手に入らないだろうって……辺境の貧乏猟師の倅じゃなれねえんだって諦めてて、それでも血を吐くくらいなりたかった騎士団長によ!!!」


 ダグラスは何も言えなかった。

 共感はない。正直自分が団長になった時はこれ程の渇望があったわけではない。

 だがその座がこの男にとっては何よりも重いものだったことはわかった。

 そのたった1つの望みが彼を慕っていた弟分を壊してしまったのだ。


「今も少しも後悔はしてねえ!! やり直せたって何度でも俺は同じ選択をするぜ!! 大好きだったアンタを殺してでも……団長の椅子が手に入るならな!!!」


 イーファンは咆哮する。

 その叫びの奥にダグラスは激痛の悲鳴に似たものを感じ取っていた。

 少なくとも裏切り者たちの中でこの男は自分の利益のためと割り切って事に臨んだわけではなかったらしい。


「………そうか」


 そしてダグラスは手を掛けていた腰の剣の柄を離す。


「なら話はこれで終わりだ。戻ってその団長の続きをやれよ」

「……………………………」


 イーファンは険しい顔のまま彼を見ている。


「本気かよ。……アンタ本気で俺を見逃すつもりなのか」


 そうだ、とダグラスは頷いた。


「言ったろ、俺はもうお前らに関わる気はないんだよ。お前らさえ何もしてこなきゃな。生きてたとか言う気もないから安心しろよ」


 肩を竦めて息を吐く。


「俺はお前を許さん。だが否定もしない。そうまでしてなりたかったんだろ……じゃあしっかり勤めろよ」


 それだけ言うと背を向ける。

 夕焼けが赤く照らす草原でダグラスは歩み去る……そのはずが………。

 背後で響いた冷たい抜剣の音にダグラスは振り返る。

 イーファンは白刃を手にしていた。


「アンタは良くても俺はそうはいかねえんだ」

「イーファン!」


 声を荒げて片手を上げる。彼の動きを制するように。

 だがイーファンの殺意を宿した鋭い眼光がダグラスを射抜いている。


「汚れ仕事だろうとな。俺が選んだんだ。やると自分で決めたんだよ……」


 じり、と距離を詰めてくる。

 構えに隙がない。

 ……本気だ。


「アンタを殺せば団長になれるって自分で選んだんだよ。ところが何だ? 仕事はやり損なっててアンタは生きてました? その上そのアンタにはお情けで見逃されました? それじゃ俺の騎士団長の座も……人生も全部ウソ……間違って転がり込んできたものって事になっちまうじゃねえかよ」

「……イーファン」


 どうしようもない苦味にダグラスが奥歯を噛む。

 バカが……開き直って笑って受け入れればいいのに。

 自分は結局手を汚さずに終われたんだと……望んだものだけ手に入ったんだと。

 

「俺を裏切れても……夢だけは裏切れないのか……」


 その嘆きはダグラスの口内で消えて実際に声になる事はなかった。


「全部幻になっちまう!!! それだけは……それだけは絶対に……」


 イーファンが跳躍する。

 それはかつて長剣を不得手にしていた男のものとは思えないほどの……。

 かつての、騎士団長時代の自分であれば討ち取られていたかもしれないとダグラスが思うほどの……。


「認めるわけにはいかねえんだよ!!!!!」


 裂帛の気迫の凄まじい斬撃だった。


「……………………………」


 目を閉じる。彼は1秒にも満たない僅かな時間に遠い日に過ぎ去ったあの日を想った。

 夕焼けの赤い光の中で可愛がっていた弟分は痣だらけの顔で不器用に笑っている。

 そして剣の柄に再び手を掛ける。

 

 ……刹那。

 

 二筋の銀閃が交差する。

 両者はすれ違い、互いに背を向けながら静止した。


 ……そして、数秒後に片方の影がゆっくりと崩れ落ちた。


 草原に大の字になってイーファンが倒れている。

 袈裟懸けに切り裂かれた太刀傷は間違いなく致命傷であり、その身体から生命が今にも尽きようとしているのは誰の目にも明らかだった。

 そんな彼をダグラスが黙って見下ろしている。


「すまねえが……1つ……」


 震える手を持ち上げて先ほど自分が出てきた礼拝堂を指差す。


「あの中に……姫がいる。ディアドラ様の娘だ。俺が……連れてきた……」

「!!」


 驚いて目を見開くダグラス。


「全部聞いてたはずだ。……事が終わったら……口封じするつもりだったが……このザマだ。悪いが……アンタが……連れて帰って……やって……くれるか……」


 それなら何故先に殺していない?

 わざわざやり取りを聞かせる必要などなかったはずだ。

 もしかしてこの男は最初から……いや、もうそれを確認している時間はなさそうだ。

 黙ってダグラスが頷くとイーファンは満足そうに長い息を吐いた。

 その瞳から急速に光が失われていく。


「ちきしょう……やっぱり……勝てねえな。今日の……奢りは……俺……だ………」


 ……そうしてイーファン・メレクは最後の息を吐く。

 

 動かなくなったその男の表情は死に様に反してどこか穏やかだった。




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