第10話 貝のパスタと林檎の酒と
先代王ロムルス三世の暗殺劇より2日が過ぎた。
その昼食時のこと。
ダグラスたちが泊まっている宿の1階はレストランになっている。
味が良い。店内の雰囲気も良い。
ただ表に面して壁面はガラス張りで店内は丸見えである。
その為これまであまり顔を晒したくないダグラスは利用していなかった。
だが今日の昼食はそこで取る。
部屋に引っ込んだままだとエトワールが粉もんばっかり買ってくるから……というわけではない。いや、やっぱりちょっとはそれもある。
とにかくコソコソするのはもう止めだという意思表示みたいなものだ。
そもそもが彼は
それが何の因果で部屋に篭って粉もんばっかり食べる羽目になっているのか。
頼んだ物は貝のパスタと林檎の酒。
……ずっと昔、ダグラスが好物にしていたものだ。
あれから随分時間が経ち店の主も代替わりしているようだが味は変わっていない事を彼は嬉しく思う。
「小洒落たもの食べますねぇ」
そういうエトワールの前にあるのは餃子とライスである。
彼女はどんな時でもがっつりいく。
小さな身体だがエネルギッシュな女性だ。
補給も重要なのだろうとダグラスは思っている。
「昔好きだったんだ。訓練の後によく皆でここに来てね」
彼は当時の事を思い出す。
皆若くがむしゃらだった。国の為に働こうとも思っていたが腕を上げて成り上がりたいという若者らしい野心も持っていた。
そして、肩を並べて汗を流すあいつらを戦友だと思っていた。
……それが、最期はああなった。
「ん、ちょっとブルー入りましたね?」
ダグラスの表情が一瞬陰ったのがわかったのか。目敏いエトワールである。
彼は自分では吹っ切ったつもりだが……それでもまだ時折ふと思い出が蘇って胸を刺す。
そうはいっても昔を思い出してはうじうじしてるやつみたくなるのも嫌なダグラスである。
さてどうやってごまかした物かと思案していると……。
「おっちゃんお代わりだ!」
やたら荒っぽい女性の声が店内に響いた。
2人がそちらを見れば女性の1人客がやや離れた席にいる。
何か丼ものを食べていたらしいが……。
「姫様、食べすぎじゃないですか?」
主人が丼を下げながら言った一言が耳に入り、ダグラスとエトワールは同時にその女性に視線を戻していた。
(姫様? あだ名か……?)
見たところラフな格好の気の強そうな美人だ。姫というニックネームが付きそうな印象はない。
「いいんだよ! 食わなきゃやってらんねー! 王城は今ギスギスしてて居心地悪いしな……」
王城と彼女は口にした。本物の姫君なのか?
とすればそれは今王妃であるディアドラの……。
「センセ、見すぎ」
小声でエトワールが忠告してくれたのだがわずかに遅かった。
姫と呼ばれた女性とダグラスは目が合ってしまう。
「……あ~ん?」
すんごい剣呑な表情でギロリと睨まれた。
怖い。ガラが悪すぎる。
慌てて彼は視線を戻す。
そしてわざとらしくフォークで皿の上を突く。
「センセ、アーンがまだこっち見てます」
「まだ!? もう1分以上経っただろ!?」
小声でぼそぼそとやり取りする。
あんな眉間引き攣りそうな表情ずっとしてて疲れないんだろうかと考えながら。
そしてその「あ~ん?」の張本人……パルテリース・ファーレンクーンツはというと。
(うおおおぉぉ!! なんだあの人!! か、かっけえぇぇぇぇ!!!)
2人の全然まったく想像もできない理由でダグラスから視線を離せなくなっていたのだった。
「あ~ん?」の表情を元に戻すことすら忘れて。
(男前だぜ……!! アタシの敬愛するダグラス様にそっくりじゃねえか!!)
王城の広間にダグラス・ルーンフォルトの大きな肖像画が飾ってある。
当時を知る者に聞けば肖像画は非常に出来がよく本人そのものであるという。
悲劇的な死を迎えた英雄。
母の昔の恋人だったという元騎士団長。
何しろ容姿がドストライクだ。その人柄と無類の強さを物語る数々のエピソードもいい。
自分にとっての憧れの象徴。
幼い頃よりその肖像画の前はパルテリースのお気に入りのスポットだ。
まあしかし彼女も今自分がガン飛ばしてる相手がまさかその当人だとは思うまい。
そのパルテリースの元に注文したお代わりを主人が持ってきた。
ようやく自分から視線が外れてほっと胸を撫で下ろすダグラスだったが……。
ガタッ!!と椅子を鳴らしてやおらパルテリースが立ち上がる。
そしてつかつかと足早に向かってくる。
「センセ、来ました」
「ええええどうしよう」
狼狽するダグラス。
開き直ったとはいえなるべく人目は引きたくないのに……。
「あ、あの……これ!!!」
がちゃん!と乱暴にダグラスの前に蓋付き丼が置かれる。
置かれた勢いで蓋が小さく跳ねた。
「アタシのおごりです!! よ、よかったらどうぞ!!!」
真っ赤な顔でまくし立てるとそのままダッシュでパルテリースは出ていってしまった。
これ彼女のところにきたお代わりのはずなんだが……。
「ああ姫様お支払い! ……あぁ、しょうがないまたお城につけておくかあ」
主人が嘆いている。
「センセ、おごりですって」
エトワールが丼の蓋を取る。
実に美味しそうなカツ丼である。
「えええいらなぁい……」
ダグラスも嘆く。何せ普通に食事とり終えた直後である。
「何かまたメンドクセー事になりそうな気がしますよウチは」
パルテリースの走り去った先を見てエトワールが半眼で呟いた。
────────────────
食堂を飛び出したパルテリースは猛ダッシュで大通りを駆け続けている。
(はあァァッ!! やっべ!! 声かけちまった!!!)
すれ違う人々が皆何事かと振り返る。
顔が熱い。心臓はうるさいほど鳴っている。
猛進しながらぐちゃぐちゃの頭の中に色々な思いが交錯している。
(ああ!!?? バカ!! 名前も聞いてねえじゃねえか!! どうすんだもう戻れねえ!!!)
砂埃を上げて急ブレーキを掛ける。
今から戻ったらヘンなヤツになってしまう。
いきなり初対面の相手にカツ丼奢ると押し付けた時点で既にヘンなヤツなのだが本人の頭にはそれはない。
通りのど真ん中でうんうん唸って悩んでいると……。
「こんな所で何をやってるんですか姫様」
声が掛かってパルテリースは顔を上げる。
目の前に立つのは長身の銀髪の男……良く知る顔だ。
「ああ、団長か。いや、その……ちょっとな」
銀竜騎士団長イーファン・メレクが立っていた。プライベートなのか鎧姿ではない。
パルテリースとしては城を抜け出してふらふら出歩いている所を見つかったのだからばつが悪い。
イーファン団長は普段あまり交流のある相手ではないが……。
無理やり連れ戻されたりするだろうか? と内心少し身構える。
「クラウス爺さんがその辺走り回ってるはずです。見つかればうるさいですよ」
そう言って「では」とイーファンは頭を下げる。
見逃してくれるらしい。
「へへっ、悪いな」
ほっとしてパルテリースが破顔する。
そういえばイーファン団長はダグラスが団長時代の部下だったはずだ。
「いやあ、メシ食ってたらさ……ダグラス様にそっくりな人を見かけてさあ。団長だって見ればきっとびっくりするぜ」
立ち去りかけていたイーファンの足が止まる。
「ほう?」
ゆっくりと振り返るイーファン。
その口元に薄い笑みが浮かぶ。
「それは是非詳しくお伺いしたいですな」
────────────────
かなり時間は掛かったがようやく丼は空になった。
律儀に完食しなくてもよさそうなものだが、そこは「出されたものは残さない」というのがダグラスの身上である。
「はいお粗末さまでしたっと。行きます?」
エトワールに首を横に振って反応する。
ちょっとまだお腹苦しいので動きたくない……ダグラスの引き攣った顔で察するエトワール。
────そこへ。
「食い物の好みを変えたのか?」
声がして……彼の正面の椅子に誰かが腰を下ろした。
脇へと追いやられる形になったエトワールが「オイ」と不満げな声を漏らす。
だが、座った男は彼女を一瞥もしない。
「アンタが好きだったのは貝のパスタだったろ?」
目の前の男は元々細い目を更に細めて口の端を僅かに上げた。
「そっちはもう食ったよ。味は変わってなかった、よかったぜ」
そう目の前の銀髪の男に……イーファン・メレクにダグラスは言う。
そして両者の間に暫しの沈黙が舞い降りた。
「……本当に生きてたんだな。正直こうしてツラ付き合わせててもまだ信じられねえ」
やがてイーファンが口を開く。
低い声からはどのような感情も感じ取ることはできない。
「お生憎様だったな」
そっけなくそう返すと、くっくっとイーファンが喉を鳴らして笑った。
そして銀髪の男はゆっくりと席を立つ。
「積もる話もあるがここじゃお互いゆっくり話せたもんじゃねえ」
ダグラスの目の前に二つ折りの紙片が投げ出される。
「明日そこへ来てくれよ……1人でな」
イーファンの口元から冷笑が消える。
「俺も1人で待ってる」
「……行くとは限らんぞ」
立ち去りかけたイーファンの背にそう言葉を投げかけると……。
「フフ、冷たい事言うなよ。色々聞きたい事があるんじゃないか? 俺なら答えてやるぜ。俺以外の連中と話しても埒が明かないぞ。……じゃあ、待ってるぜ」
かつての部下はそう言うと店を出て行った。
ドアベルの鳴るカランカランという軽快な音が店内に残る。
「イーファン・メレクだ」
黙って事の成り行きを見ていたエトワールに説明するダグラス。
「どうすんです?」
エトワールの視線の先は先ほどイーファンの残していったメモ書きだ。
彼はそれを手に取り、開いてみる。
「まあ、行ってくるよ。どっちにしろ連中の誰かと話をしなきゃどうしようもない」
「罠かもしんねーですよ」
やや渋い顔のエトワール。当然の指摘ではある。
相手はかつてダグラスを罠に掛け騙まし討ちで殺そうとしてきた相手だ。
「かもしれないが言い出せばきりがないしな。どちらかの全滅で事を終わらせるつもりはないんだから、こっちは正々堂々と相対するよ」
それはこっちが『魔人』であるという大きなアドバンテージがあっての話ではあるが……。
それに、と口には出さずにダグラスは考える。
メモ書きの指定の場所に付いてだ。
……何となく『ここ』を指定してきた以上はあいつは言った通り本当に1人で待ってる気がする。
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