第8話 玉座の間にて

 玉座の間は静まり返っていた。

 早朝から人払いされ普段ならその場に控えているはずの衛兵や従者の姿はない。


 そして支配者の空間に1人苦悩する者がいた。


 玉座に座った男は険しい表情を浮かべている。

 彼の名はフリードリヒ・ファーレンクーンツ。現在のこの国の頂点に立つ人物。

 舞台役者のような彫りの深い整った顔立ちには苦悩の影が差している。

 その膝の上には1枚の書簡があった。

 紛れもなく彼の義父、先代国王ロムルス三世の筆跡によるものだ。

 それは深夜に義父の訃報と共に彼のもとに届けられた。

 届けてきたのは長年義父の腹心として重用されてきたクラウス・ハインリッヒ。


 手紙の内容はこうだ。

 ────────────────────────────────────────────

 もしも数日中に自分が何者かの手に掛かり命を落とす事があればその事実は厳重に秘匿し死因は病死であると発表してほしい。犯人の捜索は行わぬこと。この件は王家の暗部に関わるものであり後の処理はクラウスに任せその指示に従うこと。

 ────────────────────────────────────────────

 まとめるとそのような事が記されている。

 署名の日付は昨日だ。

 これを記してすぐに義父はあのような無残な最期を遂げたことになる。

 緘口令を敷いて表向き王宮は平常通りの様相ではある……だがどこか皆不安げであり空気がピリついている。

 訃報を受けて妻ディアドラは泣き崩れた。

 だが彼女は最期を看取る事のできなかった実父の……その遺体と対面させてやる事もまだできていない。


 最期……そう、フリードリヒ王はその亡骸と対面している。


(何故なのです、義父上……。何故あなたがあのような死を迎えねばならぬのですか。王家の暗部とはなんなのですか)


 フリードリヒ王にとっての義父ロムルス三世とは温厚な人格者だった。そして自分の印象が国民のそれと乖離していない証明として民たちにも名君として慕われていた。

 フリードリヒ自身もロムルス三世を良き指導者の手本、良き義父として尊敬し慕っていた。


 今日の公務はすべてキャンセルした。とても仕事のできる精神状態ではない。

 何よりも彼の心に重くのしかかっているのが妻と娘の事である。

 手紙には特にその2人には事実を知られぬように取り計らってほしいと重ねて記されている。

 妻……ディアドラにとっては実の父の事なのにだ。

 その死因を偽らねばならないとは……これまで自分は妻に対して1つも隠し事をした事はない。

 長く社交界にいて腹芸にも慣れてはいるつもりだが今度ばかりは嘘を突き通せるのか自分でも自信がないのだ。


「国王様」


 呼ばれて顔を上げる。

 侍従カーライル・バロックスが控えていた。

 体格のいい色黒の中年男だ。フリードリヒにとっては祖国ラスティオンから婿入りする時に連れてきた長年の信頼できる腹心である。


「どうした。いいというまで誰も入るなと言ってあったはずだ」

「お言葉ですがもう午後にございます。せめて何か口にしてくださいませ。大変な時であるからこそ国王様の身にまで何かあればと我らも気が気ではございませぬ」


 もう午後か。気が付けば数時間もここで煩悶していたらしい。


「……わかった、何か軽くつまめる物を」


 一礼して侍従が退出する。

 深く息を吐いて玉座に座り直す。

 遺言となってしまった書簡にもある通り、あとの事はクラウスに任せた。

 既に子飼いの部下たちを使って動いているようだ。

 先代王の暗殺という大事件でありながら事件を公にもできず下手人を秘密裏に捜索しなくてはならぬとは……相手はよほど表には出せない人物という事なのか?

 詮索するべきではないと思いつつも疑問は次から次へと頭に浮かんできて尽きることがない。


「……パパ」


 急に声が聞こえてフリードリヒはびくんと肩を震わせた。

 顔を上げると愛娘が……パルテリース・ファーレンクーンツが傍らに立っている。

 今年20歳になる国王にとっては目の中に入れても痛くないと言ってよい自慢の娘だ。


 性格は素直な明るいよい娘である。

 ……少々粗雑な部分もないとも言えないが……。


 橙色がかったブロンドの気の強そうな美人だ。

 女性としては長身であり引き締まってメリハリのある体系をしている。

 一見すれば雰囲気含め王族というよりかは戦士か競技者だ。


「パルテ……どうして。ここには入ってはいけないと」

「本当なのかよ……パパ。お爺様は殺されたのか?」


 パルテリースの言葉に国王の表情が凍り付く。

 事情を知るものには緘口令を徹底したはずだ。それなのに……。


「滅多なことを言うものではないよ、パルテ。どこでそんな話を?」

「…………」


 問い返されてパルテリースは一瞬返答に詰まった。

 言えない。座学の講義をサボって倉庫で寝ていたら同じようにサボりにきた衛兵がいて自分がいる事に気付かず内緒話を始めたのだ。

 ちなみにサボりの理由は祖父の訃報だがサボり自体は常習犯でもある。


『酷かったぜ。真っ二つでよ……床にハラワタなんか散らばっちまって』


 そこで確かに兵士はそう言っていた。

 後片付けに駆り出された兵士らしい。


「斬られて真っ二つで……床にモツとかドバーって出ちゃってたって言うじゃねえか」

「モツゆーな! ……いいかい? よく聞きなさい。義父上はご病気で亡くなられたのだ。王家に連なるお前がそのような流言に惑わされてはいけないよ」


 必死に説得を試みる国王。

 苛立たしげに奥歯を鳴らす姫。


「お爺様はご病気なんてしてなかったろ……」

「いやそうではない。皆には隠していたが義父上は長年ご病気で苦しんでいらしたのだ。……恐ろしい難病だ。フライングサンダーハリケーン病という病気で」


 咄嗟にすごい病名が口をついて出た。


「なんだァその必殺技の名前みたいな病気はよ……」


 パルテリースは半眼である。


「これはね本当に恐ろしい病気なのだ。パワーボムを何発も連続で食らってしまった時のように体中が痛み、時にはスピニングトゥホールドを掛けられた時のように足首まで痛んでしまうという」

「症状まで必殺技食らった時みたいになってるじゃねえかよ!!」


 そこにカーライルがワゴンを押して戻ってきた。

 ワゴンには熱された鉄板が置かれ具材やへらも乗っている。


「お待たせしました。国王様のお好きな明太子と豚バラでございます!」

「お前なぁぁ」


 左腕を捲り腕を露出させるフリードリヒ。細身ながら鍛えられ血管の浮いた上腕が外気に晒される。

 ……心のゴングが鳴り響く。

 今からここは玉座の間ではない。四角いマットの上なのだ。


「ちょっとつまむつってんだろうが!! もんじゃ持ってくんなや!!!」


 そして渾身の左ラリアットが従者に炸裂した。

 飛び散る汗が照明に照らされキラキラと輝く。

 カーライルの顔は苦悶に歪みぐらぐらと上体が揺れる。


 ……だが倒れない。従者は根性で耐える。


「オラァッ!! オラアアアッッッ!!!」


 そこへ追い打ちの国王水平チョップの嵐。

 容赦なく胸板へ叩き込む。

 ばちんばちんと凄い音が響き渡る。

 しかし、従者はやはり耐えている。

 防がない。かわさない。主人の攻撃は全て受けきる。

 そこに従者の矜持がある。

 ここは漢のプライドのぶつかり合う場所なのだ。


 そこで玉座の間の大扉がバーンと大きく開け放たれた。


「……あなたァ~」

「あ、ママ」


 入ってきた黒い喪服のドレス姿の女性……ディアドラ・ファーレンクーンツ王妃。

 かつての騎士団長ダグラスの婚約者。

 そしてその婚約者を亡くした悲劇の姫君だった女性。


 その悲しい別れが彼女を変えた。


 悲しみを忘れる為に彼女は食った。

 ただひたすらに食った。

 浴びるように食った。

 そしてその食材全てを血肉に変えて彼女は巨大な肉の要塞に変貌していた。


 横幅は以前の数倍。

 雪の日に白く塗って玄関先に飾っておけば巨大な雪だるまに見えるだろう。

 お正月に台に乗せて座らせておけば巨大な鏡餅に見えるだろう。

 そんな丸っこくてぽよんぽよんのボディが今の彼女のトレードマークである。


「あなたァ、わたくしもう悲しくて悲しくて……」


 ディアドラ王妃はハンカチを目に当て嘆いている。


「お父様が急にこんな事になって。それなのにわたくし対面する事もお許し頂けないなんて。……ところで死因なんでしたの? 食いすぎ?」


 ちょっと自分基準入った推測をしている。

 もんじゃ焼きながらパルテリースがちがうちがうと手を左右に振っている。


「いや違うんだってママ、モツがこぼれたらしくて……」

「まあまあ! モツ鍋!! モツ鍋食って食当たり!!?」


 まだ自分基準が抜けてない。

 そこへカーライルをがっしりとスリーパーホールドの体勢に決めたまま王が駆け寄ってきた。


「違う違うんだ!! 義父上はご病気だったのだ!! ハイアングルイーグルニープレス病という難病で怪鳥のような奇声を発しながらトップロープから跳躍し相手に膝から落下するという……」


「トップロープはどっから出てきたんだよ」

「あと膝から落下してくる病人を食らってる『相手』っていうのもどこから出てきたのかしらね」


 もんじゃを食べながらツッコミを入れる母娘。


 そして先ほどからタップしてギブアップの意思表示をしているのに国王が気付いてくれないのでカーライルは白目を剥いて泡を噴いて失神していた。


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