第6話 惨劇の始まり、蠢く復讐者
カルタス・ボーマン……ダグラス騎士団長時代の部隊長の1人。
そして裏切りの夜に彼を殺めた刺客の1人でもある。
王都の一角、身分の高い者や富豪たちが居を構えるエリアに彼の現在の住居がある。
白亜の大豪邸である。
ここに彼は妻子と十数人の従者と共に生活している。
ダグラスの暗殺の見返りとして男爵位を得たカルタス。
それに伴い領地も与えられた彼はそこからの収入で生計を立てている。領地の葡萄畑で取れる葡萄から作られる酒の売り上げがずっと好調であり財産はかなりのものだ。
ガチャガチャと夜半に響く家捜しの音。
その豪邸の主は今自室に籠り必死に荷造りをしている。
「冗談じゃない。冗談じゃないぞお……今更団長の相手をしろだと!? やってられるか……!!」
汗だくになり大きな旅行鞄に必死に金目の調度品を詰めている。
「危ない橋を何度も渡ってようやくここまで来たんだ。逃げ切ってやる……! 金も誰にも渡すものか!!」
逃亡の準備らしいが生活用品をまったくカバンに入れていない。
ひたすら高額の品ばかりを詰め込む。
「どこか……どこか遠い国に身を潜めるんだ。銀行の支店さえあれば金に困ることはない。ほとぼりが冷めるまで何年か……」
ぶつぶつと呟きながら作業を続けるカルタスは、その背後に迫る影に気付く様子はない。
静かに、そして冷たく悪意のシルエットが進む。
禍々しい人影はしゃがみ込んでいるカルタスに歩み寄ると……。
「……ぐあッッッ!!!!???」
突如右腕を伸ばしカルタスの首を鷲掴みにするとそのまま持ち上げた。
「おっ、おゴッ……!! ぐうぅッッ……!!!」
浮いた両足をバタ付かせるカルタス。
かなりの力だ。体格のいいカルタスを片手で軽々と持ち上げ揺るがない。
その男……不気味な死神を連想させるような髑髏の仮面をかぶっている。
そして全身を黒い外套で覆いその下は武装しているようだ。
暗く開いた眼窩より覗く鋭い目が足掻くカルタスを映している。
「冷たいヤツだな。久しぶりの『団長』に挨拶もせずに呑気に旅行の計画か?」
低い声でそう言うと男は髑髏の下の露出している顔の下半分の、その口元を笑みの形に歪ませた。
「!!? だ、だんちょ……ぢがッ……違うんでず………!!」
両手で必死に自らの喉に食い込む髑髏の男の指を引き剥がそうとするカルタス。
だがその手は鋼鉄のように微動だにしない。
「わだっ、わダじハ……うらギ……違ッ……おう、王命でッッ………」
ぐぐっと喉に食い込む指に力が入った。
カルタスの顔色がどんどん青紫色に変じていく。
もがく力が段々と抜けていく。
「王命か……それじゃあしょうがないな。お前は悪くない」
髑髏の男の声に一瞬救われたようにカルタスが目を輝かせるが……。
次の瞬間、ミシッ!と嫌な音を立てて男の指先に力が入り食い込んだ指先から鮮血が飛沫く。
「なんて言うとでも思ったのかァ? どうしようもねえカスが」
声色に滲んだのは呆れと嫌悪感。
もはや悲鳴を発することすらできないのか、眼球が飛び出さんばかりに目を見開いたカルタスが最期の力でもがいて暴れる。
一瞬の間を置いて何かが圧し折れる鈍い音が響き渡る。
首をおかしな方向に曲げて絶命したカルタスが床に落とされた。
そうして長年かかって集めた高価な調度品の中に彼は物言わぬ骸となって転がった。
無価値なものを見る冷めた目で足元の亡骸を見下ろす髑髏の仮面の男。
開かれた窓から吹き込む夜風がカーテンを揺らす。
その風が収まった時、室内には生きているものは誰もいなくなっていた。
───────────────
王宮の外れにある離宮は一般の尺度に合わせるなら豪邸と呼べるような建物だ。
時刻は月が空の真上にかかる頃。
離宮の外壁の外側に2つの人影が息を潜めている。
「さーて、どうやって入ります?」
何故か異様に襲撃に乗り気なエトワール。
ダグラスは特に何も持ってきていない。帯剣しているのみである。
それは考えなしだからというわけではない。
壁を見上げていたダグラスは……。
「このまま行くよ。君はここで待っていてくれ。中がおかしな事になってそうならすぐにこの場を離れてくれよ」
外壁の高さは3mほど。
ダグラスはその場でしゃがむと音も無く跳躍した。途中で一度外壁の文様の作る奥行き1cmにも満たない溝に指先を引っ掛けその腕の力……いやほぼ指の力だけでさらに上に飛ぶ。
自分の身体を投げるような感覚だ。
魔人の身体能力ならそういった芸当も可能になる。
道具を持ってきていないのは単純に必要ないからだ。
外壁の上に到達するとそのまま向こう側へ跳ぶ。
その間わずか2秒足らず。
「すっげー、かっこいい~」
残されたエトワールがあんまり緊迫感のない声で感心していた。
───────────────
離宮の奥の部屋にロムルス先王の寝室がある。
豪奢な寝台に横たわる先王。頬に風を感じた彼が目を覚ます。
「………………………」
異変は即座に感じ取れた。
まだ暗闇に目が慣れないが何者かが自分の寝台のすぐ脇に立っているのがわかった。
自分の寝台にこんな時刻に明かりを付けずに近づくものはいない……本来なら。
それが何者であるかを即座に察し全身が強張る。
「悪いなこんな時間に。偉大なる国王陛下」
その声が遠い日の記憶を呼び覚ます。
かつては強い信頼で結ばれた主従……周囲にはそう思われていた2人。
あえて、その当時の呼び方で彼は相手を呼んだ。
「ルーンフォルト……」
「座ってくれませんかね。寝っ転がられてると話しにくいんでね」
まだよく闇に目は慣れないが先王はダグラスが腰に下げている剣の柄に触ったのがわかった。
……まるで何かあれば即座にお前など斬って捨てられるとでも言うように。
部屋に明かりを灯し先王は寝巻のまま自分の椅子に腰を下ろした。
その表情は緊張で引き攣り頬を汗が伝っている。
「随分痩せましたねえ。20年前に比べて」
ダグラスはそんな王から数m離れた大理石製の小テーブルに寄りかかって腕を組んでいる。
誰かがこの部屋に突入してきたとしても一息に王を斬る事のできる間合いだ。
「余の首を取りにきたか……」
掠れる声で先王が言う。肘掛に置いた手が小刻みに震えている。
「あんたにはそれに文句を言う資格は無い。そうですよね?」
硬く、若干の苛立ちの混じった声だった。
うぐ…と先王は呻き声を上げる。
そして次の瞬間、老いた先王は素早く椅子の横に垂れ下がる刺繍の施された垂れ下がる帯のような布を掴んだ。
呼び鈴を鳴らす為のものだ。
それを力いっぱい引くとなんの抵抗もなくするりと布が落ちてくる。
「………!!!!」
先王が息を飲んだ。
瞬間移動のように目の前に現れたダグラスが布を振るった剣で断ち切っていたのである。
「悪あがきしなさんな。それ鳴らした所で駆けつけてくるヤツが残ってるかどうかは知りませんがね」
目ぼしい警備の兵たちはあらかたのしてきた。
適度に手は抜いてあるので殺してはいないと思うが……とは口には出さない。
先王がガックリと両肩を落とす。
この数分のやり取りで10歳程度年老いたような憔悴ぶりである。
「この首で満足するなら……持っていくがいい……」
「ようやく観念しましたか」
この土壇場で詫びの言葉も命乞いも出てこないのはプライドなのか。
ダグラスが白刃をロムルスの首筋に当てた。
先王が目を閉じる。
そして…………。
王は剣が鞘に納められるカキンという金属音を聞いた。
「どういうつもりだ」
「誓ってください。もう俺には関わらないと」
長剣を腰の鞘に戻してダグラスは座る先王を見下ろしている。
「クラウスあたりにまた何かさせてるなら手を引くように指示しろ。それを守れるならこっちからももうあんたらには関わろうとはしない。生きていたと公表する気もない」
先王が目を見開く。そして奇妙なものでも見るような目でダグラスを見上げた。
「あんたの大好きな娘にもこの醜聞を知られずに済む。それでいいだろ?」
「正気か? 貴様……余を見逃すのか?」
今のダグラスはまったくロムルスの理解の外の存在だ。
殺すと言われるよりある意味で戦慄して先王は震えている。
「勘違いすんなよ。今のあんたらはもう俺にとって手を掛けて面倒増やすだけの価値や意味のある相手じゃないんだよ。ちょっかいかけられたら煩わしいんで黙ってもらいにきただけだ」
うんざりしたようにダグラスは言う。
「お気に召さないなら好きにすりゃいいさ。だがそん時はこっちもダグラス・ルーンフォルトだと名乗って大立ち回りを演じてやるぜ」
「…………………」
先王が項垂れる。
「わかった。お前の言う通りにしよう」
この瞬間、先王が感じていたのは確かな敗北感だった。
自分は下賤のものと見下していた相手に『器』で負けたのだと……そう悟った。
どうやら話がまとまりそうだ。
ダグラスの方も密かに内心で胸を撫で下ろした。
……その時だった。
「なんだ、お前『それ』いらないのか。じゃあオレが貰っても構わんな」
その冷たい低い声が耳に届いた。
「!!!!!!」
咄嗟に脇へ跳ぶ。
凄まじい、かつて感じたこと無い強い殺気……そして戦慄。
────ゴッッッッ!!!!!!
黒い殺意の疾風が周囲を薙ぐ。
回避が一瞬でも遅れていたら自分も『そうなって』いただろう。
飛び込んできた何者かは座る椅子の背もたれごとロムルス先王を斜めに両断していた。
「…………………」
断末魔の声を上げることも無く。顔には驚愕の表情を張り付けたまま。
右の肩口から斜めに両断された先王の上半身が床に落ちる。
分厚いカーペットに真紅が染みて広がっていく。
内に暗い思想を、感情を隠し持ちながらも優れた統治者として民に慕われた先代国王ロムルス三世の無残な最期だった。
手にした長剣で先王を一刀両断した黒い影がダグラスの方に振り向いた。
髑髏を仮面をかぶった、ぼろぼろの黒いマントの男。
「誰だ。貴様」
剣を構えてダグラスが問う。
仮面の男は不敵に笑った。愉しげに笑った。
「オレか? オレはダグラス・ルーンフォルト」
「ふざけるな」
苛立ちを隠さないダグラス。
「ふざけてはいないぜ。お前は復讐を捨てたんだろ? 名前も捨てるんだろ? あんな目に遭わされておいてなぁ……だからオレが代わりにその復讐を果たした。それなら俺がダグラスを名乗ったっていいだろう?」
仮面の男の言葉にダグラスが眉間に皺を刻む。
この時点でわかっている事は2つ。
この男が恐ろしい戦闘力を持つ手練であるという事と自分の過去を知っているという事だ。
「……ッ!!」
それだけでもう目の前の男が倒さなければならない相手だと判断するには十分すぎる。
鋭く踏み込んで剣を振るう。
常人は目では追えない剣閃が虚空に無数の弧を描く。
「ヒューッ! おっかねえなあ!! ジジイは見逃してやってもオレは駄目なのかあ!!??」
おどけるように言いながらもダグラスの剣撃をすべてかわすか受け流す髑髏面。
そんな事ができる相手は騎士団長時代にだって極限られた使い手だけだ。
まして今の彼は魔人。斬撃の速度はあの頃とは比べ物にならないはずなのに。
やはり恐るべき強者。覚悟を決めて本気でやらなければ……ダグラスが漆黒の決意を胸に宿す。
「……悪ィな、『復讐』が優先だ。忙しいんだよダグラス・ルーンフォルトはな」
だが髑髏の男は振り返って走り出す。
そしてダグラスが鍵を斬って進入した時より開け放ったままとなっていた窓枠に足を掛ける。
「お前がやらないならオレが全部貰っちまうぞ?」
最後に振り返ってそう言い残すと髑髏の男は夜の闇の中へ跳躍して消えていった。
咄嗟に追うかどうか判断を迷うダグラス。
先王の亡骸をこのままに自分がこの場を後にすれば事態はどう動くかを一瞬考えてしまった。
そしてその躊躇いが命取りになる。
「……先代様!!!!」
寝室の扉が荒々しく開け放たれ、クラウス・ハインリッヒが飛び込んできたのである。
「おおぉぉ………」
すぐにクラウスは床に転がる先王の上半身とまだ椅子に座ったままの下半身を見る。
そして様々な感情がない交ぜになった声を出した。
肩を落としわなわなと震えているクラウス。怒りの為か絶望の為か……。
無残な亡骸の傍らには剣を手に立ち尽くすダグラスが、こちらは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
(くそ……最悪だ……!!)
誰が見ても彼が先王を殺害した現行犯だ。
何とか誤解を解かないと……だが、頭に浮かんでくる釈明はどれも実際に口に出せば逆効果になりそうなものばかりだ。
彼は自分でもわかっている。この場を舌先で切り抜ける方法などおそらくないだろう。
そうこうしている内に建物内に人の話し声や足音がし始める。
すぐにでも別の誰かも……衛兵あたりが駆け付けてくるだろう。
(……だめだ。時間切れだ。 どうにもできない……!!)
先ほど自分の名を名乗った髑髏の仮面の男がしたのと同じようにダグラスは窓に駆け寄ると窓枠に片足を掛けた。
「言っても無駄だろうがそれでも言っておくぞ!! それやったの俺じゃないからな!!!」
半ばヤケクソになってそう叫ぶとダグラスは闇の中へ跳躍して消える。
月明かりが照らす庭園を駆ける彼の背後で俄かに離宮が騒がしくなりつつあった。
───────────────
進入時のルートを逆に辿る形で外壁の外に戻ったダグラス。
ほとんど音を立てずに彼女の背後に降り立つと驚いたエトワールが振り返った。
「ふおっ!? お帰りなさい……どーでした?」
振り返った彼女は何故か紺色の手拭をほっかむりにして鼻の下で結んでいる。
「あ、これ? これは伝統の東国のONMITSUスタイルですよ」
いやそれはDOROBOUスタイルだよ……などとツッコむ余裕もない。
何か言いかけて言葉に詰まり一瞬だけ逡巡するとダグラスはやおらエトワールを抱き上げた。
この場で状況説明している余裕がない。
まずは一刻も早くこの場を遠く離れなければ。
小柄な彼女はダグラスの胸の中にすっぽりと納まる。
そのまま走り出す。景色がすごい速度で後方に流れていく。
「おおっ、お姫様抱っこ! やぁウチこれしてもらったの初めてですよ。照れちゃうぜうへへ」
しまりのない顔で笑っているエトワール。
緊迫感皆無である。大物なのかもしれない。
最も今のダグラスにはそんな腕の中の彼女の状態に思いを馳せている余裕はない。
(……どうする?)
状況は一層悪化した。というか底を突き破って最悪中の最悪だ。
あの髑髏の仮面の男は誰だ? 何故自分の名を名乗ってロムルス先王を手に掛けた……?
『お前は復讐を捨てたんだろ?』
あの時の言葉が彼の耳の奥に木霊している。
仮面の男はダグラスの過去を知っている。裏切られて襲われたあの夜の事を知っている。
その上で先王とのやり取りを聞いていたのだろう。
そしてあの強さ。魔人となった自分と互角の立ち合いを演じるだけの実力者など誰も思いつかない。
目的は不明だがこちらを敵視している事は間違いなさそうだ。
短いやり取りだったがその中にダグラスは確かに自分への憎悪を感じた。
「はぁ~ぁ、何だってこう次から次へと……厄介ごとばっかじゃねえか」
思わず愚痴が零れる。
「お、やさぐれてますな~。でも人生って大体そんなモンですよ」
腕の中のエトワールが言う。
……やっぱり大物なのかもしれない。
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