第5話 やってきたのは編集者

 ここは『待ち』の一手……一旦相手の出方を見ると決めたダグラス。


 刺客を送り付けてくるつもりなら返り討ちにしてくれよう。

 何らかの罪状をでっち上げて捕縛を試みようとするなら自分の『今の』身分と名前を出して抵抗するだけだ。


 『ウィリアム・バーンズ』は国元ではちょっとした人物だ。

 大統領の晩餐会に招かれサイン本を手渡したことすらある。

 ランザロフ共和国とファーレンクーンツ王国は正式に国交がありここには共和国の大使館だってある。そちらを通して抗議してもらう事もできるだろうと彼は考える。


 それならば自分は一先ず平常通りというか、トラブルが無かったものとして過ごしたいとダグラスは思った。

 二十数年ぶりの祖国をゆっくり見て回りたい。しかし流石に昨日の反省もあって彼もそのまま出歩こうとは思っていない。


 ならばどうする? ……答えは変装だ。

 こういう時にこそ彼の長年世界を旅してきた経験がものを言う。

 大鞄には各地で収集した色々なブツが収納されているのである。

 まずはアフロのかつら。そして口元を円形に囲む付けヒゲ。そして黄色地にオレンジ色の模様のポンチョ。

 ……これだけ着込めばどう見ても砂漠と荒野とサボテンの国からやってきた陽気な旅人だ。

 皆もそう思ってくれるに違いない。


(今の私はダグラスでもウィリアムでもない! 陽気な異邦人ゴンザレス!!!)


 見た目を変えただけで色々面倒なしがらみから解放された気がして何だか足取りも軽くなった気がするダグラス。

 彼はゴンザレスとして宿を出る……するとその背にスッと影が差す。


「センセ、ちょっとセンセ……」


 背後から声を掛けられたダグラスが飛び上がるほどビックリする。

 慌てて振り返るとそこには1人の小柄な女性が立っていた。

 外ハネのあるブロンドの長髪にややツリ目の大きな瞳の整った顔立ちの女性だ。

 動きやすさに重点を置いた男性のようなコーディネートで上着のポケットに手を突っ込んで彼を見ている。


 (……ん?)


 ダグラスの一瞬脳が停止する。

 目の前の現実を上手く咀嚼できない。

 

 (彼女が今……ここにいるはずがない……)


 ゴシゴシと目を擦ってから再度見てみる。


「どーも」


 消えない。

 軽く手を挙げて挨拶する女性。

 ダグラスにとっては馴染みの顔であった。


「は? ……え!? え、エトワール君!? なんでここに!?」


 動揺する砂漠の国から来た陽気な旅人ゴンザレス。

 そう彼女は出版業界最大手『銀星舎』のウィリアム・バーンズ担当の編集者……その3代目、エトワール・ロードリアスである。


 ダグラスが動揺するのも無理はない。

 この国で彼女と落ち合う予定はない。

 何しろ元々の目的ではここで彼は大事件を巻き起こす予定だったのだ。

 絞首台に登ることすら覚悟して復讐を決行するつもりだったのである。

 仕事には絡まないプライベート行だと散々念押ししたし入国のタイミング等も正確に把握されないように細心の注意を払った。


 ……それなのに何故入国から1日で編集者に捕捉されているのだ。


「いやプライベートですよ? ウチもオフなんで。ファーレンクーンツはウチも初めてだから楽しみにしてたんですよね~。センセに会えないかなって思ってはいましたけど……」

 

 そこで彼女は半眼になる。


「まさかこんなアミーゴな姿で見つけると思わねーですから、今若干引き気味ですよウチは」

「いや……その……これは……」


 言葉に詰まるダグラス。

 何と説明するべきか……彼女は自分の事を『冒険家にして作家のウィリアム・バーンズ』としか知らないのだ。

 本当の名前も、この国の住人であった事も……そして当然その過去にあった事件の事も知るはずがない。

 昨日までならまだよかった。

 暢気に2人で観光もできた事だろう。

 だが今となっては彼の立場はこの国では一気に微妙で危険なものになってしまっている。

 突き放すわけにはいかないし、かと言ってこのままでは巻き込んでしまう。


 彼女の両肩に手を置く。


「聞いてくれエトワール君。人はね、誰しも心の中に自由で陽気な旅人ゴンザレスを飼っているんだ」

「ええ……いらねーですよ。そんなモン除霊してください」


 無情にも自由で陽気な異邦人ゴンザレスは悪霊扱いされている。


「込み入った話なんだ。部屋で話せるかな」


 悩んだ挙句にそう言うと、エトワールはニヤリと笑う。

 その目が獲物を見つけた猫のようにキラリと光った。


「いいですね~、ウチちょっと食べる物買ってきますから。お食事しながらお話しましょ」


 上機嫌なエトワール嬢。

『面白そうな話が聞けそうだ』という内心のワクワク感が漏れ出ているのがわかる。

 面白い話になればよいが、とその背を見送りながらこっそり嘆息するダグラスであった。


 ────────────

 それから少しして彼女が買ってきたのは……焼きそばだった。

 ……宿の部屋がソース臭くなる。

 ぞぞぞぞ、と麺を啜りながらも今のダグラスにはそのソースの香ばしさも新鮮なキャベツの歯ごたえもあまり頭に入ってこない。

 何とかしてエトワールに肝心な部分は巧みにぼやかしながら状況を理解してもらわなければならない。


「まずこれは内密に願いたいんだが、実は私はこの国の出身でね。ここは生まれ故郷なんだ」


 穏やかに、そしてある程度は重々しく聞こえるように気を使いながら彼は言葉を紡ぐ。

 しかしその反応は無情にも焼きそば啜りながら「でしょうね」という相槌一つ。


「……え?」

「イヤ皆知ってますよ? ウチも前任もそのまた前も。でもなんかワケありっぽいから触れないでおこうって……あ~ヤベ、話しちゃったこれ」


 ダグラスは己の胸中に乾いた荒野に吹くような風が吹き抜けていくのを感じた。

 何ということだ。もろバレしておる。

 しかも長いこと気を使われていたらしい。

 自分では上手くごまかせていたつもりだったのが間抜けすぎる。

 ズズーン、と凹んで床を見る。

 

 ……部屋がソース臭い。


 必死に考えた彼の説明はこうだ。


 『自分はあるトラブルに巻き込まれて国に居れなくなった。だがそれから随分時間も経ったのでほとぼりも冷めたのではないかと今回帰国してみた。

 ところが実際にはそのトラブルは全然風化しておらず、その上そのトラブルの相手とうっかり顔を合わせてしまった。

 そしてその相手は有力者であり非合法な手段でこちらを排除しにかかってくるかもしれない』


「そういう事情で今この国で君と一緒にいるわけにはいかないんだよ。わかってほしい」

「ダメです」


 ダメだった。

 ……すごいバッサリいかれたものだ。


「えぇ……ダメなのぉ?」


 嘆きながら焼きそばを啜る。もうこうなったら食うしかないダグラス。

 追い詰められて食べても美味い焼きそばだった。


「全然納得できねーですね。そんなふにゃふにゃした説明じゃ」


 (ふにゃふにゃ言われた! 必死に考えたのに!!)


「ウチを納得させてーならもっと詳細に! 事細かに! その場面場面での各登場人物の心情も交えて説明してください」


 愕然とし過ぎてダグラスが端で摘んでいたやきそばが落ちた。

 ……そんなご無体な。

 というか流石に当事者でも相手の心情はわかりかねる。

 

 困り果てて天井を仰ぎ見るダグラス。

 見上げてもやはり部屋はソース臭かった。

 彼女の事もある程度は理解しているダグラス。こうなるともう舌先で丸め込むのは不可能だ。

 ところが何が困ったって今回の件に関しては真実を話しても頭の可哀想な人扱いされかねない所である。


「……聞けばきっと君は私の正気を疑うよ」


 やがて、彼の口からぽつりとそんな言葉が漏れる。


「そんな事はねーです!」


 即座の否定に、視線を彼女に戻した。

 エトワールはちょっとご機嫌ナナメに口を尖らせてこっちを見ている。


「ウチはどんな時だってセンセの味方でしょーが。話す前からそんな事言っちゃダメですって」


 そしてにかっと歯を見せて笑う。


「ウチ、センセの大ファンですから。前も言ったでしょ? センセの本読んでここに就職決めたって」


 それは担当が彼女に替わる時、初めて顔を合わせた時に自己紹介で言われた事だ。

 社交辞令だろうなとダグラスは思っていたが……。


 当然の事だが、これまで彼は自分の正体に付いては誰にも話したことはない。あの東の魔女を除いて。

 話せるようなものではないのだ。生涯秘したまま生きていかねばとまで思っていた。

 自分は魔物のようなものだと、人の社会に混じっている異物なのだと。

 どこかに負い目のようなものを感じている。

 だから話せない。話した相手の反応が怖い。

 もしも忌まれるような事があればとどうしても想像してしまうのだ。

 

 ……ダグラスは考える。

 だが、ここで彼女の純粋な信頼と好意を疑うほど自分は擦れきってもいなかったようだ。

 目を閉じて暫しこれまでの軌跡を思う。

 裏切られてこの旅は始まった。

 今なお事態は混迷を深めている。

 問題解決の糸口はまるで見えないままだ。


 ……それでも。


 それでもここいらでまた誰かを信じてみてもいいんではないだろうか?

 この肩の荷をほんの一部誰かに預けても許されるのではないだろうか?

 腹を括る時が来たのかもしれない。


「よし……わかった」

「おお?」

 

 彼の瞳に光が戻っていた。

 少しだけあの頃に……裏切りも挫折も知らずにいたあの頃の気持ちに戻って。


「わかったよ。全てを話そう。言っておくが長くなるぞ」

「ひゃっほぅ! やったぜ! そんじゃウチちょっと焼きそば買い足してきますね!!」


「……まだ食うの!?」


 更に部屋がソース臭くなる!!


 ────────────

 『この話はこれまで1人だけ、黒衣の魔女レイスニールにだけしたことがある。

 だがその時は自分も感情的になっていたし聞き手の彼女もさして話に興味を示さなかったしで、正直どれだけ正確な内容を伝えられていたのかはほとんど記憶にない。

 オマケに後から判明した事だが自分は下が丸出しだった!!

 もうどこかに頭をぶつけてこの部分の記憶だけ消せないものかと思ってしまう』


 古い心の傷に触れながら1つ1つ色々なことを思い出しながら言葉にする。

 痛みの過去を巡るちょっとした小旅行とでもいったところか。


 話し終えるころにはすっかり日は陰り部屋は薄暗くなっていたが相変わらずソース臭い。


「そんなわけでね。些か困ったことになっている」


 語り終えて彼女を見る。

 そして驚いたダグラスは息をのんだ。


 エトワールは大粒の涙をぼろぼろと零していた。


「酷すぎるじゃねーですか……まさかウチのセンセがそんな目に遭わされてたなんて……」


 ハンカチで涙を拭い、鼻紙でびーっ!と鼻をかむ。


「裏切られて殺されかかって、そんでちんちんも着脱式にされそうになるし……センセはなんにも悪くねーのに」


 そこかぁ、と何とも言えない気分になるダグラス。

 そこは混ぜて考えて欲しくなかった。着脱式の方は相手が恩人だし……。

 まあ考えてみれば余計な部分まで話した気がする。


「とにかく話はわかりました。これからセンセはそいつらを全員ブッ殺しに行くんですね。ウチも力になりますよ」


 えらい物騒なことを言い出した!!


「ブッ殺さないよ! 話わかってないよ!!」


 すると露骨にエトワールは不満げな顔をするではないか。


「えー……ブッ殺しましょうよ。腹立つじゃないですか。ブッ殺していいですよそんな連中。ウチが許しますし神っぽい何かも許してくれますよ」


 許可が出てしまった。

 誰だろう神っぽい何か……。


「正直に言えばそう考えていた事もあったよ」


 エトワールのやばい発言に腰が浮きかかっていたダグラスが椅子に深く座りなおす。

 編集者に許可を貰って大国の先代王を暗殺しに行く作家などどこ探しても居やしないだろう。


「だが考えを変えたんだ。今は少なくとも危害を加えたいだとか命を奪いたいとかそうは思っていない。意思が弱いと言われればそうなのかもしれないが」


 復讐鬼だった彼を長い旅とそれに伴う様々な出会いが浄化してくれた。

 振り返ってみればウィリアム・バーンズとして過ごしたこの十数年間は満たされていたのだろう。

 お陰で愚かな行いに手を染めずに済んだ。


「自分はダグラスなんだぞって、生きてるぞって言いたくなんねーんです?」


 言われて彼は少し考える。

 ダグラス・ルーンフォルトの最大の理解者であり家族でもあった叔父夫婦はどちらももう鬼籍に入ってしまっている。恩人であり師匠であるヒギンス元騎士団長も同様だ。

 その他に自分が生存を知らせたい人物など……。


 一瞬脳裏を過った横顔を軽く頭を左右に振って打ち消す。

 未練だな……あちらにはもう伴侶がいるというのに、そう自嘲気味にほろ苦く笑う。


 そこまでの知人はもう残っていないとダグラスが答えると、エトワールは複雑そうな表情をする。


「んじゃあセンセは今どうしてーんですかね」

「そうだな……」


 彼が思ったのはまず第一にトラブルに巻き込まれるのはもう御免であるという事だ。こちらの事はもう放っておいてほしい。

 そうすればこちらとしても今更過去を暴き立てる気も向こうに関わろうとも思わない。


「……甘くないです?」

「それ以上を望めばキリが無くなってしまうよ。お互いに距離を置いてもう関わらないのが1番だ」


 許すわけではないが、と付け足すダグラス。エトワールは尚も少し釈然としない顔ではあったが。


「それなら、まずその前の王様と話をしに行きましょうか。ソイツ黙らせないとこの話終わらないでしょ」

「そうだな」


 結局の所クラウスや元隊長らは手足なのだ。

 頭目であるロムルス三世とケリを着けなければならないのはまったくその通りである。


「なら早い方がいいですよ。今夜行きましょ」

「そうは言っても向こうが会おうとするはずが……」


 彼がそう言いかけると、やれやれと言う感じで大仰に彼女は肩を竦める。


「何言っちゃってんですか『会ってください』なんて言いに行くわけねーでしょ? 押し入るに決まってんじゃねーですか。離宮住みらしいし好都合でしょ」


 無茶苦茶言う!とダグラスは思いかけたが……考えてみれば彼女の言う事にも一理ある。

 離宮の隠居した前王にそう厳重な警備は付けていないだろう。

 無理やり押し入ってとにかく話をする。

 互いの不可侵を納得させさえすれば帰りは堂々と玄関から出ればいいのだ。

 力づくで相手の前に辿り着く事自体がその気ならこっちはどうとでもできるという示威行為にもなるだろう。


 大体が荒っぽいのを責められるような筋合いもないのである。

 こっちは怒れる被害者なのだから。


 (……なんだ? 結構妙案ではないか?)


 既に警備が増強されている可能性もあるが、それならそれで別の手を考えることにする。


「やってみる価値はありそうだ」


 ダグラスとエトワールがニヤリと悪い笑顔で笑いあう。

 こうして、作家と編集者のコンビによる前代未聞の離宮の先代王襲撃が決定した。




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