第4話 集う因縁の悪意たち
手入れの行き届いた広い庭園を1人の老人が駆けている。
ダグラスが予想した通り、逃走したクラウスはそのままロムルス先代王の暮らす離宮へと向かっていた。
『微笑』の二つ名を持つ男の顔は今は強張って険しい。
(何故、どのようにして生き延びたのだ……? 不可解極まるが今はまずこの事を先代様にご報告せねば!!)
二十数年前に自分達が殺したはずの相手、ダグラス・ルーンフォルトが生きていて今この国に戻ってきた事を告げる為である。
離宮の警護兵たちはクラウスに一礼すると無言で通過させる。
先代王周辺の従者たちにとってはクラウスは取次は必要ない相手とされているのだ。
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「まことか……!! 生きておっただと……!!」
ダグラスの記憶の中の姿とはまるで違う痩せた姿の先代王は呻いて頭を抱える。
沈痛な面持ちのクラウスがその眼前に跪いている。
「何故今になって……。お前が言うからには見間違いという事はあるまい……」
「はい、先代様。残念ながら……」
重々しく首を縦に振るクラウス。
これをクラウス・ハインリッヒ以外の者が報告したのであればまず見間違いを疑われるだろう。
しかし彼だけは例外だ。
クラウスは対人において稀有な洞察力を持つ。
それは鋭敏な感覚や優れた頭脳、そして経験等の要素が複合的に合わさり成立する特殊能力といってよい彼の持つ
そしてそれこそがこの男が先代王から絶対の信頼を得て腹心を務めている所以。
クラウスが遭遇してダグラスだったというのであれば、それは間違いないのである。
「貴奴めの狙いはなんなのだ……?」
「わかりませぬ。ですがあれ程の汚辱を与えて命を狙ったのです。我々にとってよからぬ事を企んでいる可能性は高いと思われます」
クラウスの言葉に先代王はがっくりと両肩を落とすと虚空を仰ぎ見た。
やがてその枯れ木の洞のような口から掠れた声が漏れる。
「……元より、そなたらに任せた仕事だ」
「重々に承知しております」
虚空から視線をクラウスに戻す先王。
落ち窪んだ眼窩の底の目でねめつけてくる。
「成功したものとして十二分な褒章も与えた。……そうだな?」
「仰せの通りでございます」
ならば……。と王は手にした錫杖をクラウスに突き付けた。
「余の言いたいことはわかっておろうな。今度はしくじるな」
「全て……ご意思のままに」
もう一度深く頭を垂れるとクラウスが退出する。
広間には老いた先代王が1人残された。
「忌々しい下賤の血が、ここへ来てまだ余に害をなすか……」
吐き捨てるように言うと手にした錫杖を放り投げる。
老いたる細腕から投擲されたそれは大した距離を飛ばずに分厚いカーペットの敷かれた床に音もなく転がった。
そうして静かになった室内に先王の荒い呼吸の音だけが響いていた。
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ロムルス先王の御前を辞してクラウスが次に足早に向かった先は王宮の地下にある一室だった。
限られた者しかその存在を知らない大部屋。
内部には長大なテーブルがありそれを数多くの椅子が取り囲む。
通例として謀議はこの部屋にて行われる。
内部の空気がどこか寒々しく感じるのもその用途故か。
「待たせたな」
クラウスが入室すると彼の到着を待っていた4人が一斉に彼を見る。
今や滅多に集合する事も叶わなくなった4人。
今日はたまたま集まれる位置にいたようだ。
謀殺の実行者たち。
胸の内に黒い秘密を隠し持つ4人だ。
「な、何事なんです? 今になって、我々をこうやって集めるとは」
不安げな角ばった顔の丸鼻の男。かつてのダグラス団長時代の銀竜騎士団第3部隊長……カルタス・ボーマン。
容姿は当時とあまり変化はない。髪に幾分か白いものが混じっている位か。
この男は暗殺の後で男爵位を与えられ今は裕福に暮らしている。
身に纏うのはあまり趣味が良いとは言えない高級そうな衣装だ。
「フン、何事もなにもあるか。我らが集められたと言う事は要件は1つしかないだろう」
皮肉げに鼻を鳴らした銀髪の男。
この中で1人だけ銀の鎧姿。現銀竜騎士団長イーファン・メレク。
長髪は当時のまま、今では口元に薄く髭を蓄えている。
この男は4人の中でもただ一人、部隊長時代よりも数段凄みを増した『圧』の様なものを身に纏っていた。
長年騎士団長を勤め上げ平和な時代にあっても己の研鑽を重ねている。
既にあの『伝説の英雄』ダグラスをも凌ぐのでは?と噂する者もいるほどだ。
「今更? ダグラス団長の件だと?」
そう怪訝そうに言うフガク……フガク・エンゴウは逆に当時と違って当時トレードマークであった顔の下半分を覆っていた濃い髭を落としている。
そして別人のように肥え太ってしまっていた。
暗殺の報酬として得た大金で、東方の祖国と貿易を始めそれが大当たりして巨額の財を成したのだ。
エンゴウ商会と言えば今や大陸でも有数の豪商である。
「まぁまぁ……まずはクラウス様の話を聞きましょう」
穏やかに諭す小柄な男。
元第6部隊長シャハム・マウム。この男は今王立士官学校の学長を勤めている。
当時とは違った綺麗に撫で付けられた髪に丸いメガネ。
すっかり神経質なインテリといった出で立ちだ。
もう1人……あの惨劇の夜を生きて終えたはずの男。
歴戦の傭兵、第7隊長ヒルディン・ライアンはこの場にいない。
この場のみならず、もうこの世界のどこにもいない。
……既に故人なのである。
一同を見渡したクラウスが重々しく言い放つ。
「ダグラス団長が……生きていた」
『!!!!!!!!』
その言葉にかつての部隊長たちの顔が硬直する。
いや、顔だけでなくまるで呼吸すら忘れてしまったかのように全身の動きを一瞬停止させる。
「あり得んな」
最初に呪縛から開放されたのはイーファンだ。
「あの有様で崖から落ちたんだぞ? 生きる死ぬの前に人の形もしておらんわ」
「だが私は見た。それもつい数時間前にだ」
その言葉が更なる追い討ちとなって顔色を失う4人。
「あれから随分経っている。アンタが見たのが本物かどうか証明できるのか?」
怪訝そうに問うフガク。
クラウスの能力を知らない彼からすれば無理のない疑問である。
「向こうもこちらに気付いた。咄嗟に逃げてきたがな」
「……復讐する気か? 我々に」
シャハムが囁く様に言う。
「じょ、冗談じゃないですよ! 復讐!? ……そ、そんな……」
裏返った声を上げるカルタス。
「私は元々あんな事やりたくてやったんじゃない……! 王命だと言うから!! 仕方なく……ッ!」
「団長が目の前に現れたらそう言い訳してみるんだな」
冷たくイーファンは言い放つ。
カルタスが崩れ落ちるように椅子に腰を落とした。
「俺たちはあの夜に団長を裏切って殺した。そしてそれぞれ褒美を受け取って成り上がった。……それを実は殺れてませんでした、じゃ済まされんだろう。爺さんが言いたいのはそういう事だろ」
イーファンの目が鋭く光る。
その視線の先にいるのはクラウスである。
「そうだ、と言いたいが現時点ではお前たちにそこまでは要求せん。一先ず警戒だけはしていろ。今手の者に団長の居所を探らせている。まずは動向を把握し団長の狙いを見極めんとな」
そして彼にしては珍しく若干披露の色を見せて目を伏せるクラウス。
「万一真実が明らかになれば、それは我らだけではなく王家にとっても途方もない痛撃になる。猛毒の入った薄いガラス瓶のようなものだ。慎重を期して事に当たらねばならぬ」
「本当に生きていたとして、戦闘ができる身体とは思えませんがねぇ」
メガネの位置を直すシャハム。レンズの奥の目にどんな感情が映っているのか……それは光の反射でよくわからなかった。
「この件では王宮の兵隊や騎士団は使えん。それぞれ子飼いを動かす準備はしておけ」
この場にいる者たちは今や国内の有力者。それぞれに私的に動かせる兵力がある。
クラウスはそれを言っているのだ。
「団長は旅装だった。今まで国内に潜んでいて一切情報が無かったとは考えにくい。どこか違う国にいて戻ってきた可能性が高い」
だからまずは宿屋を中心に捜索させているとクラウスは言う。
「だが見つけられる前にお前たちの前に団長が現れる事も十分考えられる。繰り返すが警戒を怠らん事だ」
神妙な顔付きの4人は無言で頷いた。
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秘密の会合は終わった。
4人の元部隊長たちが部屋を出て行く。
ある者は険しい顔付きで、またある者は不安そうに……。
そして後にクラウスが1人残された。
彼は瀟洒な木製の棚に置かれた酒瓶を1本手に取るとグラスに注ぐ。
琥珀色の液体が老貴人の顔を映す。その顔に表情はない。
「ヒギンス、元はと言えばお前が悪いんだぞ。お前には先代の平民嫌いは話してあったのに……」
苦い声で独りごちる。今は亡き先々代の銀竜騎士団長ヒギンスの名を呼んで。
彼がダグラスを後継者に指名した。その時から全てはおかしくなり始めた。
平民なので止せとクラウスは止めたのだ、だがヒギンスは取り合わなかった。
平素の先王が内心の貴族主義を余りに完全に隠していたのでクラウスの忠告を真剣に受け止めなかった為だ。
結果としてダグラスは騎士団長に選ばれた。そこまではまだよかったのだ。
その事で王宮での自由を得たダグラスがディアドラ姫と結ばれてしまった事で破滅への歯車は止められないものとなった。
クラウス・ハインリッヒは先王の幼馴染だ。
幼少時より影に日向に王を支えてきた。
武芸に、学問に、政治に通じた先王の懐刀だった。
何かあった時の為に副団長としてダグラスを見張ることになった。
そして……実際にその何かは起こってしまった。
良い、悪いではないのだ。これはやらなければならない事だ。……自分の役目、自分の仕事だ。
昔からずっとそうだった。それは老いたる今も変わらないのだ。
グラスを煽って一息に飲み干すと立ち上がる。
そして腰に帯びた長剣に触れる。
……これの出番はもうあるまい。
自分がこれを抜かねばならん時が来たのならそれは万策尽きた時であり既に敗北しているということだ。
クラウス・ハインリッヒは自分の行いが良いか悪いかを判断する事はしない。
彼の目的は常に1つだけ。
王家の安定である。
王家の安定が国家の安定。
王家が揺らげば国家が揺らぎ、それはそこに暮らす民たちの生活の崩壊に繋がる。
そうなってはならない。故に国家は安定して存続されねばならんのだ。
そこに善きも悪しきもない。
『そうあるべきだ』と信じてこの歳まで努めてきた。
……悩むな。考えるな。
歯車として務めを果たすのだ。
グラスの中の液体を一息に喉に落とし込み老人は忙しなく謀議の部屋を後にするのだった。
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