トンネル

 年明けに何の気なしに始めたツイッターで気になる話題を見つけた。話題の中心となっているのは、H県の山中の、あるトンネルに出るという幽霊の話。


 どのツイートにも共通しているのは、季節外れのワンピースを着て麦わら帽子をかぶった髪の長い女が、小さい女の子の手を引いて歩いており、いつの間にかその姿が消えている、というものだった。

 この噂の特徴的なところは、その女が金髪碧眼の外国人ということだ。これに私の心はざわついた。


 私の母親はドイツ人だった。しかも私が小さい頃にH県で行方不明になったと聞いている。一枚だけ残っている写真の母は、白いワンピースと麦わら帽子姿だった。ツイッターの話とは符合することが多すぎる。これはもしかすると母の幽霊ではないのか。


 私はその場所を確かめに行きたくなった。母に会えるかもという期待があったわけではない。自分自身の気になる記憶を整理したかったのだ。


 だが今は、妻の香織に余計な心配はかけたくなかった。香織は妊娠4ヶ月の体だ。しかも父が外聞を気にしたせいで、妻には母は失踪ではなく離婚だと伝えてしまっており、説明がややこしい。結局私は、妻に内緒で平日に休暇を取り、電車で3時間ほどの距離にある、現場近くのH県のS駅に向かった。


 駅に着いた私はタクシー会社に電話をかけた。

「今、S駅におりまして、ここからT第2トンネルまでやってもらいたいんですが。おいくらぐらい掛かりますかね?」

「はぁ?T第2トンネルですかぁ?」電話の向こうの声が怪訝そうになる。

「……あすこはですねぇ、去年の夏の大きな台風で土砂にやられましてねぇ、今もまだ、手前で通行止めになっとるんですわぁ」


「え?」

 一瞬思考が止まる。ではあのツイッターの目撃情報は何だったのだ?下調べをしてこなかった自分が腹立たしい。だが、できるかぎりは近くまで行って、この目で現場を確かめてみたかった。

「行けるところまでで構いません。やってもらえますか?」

「はぁ、ほんなら20分ぐらいでそっちに着くよう1台向かわせますよってに、まずはお名前とお電話番号を……」


 缶コーヒーを立ち飲みしながら待っていると、15分ほどでタクシーが来た。乗り込むと運転手が私の名前を確認してくる。こちらが名前を伝えると、やはり怪訝そうな顔で「お客さん、あんな、なぁんもないとこまでで大丈夫ですかぁ?」と聞いてくる。私は適当に話をはぐらかそうとしたが、運転手は何か不自然なほど根掘り葉掘り問いただしてきた。


 気になって詮索の理由をたずねたところ、どうやらトンネルの先には大きな崖があり、20年ほど前までは自殺の名所になっていたのだという。

 なるほど、自殺に来たと疑われているわけか。私はもうすぐ我が子が生まれる身であることを伝え、どうにか運転手の誤解を解くことができた。


 S駅から通行止めの場所までは車でゆっくり走って10分程度で着いた。タクシーを路肩に止めてもらい、少し待っていてもらうよう伝えた後、黄色と黒のバリケードをまたぎ越えた。後ろで運転手の制止する声が聞こえたが、構わず歩を進める。


 道は50mくらい先のところで大きく陥没し、そこから向こうははもう道の姿をとどめていなかった。例のトンネルは、崩れた部分のはるか遠方に小さく見えるだけだ。私はほぞを噛む思いだった。現場を見て、当時のあの記憶が本当だったのか確認したかったのに……。


「マサルさん……」

 すぐ後ろから自分を呼ぶ声がしてギクッとする。

 振り返ると、妻の香織が立っていた。化粧もせずひっつめ髪で普段着のままの姿だ。


「今朝なんだか胸騒ぎがして……あなたが家を出たあと会社に電話したら有給取ったって聞いたから急いでついてきたの……その……浮気かと思って」

「すまない」


 身重の妻に無理をさせてしまった。申し訳なさで胸がつまる。妻に詳しい説明をしようと口を開いたとき、ドォン、と、花火の上がるような音が聞こえた。驚いてそちらに目を向けると、トンネルのあたりから何か煙のようなものが、空へとゆっくり立ち上るのが見えた。煙は、ゆらゆらと空にしばらく漂ったあと、徐々に消えていった。私にはそれが母の魂のように思えた。


 煙が消えた後も私はしばらく放心していたようだ。妻が私の横顔を眺めているのに気がつき、目線をそちらに向けてうなずく。

「帰ろうか」


 帰りの電車の中で妻にこれまでの経緯を話した。ツイッターの幽霊話のこと、私の母が実は離婚ではなく失踪していること。母が嫁ぎ先になかなか馴染めず、まだ小さい私を連れて家出して、H県の山中をさまよったことなど。


「え、でもツイッターの噂では、その女性が連れていたのは『女の子』ってことになってなかった?」

 香織が口を挟む。

「それな……私は今でこそむさ苦しいオッサン顔になってしまったけど、小さい頃はくりくりした瞳の女顔でな」

「うそ……」

「本当さ。でな、お袋の趣味もあって普段から女の子の服を着せられてたらしい。あだ名も『マコちゃん』なんてつけられてな……」


 母の家出の翌朝、泥だらけの手をして一人歩いている私が警察に保護されたそうだ。母のことは警察も八方手を尽くして捜してくれたようだが、結局最後まで見つからなかったという。

 母は、小さい私を道連れにしてよいのか、ギリギリまで迷った上で、結局私だけを残して逝ってしまったのではないか……。私のその『推測』に、もうすぐ母になる香織も同意してくれた。


 その後、気になってツイッターでの例の噂を改めて確認してみたが、あれほどたくさんあった目撃情報がきれいさっぱり消えてしまっていた。それを書き込んでいたアカウントごとだ。奇妙な話だが、気にしたところで誰に真相がわかるわけでもない。私はそれきりツイッターを見なくなった。


 半年後、私たちの子供が無事に生まれてきてくれた。女の子だった。香織から一字取って『美織(みお)』と名付けた。

 同じ頃に、あの道の復旧工事が終わり、通行が再開されたというニュースが流れた。しかし私はもうあのトンネルに行きたい気持ちを失っていた。いつまでも母の幻影を追いかけているわけにはいかない。私ももう、一人の子供の父親なのだから……。


*****


 マサルさんは今晩も残業かな?『美織のためだから』なんて言って張り切っちゃって。あんまり根を詰め過ぎないといいけど。でも確かにこの娘は可愛い。隔世遺伝かしらね。彫りも深くて髪の毛も栗毛で……。

 ぐっすり寝てる、そのおでこにチューして……あ、チャイムが鳴ってる。マサルさんかしら、はいはい……


「すぅー、すぅー…こんどぉ…は…いっしょぉに…いこぅね…ま…こ…しゃん…」

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