ムーン・ライト
少し赤みがかった満月が綺麗な夜だ。月を見ながら一杯飲りたい気分だった。これからの仕事さえなければ。
深夜二時、私は帽子を目深にかぶり、タクシーのシートにゆったりと背中を預けていた。行き先は、適当に告げてある。
タクシーは信号待ちで停まった。深夜にもかかわらずよく停まる。頃合いかもしれない。暇つぶしに、といった体で声をかける。
「今夜はイイ月だねェ運転手さン。ところで……月の裏側ッてのはどンな感じなのかねェ」
「ええ?……ははは……こぉんな感じじゃないッスかねェ?」
振り返った運転手の顔は、月の如くツルツルだった。小泉八雲の小説が頭をよぎり、乾いた笑いが鼻から漏れそうになる。
「おや?あンたもかい?」
落ち着きはらった調子でそう言い返し、私はゆっくり帽子を取った。
帽子の下の私の顔も、つるんとした剥き卵。運転手が一瞬ひるむ。
「仲介屋め!ドジ踏みやがって!」
運転手がわめいた。
二人同時に得物を抜く。
銃声は一発。
私はタクシーを降り、歩きながら携帯で遺体処理班に連絡を入れる。こうして私の転属後の最初の業務は滞りなく終わった。
顔貌ステルス技術『フェイス・オフ』。こんなものを使っているのは、いまだに軍と警察と裏社会だけだ。
日常生活用の通常顔面と暗殺用の白面は、奥歯のスイッチにより瞬時の切り替えが可能だ。しかし万一の際の身元バレを防ぐため、手術の際には通常面に自前のものと似ても似つかぬ顔立ちを設定されるのがお約束だった。
暗殺者処理官としての給料は破格に良かったが、なり手が少ないのもうなずける。来月に目の手術が終わるはずの娘とすれ違っても、もう私が父親だとは判らないだろう。
一杯飲りたい気分だったのを思い出す。報告書は明日に回そう。
私は、今はもう残り少なくなった終夜営業の店が集まる通りに足を向けた。
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