交通事故
夫と二人の娘が亡くなった。ある女が運転する暴走車にはねられたのだ。
私は事故の裁判を欠かさず傍聴しに行った。
運転していた女は、事故直後から「自分はブレーキを踏んだが、車は止まらず勝手に暴走した」と主張していた。私もそうであればいいのにと願っていた。それならば、少なくとも誰か一人を恨む気持ちを持たずにすむ。
だが、願いはむなしく、裁判に出た捜査員の証言で、車に何らかの故障は見受けられず、道路にブレーキの跡も無いことが改めて判明した。
噂によれば女はある財界の大物の愛人で、判決がなかなか決まらないのはそのせいなのだのだという。事故からすでに一年が経っていたが、今も法廷での女は「全部車が悪い、私は悪くない」と繰り返すだけだった。
私の中で、何かの糸が切れた。
もう、何もかもがどうでもよくなった。楽になろう。終わりにしてしまおう。帰宅した私は夫の机の引き出しを開け、しまってあったナイフを手に取った。睡眠薬は夫のと私のを合わせれば致死量になるはずだ。
――よう。
誰かに呼ばれた気がした。そんなはずはない。この家にはもう私一人だ。
――よう、奥さんよう。
見回すがやはり誰もいない。
「ここだ、ここ」
声のしたほうに恐る恐る目を向けると、引き出しの中で、茶色く干からびた小さい顔が、笑っていた。
「ひっ」
思わず机から飛び離れる。
「待て待て逃げるな。脅かして悪かったな。見ての通りのただの『干し首』だ。お前に危害は加えん」
加えん、と言われても額面通りに信用することはできないが、いろいろな感情を失っていた私には妙な度胸がついていた。私は干し首をつまんで机の上に立たせてみた。
「よしよし、いい子だ」
干し首が笑う。
「俺は願いを叶える干し首ってやつだ。お前の旦那が二年前に南米に出張したことがあったろう。あのときに俺は持ち帰られてここにいる」
夫も何かを願ったのだろうか?心を読んだように干し首が続ける。
「旦那は迷信は信じんタチでな。何も願いはしなかった。代わりにと言うのもなんだが、お前の願いを三つだけ叶えてやろう」
小さい頃にそんな話を読んだことがある。『猿の手』だ。しかし私はその物語の結末を覚えていた。死人は生き返る。だがそれはあまりに……。
私は少し考えた後に、こう伝えた。
「そうね。それじゃあ私の家族を奪ったアイツを殺して。次に私も殺して。最後にはあなたが消滅して。それで三つ」
干し首は、最後の願いのところで一瞬虚をつかれた顔をしたが、すぐに元の表情に戻って頷いた。
「わかった、約束だしな……」
「そうです。ええ。ホントに。車が急に。私は絶対に何も悪くないんです」
TVの中で、女が生放送のインタビューに答えていた。その顔が突然苦痛にゆがむ。女は胸をかきむしるようにして倒れ、動かなくなった。周囲の報道陣が騒然とする。
「これで、満足か?」
「ええ」
泰造さん、瑠美、愛華、ごめんね。
こんなことをしてしまった私は、もうあなたたちと同じところには行けないかもしれない。でも、もし、もしもまた会えたら……。
干し首の声に自嘲の色が混じる。
「やれやれ、俺もこの稼業は随分長くやってきたが、ここでお前のような奴に当たっちまうなんざぁ、まさに、あれだな……」
「その先を私の前で言うつもり?」
「おっとそうだったな。じゃあ、そろそろ一緒に行くか……」
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