事故物件

――全ての駅は、ほぼほぼ事故物件さ。

 そんな風にうそぶいていた彼がホームに飛び込んだのは、先週の月曜の朝だった。


 社会人一年目の彼と、まだ大学生のわたし。彼は世の中すべてのことを斜めから見ている人だった。中二病とはまた少し違う感じで、社会のことや世間のこと、とにかくいろんなことをよく知ってるくせに、全てのことに執着がなかった。


 そこらへんがさっぱりしてていいな、と思ってつきあい始めたのだけれど、自分の命にもここまで執着が無かったんだったら、それはつきあう前にちゃんと言っといてほしかったよ。


 彼の遺品は、私の部屋に忘れていったDVD数枚とマンガが何冊か。あとはスペアの眼鏡。

 気力がなくてすることもないので、なんとなしに彼の眼鏡をかけてみる。彼の見ていた『世界』とやらが少しは私にも見えるようになるのかな?


――うん?

 驚いたことにこの眼鏡、『度』の入っていない、伊達メガネだった。

 なんで?ファッション?いやいやありえない。あんなにいろんなことに無頓着だった人が?


 鏡を見ると『眼鏡っ娘』になった自分がいる。うん、これはこれで新鮮かも。沈んだ気分を変えたかったので、この眼鏡に合いそうな髪型と服装をして買い物に出かけてみた。


――おや?

 最初は目の錯覚だと思ったのだ。交差点の信号機近くにうっすら浮いているビニールのような、クラゲのような。だが……そうではなかった。

 そこから私は急に「視える人」になった。世の中によくぞこれほど多くの地縛霊がいたものだ。交差点、ホームの下、ビルの屋上、ホテルの窓……。


 眼鏡を外せば見えなくなるかな?そう思ったが、一度「視える」ようになってしまうと眼鏡なしでももうその能力は消えなかった。


 歩きながら私は、彼がよく聞いていた古い歌謡曲をなんとなく口ずさんでいた。

――いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 

 向かいのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに


 あの曲の名前はなんといったっけ。……そうそう、山崎まさよしの『One more time, One more chance』だ。

――いつでも……

 いや捜してないし、頼むから、そんなとこにまで居ないでほしいよ。


 幸いなことに、地縛霊、浮遊霊はこちらに強い危害を加えてくることはなかった。しかしどうやら「視える」人は珍しいようで、こちらが視えることがわかると近寄って何かを訴えかけてくる。


 だがなにせこちらは視えてるだけなので、彼らの、今はもう風化して単なるノイズのようにしか聞こえなくなった想いまで汲み取って、何かをしてあげることはできない。無理。


 彼にも世界がこんなふうに見えていたのかな?だとしたら死にたくなっても、まあ仕方がなかったのかもしれない。


 もしかしたら彼に会えるかも、と思って、彼が死に場所に選んだ駅のホームを訪れてみたが、そこには知らない母子の霊がふわふわと揺れているだけだった。どうやら彼にはこの世への未練は一切なかったみたいだ。


 ええいこの薄情者め、と毒づいてみた。でもそれだけじゃない。彼に言いたいことはまだ山ほどある。ごめんね。あの日の前の晩に「大嫌い!もう顔も見たくないよ!」って言ったの、あれはウソだよ。……ごめんね。


 ひょっとして、地縛霊ではなくて浮遊霊になってるのかも。生きてるときからあんまり存在感がなくて、吹けば飛ぶような人だったし。そう思って街なかを三日くらいかけてうろうろしてみたけど、結局、彼らしい霊には出会えなかった。

 わたしは再び『One more time, One more chance』を口ずさむ。

――どれ程の痛みならば、もう一度きみに会える?


 会いたい人には会えないくせに、見たくないものだけが目に入る。こんな難儀な能力を抱えてしまったわたしは、だんだんと日常生活がまともに送れなくなっていった。


 なにせご飯を食べていても、誰かとしゃべっていても、至る所に彼らはおり、近寄って何かを訴えてくるのだ。中には死に際が想像できる程度に壊滅的なご面相の方も多く、これはなかなか慣れるものではない。 


 外のあちこちで彼らと目が合うのに疲れ、とうとう私は自分の部屋に引きこもることにした。いいさ籠城さ。食料や生活物資は全部Amazonで買うんだ。 


 しかし、ある晩ふと鏡を見て、安息の地はどこにもないことを悟った。

 鏡の中で、見知らぬ顔の吊られたオジさんがぶらりぶらりと揺れていた。

 そう言えばこの部屋、敷金も礼金もいらないって言われたし、家賃が妙に安かったんだよなあ。 

 どうやら、またひとつ彼に言いたいことが増えてしまったようだ。

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