領空侵犯

 スクランブル。

 指令を受けた俺は、F-2戦闘機で百里基地から緊急発進した。


 対空レーダーでは侵入機の大きさまでは判別できない。目視できる距離まで近づくと、ようやく、それがかなりの大型機であることが判った。

 とっさに爆撃機か?とも思ったが違うだろう。目に映る機影は、昨今のステルス化されたそれとは異なる、古臭くて由緒正しいヒコーキ、「士」の字の形のシルエットだ。


 速度を少し落としつつ相対距離を縮めてみると、それは日本の国内線の旅客機だった。何らかのトラブルで通常の航路を外れ、こんなところに迷い込んだのだろうか?


 心の隅に何か小さなざわつき、違和感を覚える。

 取り急ぎ百里基地に目視結果報告を行った。旅客機に対しては無線での通信を試みる。だが無線の呼びかけへの反応は全くかえってこない。


 さらに近づくと、旅客機の窓に大勢の乗客が張り付いてこちらを凝視しているのが見えた。形が変わるぐらいに顔を窓に押し付ける者、ドンドンと窓を叩く者。みな一様に助けを求め、必死の形相をしている。


 航空機事故では、機体に穴が開くなどして機内の気圧が急激に下がった場合、乗員が気絶することがある。それで操縦士らが気を失った結果、コントロールを失った旅客機が航路を外れたという線か?

 しかしそういったトラブルにしては、乗客がこれほどに意識を保っていられるのは変ではないか。


 距離をとって複数の方向から確認してみるか。俺は自機を旅客機から少し遠ざけ、後方に回ってみた。


 突然俺は、さっきからの違和感の正体に気がついた。

 旅客機の尾翼についているロゴ。こいつは今はもう存在しない航空会社のロゴマークだ。

 この会社は数年前に墜落事故を起こし、その賠償がもとで倒産した筈だ。ここはその、墜落現場の近くではなかったか……


――ファァアァァァーー

 急に耳の後ろで、聞こえる筈の無いゴスペルの和声がうるさく響いた。


 俺の機が、F-2が、急速に、勝手に、旅客機の方に吸い寄せられていく。乗客の顔がハッキリ見える距離まで近づく。

 彼らの目に眼球は無かった。黒い、底なしの虚無が染み出してくる穴がぽっかり二つ、開いているだけだった。


「Descend! Descend! (降下せよ!降下せよ!)」

 TCAS(空中衝突防止装置)の合成音声がコクピット内でがなり立てる。死に物狂いで操縦桿に力を込めるが、見えない誰かの手に掴まれているかのごとく、ピクリとも動かない。クソッ!

 窓に張り付いていた目の無い乗客たちの顔が、三日月のような口で一斉に「くぱぁ」と嗤った。クソッ!クソッ!糞がァ!


*****


 墜落したF-2戦闘機の残骸は広範囲にばらまかれていた。まるで空中で大きな手にでも衝突したようだった。

 空自パイロットの遺体は、懸命の捜索にもかかわらず最後まで見つからなかった。


 それからしばらく該当空域では、並んで飛ぶ二つの光点がレーダーに映ることが何度か続いた。しかし実際にスクランブルをかけると光点は消失し、そこにはどんな飛行物体も確認できなかったという。

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