死ぬほど寒い

 すっかりリラックスしたものの、急いで着替えないと超絶寒いのが、寒い時期の露天風呂の欠点というか、まあしょうがないんだけど。


 転移して馬車に戻ると、相変わらずストラスとディックくんだけ。

「何か話をした?」

「デレク様の家のこととか、他のメイドのこととか、知らないことを色々教えてもらいました」

 何か一抹の不安が残るが……。


 国境を越え、賊に襲われるようなこともなく、夕方近くにはイークリングに到着。

 ナタリーがやってきて、何かに気づいたようだ。

「デレク様とジャスティナは何かこう……すっきりしたというか、……あれ? 温泉の香りがしませんか?」

「き、気のせいじゃないかな?」

「ふーん」


 イークリングの宿場は、以前よりも賑やかになった感じではあるが、これといって名物のない山の中。遊びに出るような所もないし。

 そこそこな感じの夕食を食べながらローザさんと話をする。

「イークリングって本当に何もないわねえ」

「ゾルトブールとエスファーデンの国境のラビュラムとホニガという宿場には公営のギャンブル場があって、なかなか熱気がありましたけど」

「へー。行ったことあるんだ」

「え、……いえ、あの。聞いた話です」

 危ねー!

 ニヤニヤするローザさん。

「しかしそういうのを目当てで来る人ってどうなのかしら?」

「うーん」

 ラスベガスみたいに発展したらいいのかもしれないが、ギャンブルで身を持ち崩すなんて話は古今東西どこにでもある。犯罪も付きものだろうしなあ。


 今日はセーラは地方の視察に出ているはずだ。

 泉邸に戻って、今日の探索の成果をリズとクラリスに報告する。

「へえ。6つも拠点があったのか」

「で、その1つに行ってみたけど、単なる廃墟で何もなかったわけ」

「あと4つもあるわけか。どうするの?」

「どんな様子なのか確認だけはしておいた方がいいと思ってる」

 リズが思いついて言う。

「フィロメナの『過去視』のスキルで何か分からないかな?」

「なるほど。しかし、誰かが手を触れている物なら数週間前程度まで、って言ってなかったかな」

「そっか。そう言ってたねえ」

「『真実の指輪』でヒックス卿のパスワードが判明した時も、しばらくひっくり返っていたし、過去の痕跡を探る系統の能力はそれほど昔まで遡れないんじゃないかなあ」


 翌日。

 馬車にはナタリー、ノイシャとジャスティナ。

「すまんけど、ジャスティナと空中から遺跡を探す仕事をしてるので……」

「えー」とナタリーがちょっと不満顔。

「これは後でご馳走なり温泉なりを所望します」とノイシャ。


 出発前にジャスティナと相談する。

「今日は比較的近くにあるチェグボルに行ってみようと思うんだが、ここはレゴラム山脈とルビンスク山脈の間ということくらいで、場所の手がかりがあまりない」

「ドラゴンなら知ってるんじゃないか、って言ってませんでしたか?」

「聞いてみるとしたらエメギドかな? お願いできる?」

「はい。ちょっとお待ちくださいね」

 しばらくして、ジャスティナが言う。

「場所は知っているが、どうやって伝えたらいいんだ、と言ってます。ちなみに今、オフニール湖の上空を西へ飛行中だそうです」

 うーん。感覚共有できたらそこに転移して行けるんだけどなあ。オフニール湖の上空、ってだけでは場所が不明確だから感覚共有は難しい。どこかで近くまで来てもらうのがいいかな?

「その近くならガフォー峠が分かりやすそうだ。そこで待ち合わせるか」

「はい、それでオッケーだそうです」


 人生の中で、ドラゴンと待ち合わせをすることがあろうとは思っていなかったよ。


 ガフォー峠に転移。

「うっわっ! 寒い!」

 昨日の秘湯のあたりも寒かったが、ここは峠で、何も遮るものもなく氷のように冷たい風がビュービューと吹き付けている。しまったなあ、うっかりこんな所を待ち合わせ場所にするんじゃなかったよ。

 天気は比較的良く、聖王国が一望できる素晴らしい風景なのだが、それどころではない。死にそうに寒い。

「ちょ、デレク様ぁ」

「ジャスティナぁ」

 2人でしっかり抱き合う。なんてったって寒い。表面積を減らして少しでも体温が逃げるのを防ぎたい。


 数分待っただろうか。足先が冷たさから痛さに変わって、だんだんと身体が震え出す。これはやばい。

 ああ! 遠くからドラゴンがやって来るのが見える。あと3分13秒くらいできっと死んでたに違いない。

「おー、ふたりとも相変わらず仲がいいな」

「死ぬほど寒いんです」何だか歯の根が合わない。

「で、どうすればいいのだ?」

「視覚を共有したままチェグボルに飛んで頂ければいいかと思うんですが」

「あー? ここからその遺跡まで、ワシが全力で飛行しても1時間弱はかかるぞ」

「えー。そんなに山奥ですか。ここにずっといたらきっと凍死しますんで、すいませんがいったん馬車に戻ります。それから感覚共有しますんで、ちょっとだけここで待っててもらえませんか」

「ふむ。いいぞ」

「長時間付き合わせてしまって大変申し訳ありませんが」

「別に構わんぞ。デレクのお陰で、消え残っていた魔王軍の危険性がそれほどではないということが分かったからな。他の遺跡が消えない原因の調査ともなれば協力するのは当然だ」

「ありがとうございます」


 いったん馬車に戻る。


「うわー。寒かったあ」

「デレク様、唇が紫色ですよ?」とナタリーに心配される。

「うん、考えもせずに山のてっぺんでドラゴンと待ち合わせたら超絶寒かった」

 まだ身体の震えが止まらない。

「何やってんですか」とノイシャが呆れている。


「ちょっと、コートを脱いで、それであたしがこう……」

 ナタリーが俺の膝の上に乗って、羽織ったコートの中の背中側にまで手を入れてぎゅっと身体を密着させてくる。あ、温かい……。ジャスティナもノイシャに抱えてもらっている。とにかく身体が冷えているので体裁は二の次。

「うー、すまないな」


 その状態で『遠隔隠密リモートスニーカー』を起動し、ガフォー峠にいるエメギドと感覚共有する。

「お、では行くぞ」

「よろしくお願いします」


 エメギドは2度、3度と羽ばたくと峠から空高く舞い上がり、やがてかなりの高度まで達する。風景だけ見ていると飛行機に乗っているような感覚である。

「ドラゴンって高い所を飛んで寒くないんですか」

「それなりに寒いが、耐えられるような身体なのでな」


 トップスピードでも1時間くらいということは、距離としては100キロくらい離れているということかな? かなりの山奥だ。

「いわゆる『ドラゴンの国』の中というわけではないんですか?」

「人間の言う国境はよく分からんが、多分違う。ユラカナ川の源流のあたりになる」

 ユラカナ川は山奥から流れ降ってラカナ湖に注ぐ川だ。ということはプリムスフェリー領の一番東の端あたりか。


 感覚共有をしているので、見えるのはエメギドの目からの情報。

 一方、身体の方はナタリーに密着されたままで、さっきから唇を塞がれていて喋れない。

「ねえ、ナタリーはキスをしすぎじゃないかな」とノイシャの声。

「え? 紫色になった唇はこうやって温めないと心まで冷えてしまいます」

 そう言ってまたディープキス。なんだそりゃ。意味が分からんぞ。

 そして誰かが右手を触っている。

「うわ、冷たいですね。これは温めないと死んでしまいます」

 ジャスティナの声である。と思ったら、右手がいきなり柔らかくてフニフニして温かい場所に導かれる。

「うわ、ジャスティナったら。それは胸が大きい自慢?」とノイシャの声。

 見えていないので3人がどんな体勢なのか分からんが、いや、そろそろ大丈夫だから離してくれないかな。

 馬車が揺れて、ちょっと右手が動いたら、何かに触ってしまった感触。

「あん」

 ジャスティナのちょっと鼻にかかった声。

「あ。デレク様ったら、いけないんだあ」とノイシャ。


 その後、ベリアルとの会話の内容や、ヴェパルから聞いたガフォー峠の戦いの話などをしているうちに、ようやく目的地に到着。

 眼下に、細い川が見える。

「あれがユラカナ川の上流で、ほら、あの山の中腹に石の建物があるだろう?」

「あ、はいはい」

 周囲の急峻な山と違ってなだらかで木も少ない、ほぼ禿山はげやまの丸い山があり、その頂上に近い中腹に遺跡のようなものがある。さらに近づいて行くと、それは半分以上崩れてしまって、元の形も分からない石造りの建物であることが分かる。


 エメギドは着陸体勢に入って、羽ばたきながら付近に降りる。まばらに生えた木々と岩肌に雪が残っていて寒々とした風景が広がっている。

 建物はすっかり崩れ落ちて、柱やアーチだったと分かる石材がなければただの岩の山にしか見えない。

「こんな状況なのでなあ。地下に何かあるかもしれんが確認はできていない」

「どうもありがとうございました。ここまでで結構です。あとは自分でなんとかしますので」

「そうか。しかし、イボクノーの場所も分からないだろう?」

「そうなんですが、それはまた後日」

「分かった。では」

 そういうと、いきなり感覚共有がブチっと切られる。


 目の前にナタリーの顔。

「あー、はいはい。終わりだよ」

「あらあら。でも、こういう調査なら毎日でもいいですね」とナタリー。

「でも次はあたしが抱っこの係で」とノイシャ。

「次は違う所に手を挟んで温めましょう」と不穏なことを言うジャスティナ。


 なんだか3人とも上着を緩めてだらしない格好になっている。

「身体を温めてもらったのは有難いが……そのぉ、だな」

「分かりました。この続きは夜に」

「いや、そうじゃなくて」


 バッドビーの宿場に到着。深い色のラカナ湖の湖面が美しい。

 ここで昼食。温かい食事が身にしみる。

「ここの食事は美味しいのにねえ」とローザさん。昨夜のイークリングがイマイチだという話の続きである。

「湖の東側の開発をもっと進めないと、いい食材がイークリングまで行き渡らないんじゃないですかね?」

「それもあるかなあ。でも結局、人がたくさん来て消費が活発にならないと経済が回らないわよね」

 村おこしは難しいねえ。


 午後はノイシャとエメルが御者の担当に回ったので、馬車にはストラスとナタリー、それにジャスティナ。

 いよいよチェグボルに行ってみようというわけだが、ジャスティナはさっき寒かったので少し尻込みしている様子。


 すると意外にもストラスが言う。

「あたしが行きましょう」

「え。うーん、そうだなあ……」

「他の遺跡がどうなってるか見たいです」

「なるほど、それもそうか」

 ナタリーが言う。

「デレク様、今日は抱きつかれたりしないように気をつけて下さいよ」

「はいはい」

「……心配だから、やっぱりあたしも行きます」とジャスティナ。


 結局、ストラス、ジャスティナと一緒にチェグボルの遺跡を調査である。

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