リリアナ殿下
セーラは午後、リリアナ殿下にお茶に招かれている。
今日は個人的な話もするかもしれないからと、ヘレンにも遠慮してもらって1人で向かうことにした。
案内のメイドの後を付いて宮殿の少し奥まったあたりへ向かう。
やがて通された部屋にはリリアナだけが待っていた。リリアナは満面の笑みでセーラを迎えてくれる。
「どうぞ、お待ちしておりましたわ」
「失礼します。……ここは?」
「ここはあたしの個室ですの。今日は他に誰もおりませんから、どうか気楽に過ごして下さいね」
誰もいない、とは言いつつも、声をかければお茶のお代わりを持ってくる程度のところにメイドは控えている。ちょっと大声を出せば警護の兵も駆けつけるであろう。王族としては当然である。
淹れたばかりの紅茶の良い香りがする。テーブルの上にはケーキと何種類ものクッキー。しばらくケーキの中に入っているフルーツの話や、クッキーはリリアナが自分で焼いたなどという話をする。
「それでね。セーラさんもお話ししにくいことはあるのかと思いますが、個人的に是非とも伺いたいのはシャデリ男爵の件なんです。よろしいでしょうか」
「はい。あれは私ではなく、婚約者のデレク・テッサードが関わった件ですが……」
そこで、デレクがラカナ公国の温泉地、ガパックに宿泊した時の一部始終を説明する。
熱心に聞き入っていたリリアナはいくつか質問をする。
「その時に助けて頂いたナタリーは今どうしてますの?」
「今、聖都のテッサード家の屋敷でメイドとして働いています。どうやらデレクにどうしても恩返しがしたい、というかそばにいたいらしくて」
「そうでしたか。確かに実家に帰るよりは良い選択なのかもしれませんね。ジェインにはあの事件以来会ってはいないのですけれど、できれば今年中くらいには姉共々ゾルトブールに渡って会ってみたいと思っていますの」
セーラからは、シャデリ男爵の件ではラカナ公国のサメリーク伯爵家、プリムスフェリー伯爵家にも助力してもらっているという話をする。
「リリアナ様はシャデリ男爵の所で、ナタリーや他のメイドと一緒に拉致されてしまったと伺っていますが」
するとリリアナ、少し微笑んで言う。
「今ですから落ち着いてお話しできるのですが、実はね、あの時は他のメイドと一緒にキッチンでクッキーを焼いておりましたのよ。エプロン姿で粉などこねておりましたら、皆同じ格好ではないですか。そこに踏み込まれましてねえ」
そう言って、テーブルの上のクッキーに目をやるリリアナ。
「申し訳ありません、嫌なことを思い出されましたか?」
「いえ、いいのです。ですが、あの助けて頂いた夜のことを思い出すと、今でもまるで魔法のようだったと思います。暗くなるまで働かされて、粗末な食事をすすって、泥のように眠って。また次の朝、日が昇ると同じような地獄の繰り返し。ところがあの晩、名前を呼ばれて目を覚すと私はもう農場の外で、目の前にジャーヴィスがいて。そう、そこにセーラさんがおられた気がしますわ」
「あの……」
セーラが何か言いかけるのをリリアナは少し右手を挙げて制止する。
「あの永遠のような絶望の時間、隔絶された暴力の壁の中から私は助けられて、この場所に戻ってくることができました。そのような私がすべきことは、まず感謝です。誰がどうやって助けてくれたかを知ることはその次でいいのです。そして、元の生活にかけがえの無い価値と意味があることに気付かされました」
リリアナは少し窓の外の風景を見る。
「これまで、この場所から外の景色を見ることができるというのは、私にとっては当たり前のことでした。けれど、あの農場から助けて頂かなければ、もうこの風景をみる時間を取り戻すことはできなかったのです。感謝とは、そういう『思い』をたくさん束ねたものかもしれません。……ごめんなさいね、変なことを言ってしまったかしら」
「いえ、少しですが、リリアナ様の気持ちに触れられたような気がします」
その後、シャデリ男爵の件、ディムゲイトの件に触れることはなく、互いの家族のことや、流行りのドレスのこと、スートレリアの名物といった他愛のない、しかし楽しい話題でゆったりした時間を過ごすことができた。
「ねえ、セーラさん。私のことをリリアナ様と呼ぶ必要はありませんよ。今日、たくさんお話をして私たちは友人になれたのではないかしら。少なくともこういったくだけた場ではリリアナ、と呼んで頂けないかしら?」
「はい。では私のこともセーラとお呼び下さい」
リリアナ、嬉しそうに微笑んで言う。
「ええ、よろしくね、セーラ」
「はい、リリアナもよろしく」
◇◇◇◇◇
泉邸の書斎に戻り、しかし溜まった仕事を片付けるほどの気力もないなあ、と思っていると、ニールスにいるジャスティナからイヤーカフに連絡。
「デレク様。面白い話があるんですけど、聞きます?」
「今、書類仕事に取り掛かる気力がなくてぼーっとしてたんだ。面白い話なら是非」
「あのですね、ニールスから街道を通ってミドマスの方へ行くまでにヴラドナって宿場があるんですけど」
「らしいね。行ったことはないけど」
「あのあたりの峠で、ラボラスが出るらしいですよ」
「あれ? その話、どこかで聞いたことがあるような気がするな」
何だっけな?
「ふふふ。どうです、討伐に行きませんか」
「う、それは興味深い提案だなあ。しかし本当にいるのか?」
「実際にですね、グレネラからニールスにやってきたブレント男爵領の警ら隊の隊員が出くわして、ちょっと戦闘になったらしいですよ」
「へえ」
「隊員の中にエペドールって名前の魔法士もいて、魔法を繰り出して戦っていたら、ラボラスは途中で戦うのをやめてどこかへ行っちゃったとか言うんです」
「それはかなり具体的な話だな」
「ところでラボラスって何ですか?」
「え? それは聞いてないのか。俺も見たことはないけど、魔獣で、翼のあるデカイ犬みたいな奴、らしいぞ。ヌーウィ・ダンジョンで誰かが遭遇してやられたとか言ってた気がするんだけど」
「それはあたし達のチームじゃないですね」
「じゃあ、フレッドとブライアンたちのチームだな」
「というわけなので、行きましょう」
「えー。確実に出会えるってわけじゃないだろ?」
「そうですねえ」
「山の中をあてもなくウロウロするのは、寒いし疲れるし、やだなあ」
「何かうまい方法はないですかね。例えばラボラスの大好物の餌を仕掛けておくとか」
「そんな好物は知らないよ。ところでヴィオラたちの様子はどうなんだ?」
「毎日、あちこち出歩いて治安の回復について話し合ったり、強盗や盗賊の被害の補償をどうするか検討したり、結構忙しくしてます」
「大変そうだな」
「それから、聖都のモスブリッジ邸にいるウィカリースという人物ですけど、こっちの誰もそんな人は知らないそうで、ヴィオラが『耳飾り』でデニーズに連絡したそうです」
「海賊の手先だろうなあ。捕まえて調べたら聖都の良からぬ人脈も分かるかも。……あ、思い出したけど、あの壊れた馬車を知らせてくれたおじさんにもお礼をしないといけなかったな」
「はいはい。それはもう済んでます。ヴィオラが直接出向いてお礼を言ったらすっごく感激してましたよ」
「それは良かった。しかし、ヴィオラも気を張ってると思うから、無理をしないように気を付けてあげてよね」
「はいはい。でも、デレク様が顔を見せに来るのが一番効果があると思うんですけど」
「え」
「あたしもエメルも待ってますから、是非」
「う、うん」
そんなことを言われたら、少しは考えてしまうわけで。
「じゃあ、その3人と俺で、気分転換とお疲れ様という意味を込めて、どこかニールスじゃない場所で夕食を食べる、とか?」
「あ、いいですねえ。えっとですね、シトリーとチジーが連れて行ってもらったという、デルフォニーのお店がいいです」
「えーと、はいはい、ムサカとかブイヤベースの店か」
夕方になって、まずはニールスに転移。
いきなり無言でヴィオラに抱きつかれる。
「あ。えっと、毎日お疲れ様」
何も言わずに胸に顔を押し当てたまま、うんうんと首を動かすヴィオラ。
デルフォニーのヤジンバルというレストランに転移する。
すでに日暮れだが、ニールスよりは暖かく、潮の香りを強く感じる。
少しリラックスできたのか、ヴィオラが言う。
「デルペニア王国なんて一生来ることはないと思ってたけど。デルフォニーには何かの用事で来たことがあるの?」
「うん、ゾルトブールの前の王様の妹がこっちに嫁いでいて……」
「それとデレクとどういう関係があるのかしら?」
それは一言では説明できないなあ。
ともかく、久しぶりにムサカなんかを食べる。
「ヴィオラの妹のイヴリンにも、セーラが今回の件を伝えてくれたらしい。少し日数はかかるけど、ニールスに戻って来る予定だそうだ」
「そうですか。きょうだいで力を合わせて街を元通りにしないといけないわね」
エメルが言う。
「グレッグ様がかなり回復されて、今日は階段の登り降りをしておられましたよ」
「おお、それは良かった」
「でも、お父様がねえ」とヴィオラが沈んだ様子で言う。
「受け答えもできるようになってきたし、身体を支えたら立ち上がって室内を歩くくらいはできるんだけど、まだ手足に麻痺が残ってるのよ」
「時間をかけたら回復できるんじゃないの?」
「そう願いたいけれど、もしかしたらグレッグに当主を継いでもらって、自宅療養という形にしてもらう方がいいかもしれないわ」
「マーカスはまだニールスにいるの?」
「ええ、彼はそのうち、オリヴィアに求婚するみたいよ」
「へえ。全然知らなかったなあ」
「本当にいいの? って何度か聞いたんだけど、意思は固いみたい」
なるほどねえ。
「早く元通りになって、今度はデレクとダンジョンにでも行ってみたいわ。もうちょっと先になりそうだけど」
「そういえば、さっきジャスティナがラボラスの話をしてたけど、あれって、何か被害は出てるの?」
ジャスティナが嬉しそうに説明してくれる。
「旅人が峠を越える時に出くわして、食料を奪われることがあるっぽいですよ」
「へえ。ラボラスは何を食うのかねえ」
「普通に何でも食べるっぽいです」
「そっか。犬と同じかもな」
エメルも少し情報を知っていた。
「警ら隊に助っ人で来たエペドールって魔法士が戦ったらしいんですけど、羽のある犬だそうですね」
「へえ」
「でも、羽を使って羽ばたいて飛ぶというより、羽は空中での方向転換とか、急停止する時に使うみたいだとか言ってました」
「なるほど。確かに犬の身体はかなり重いだろうから、相当デカい羽がついてないと羽ばたいて飛ぶのは無理だよなあ」
「やっぱり討伐に行かないと」とジャスティナ。
「うーん。被害が出てるなら何とかした方がいいのかなあ」
そんな話をしながら夕食を食べる。
ヴィオラも、今の状況から少し離れることができたようで、少し笑顔も戻っていた。
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