ふるさと
夜になって、イヤーカフにセーラからの声。
「あ゙ー。疲れたわ」
「お疲れでした」
「ねえ、もう部屋に誰もいないからちょっと来なさいよ」
「はいはい。……
転移すると、比較的ゆったりしたいい感じの個室。
セーラはドレスなど全部脱ぎ捨ててベッドに突っ伏している。背中から腰、お尻にかけてのラインが実に素晴らしいなあ。
ベッドの端に腰を下ろすとちょっとお酒の匂いがする。
突っ伏したまま気だるそうにセーラが言う。
「王宮主催のパーティーの主役があんなに疲れるとは思わなかったわ。ゆっくり座っている時間もないし、いろんな人が入れ替わり立ち替わり現れるし」
「イヴリンの代わりに来る侍女の話は聞いた? アラベラって人らしいよ」
「アラベラか。きっとお母様も納得の適当な人選ね。でもこちらに来るまでには少しかかるわよね」
「多分」
明日以降、毎日午後に1時間くらいずつ、メローナ女王と歴史についてのミーティングを持つ予定だそうである。
「だけど女王陛下もご多忙なので、明日は早速お休み。ただ、リリアナ殿下からはお茶に呼ばれてるわ」
「へー」
「うーん。デレクをいじり倒そうかと思ったけどそんな元気もないわ」
「ゆっくり休みなよ」
セーラとキスをすると、果実酒の甘い味がした。
翌朝。
久しぶりに朝のトレーニングに出かけると、オーレリーからダメ出しの嵐。
「デレクはすっかりダメな子になったなあ」
「ちょっと忙しくしててだね……」
アミーにも簡単に組み伏されてしまう。
「デレク様。そんなことでは表舞台にジャジャーンと登場できませんよ」
「当分そんな予定はないけど」
「都合よく物事が運ぶわけがないじゃないですか。そういうのは不意に来ますよ」
不穏なフラグを立てるのはやめれ。
シトリーが焼いてくれたパンケーキを食べながらオーレリーが言う。
「デレクにちょっとお願いがあるんだが、いいかな?」
「お願いの内容によるけど」
一瞬言いにくそうにしたオーレリーだが、俺の目を見ながら真面目な表情で言う。
「実はだな、最近、生まれ故郷をぜひもう一度見たいと思う気持ちが強くなってな。できるなら一度連れて行ってはくれないだろうか」
「ほう」
「エスファーデンに未練はないような気がしてはいたが、どこかで昔が懐かしいような、もう一度確かめたいような気がするんだ」
「そうなのか。そういうのって理屈じゃないのかもしれないな。今日の午後にでもちょっと行ってみるか?」
「ありがとう。すまないな」
なるほど。人間、故郷が恋しくなることってあるのかなあ。
午前中は例によって溜まっていた仕事の整理。
昼になって、リズと一緒にのんびり食事をしていると、ローザさんがやって来る。
「デレク、久しぶりね」
「あれからマニキュアとか、売れ行きはどうです?」
「新聞に広告を出してもらったじゃない。あれを見て買ってくれる人も多くてね。新しい習慣だから急に広まったりはしないし、冬だから外出の時は手袋をしたりするじゃない。だけど売り上げは伸びてるし、これから春に向けての手応えは十分ね」
シトリーがコーヒーを淹れてくれる。
「もう先々週くらいになりますけど、ちょっとダズベリーに行ってきたんですよ」
「あれ? そうなんだ」
「緊急の用件があって」
「へー。どんな?」
「詳しくはアレですけど、国境の峠とダズベリーの街の間で通信ができる仕組みを整えよう、とか。あと、親父殿が来月にこっちに来たいという話なので打ち合わせとか」
「そういえば、今、セーラさんがスートレリアに行ってるよね。寂しいよねえ」
「あ、はい」
「何よ、もっと寂しそうにしなさいよ」
「何でローザさんに言われないといかんのですか?」
「それはそうと、マニキュアとか練炭とか、そういった商品はスートレリアでも売れそうかな?」
聞きたかったのはそれかい。
「えー。自分で調べて下さいよ」
「そうねえ。……あ、プロデリックはスートレリアにそういう販路は持っていないのかしらね」
「プロデリックのことはよく知りませんけど、ナタリーの実家のゴーラム商店はスートレリアと交易してると思いますよ」
「じゃあ、ちょっとフリージアとナタリーに聞いてみてもいいかな?」
ちょうど昼の休憩時間なのでフリージアとナタリーを呼んできてもらう。フリージアは薄い菫色のおしゃれなブラウスを着ている。
「お、爪の色も服と合わせてるの?」とローザさん。
「ええ、天気に合わせたり、着るものに合わせたり、いいですよね」
「ナタリーはマニキュアはしないの?」
「今日はお洗濯の当番でしたから」
「あ、そっか。ご苦労様」
シトリーが2人の分のコーヒーを持ってきてくれる。
で、本題。
「プロデリックはスートレリア王国との交易はないわけではないんですが、これから拡大して行きたいですね」
「そっかあ。どういう商品が売れそうかとか、調査が必要よね」
「確かに。できればあちらにプロデリックも拠点を持ちたいんですよね。今、スートレリアの使節も来られてるそうですし、調査チームを派遣してもいいのかもしれません。あ、もちろん派遣はウチの実家がするわけですけど」
ナタリーが言う。
「私自身はよく知りませんが、ゴーラム商店はスートレリアと穀物とか油、砂糖なんかの交易をしていますから、各地に支社や倉庫とかがあるはずです。ただ、練炭とかマニュキュアはさすがに扱ってないでしょうね」
「せっかく関係者がいるんだし、将来的な販路の拡大とかを考えてみたらどうかな? チジーとも相談したらいいよ」
「マニキュアではプロデリックと組んで上手く進められてるから、スートレリアに販路を拡大する件も、他の商社が乗り出してくる前に先手を打ちたいわね」
ローザさんはやる気である。
「そういえばスートレリア王国の大使館を、仮住まいだけど当分の間、クロチルド館の真ん前に設置するとか言ってるんだよな」
「へー。あそこの建物には確かに誰も入っていないわね。去年の春くらいまでは何かの事務所が入ってたそうだけど」
ローザさんは聖都に来た時はクロチルド館を拠点にしているのだ。
「13番地事件の後、あのあたりを不法占拠してた怪しげな連中が一斉に取り締まられて、それからクロチルド館を修繕したりしてから、周囲の治安が改善しましたね」とシトリー。
「でも、ちょっと道幅を広くしたり、道路のデコボコを直して欲しいかなあ」とローザさん。
「近くに、草がボウボウに生えてる空き地とか、崩れたままの倉庫なんかもあって、暗い時間帯は不安かも」とナタリーも言う。
「しかし、あの一帯はウチの土地ってわけじゃないから、整備するとしたら王宮を通して何とかするしかないんじゃないかな?」
「でも、スートレリア王国の大使館が来るなら、今のうちに先行投資で土地を買い上げたりするのはアリかしら」とローザさんが商売っ気を出す。
「今の時点では仮住まいという予定だから、ずっといるかどうか分からないよ」
「環境を整えたら、スートレリアの人たちも居着いてくれるわよ」
「そういう考え方もあるな」
今日は天気があまり良くなく、午後は降りそうだというのでローザさんはそそくさと帰って行った。
さて、こちらは雨模様だが、エスファーデンは大丈夫かな? ちょっと王都ダルーハンへ転移してみる。薄曇りだが少し青空が見える。まあ降らないだろう。
クロチルド館へ転移。
「オーレリー、ちょっと行ってみようか。行きたい場所を思い描いてくれる?」
「よし、いいぞ」
「
……何も起きない。
「あれ、転移しないな」
オーレリー、ふふっと笑って言う。
「ほら。オーレリーは偽名だから」
「あ。いやあ、すっかり忘れてたよ。じゃあもう一度。
転移ポッドから出てみると、そこはほぼ何もない平原。まばらに草が生えている程度で、それも冬枯れの茶色い色をしている。
「あれ? 何もないけど?」
「いや、ここでいいんだ」
平原の南の地平線の向こうから細い道がずっとこちらへ続いていて、これまた反対側へと果てしなく伸びている。北の方は遠くの方に黒い森と、雲の合間から冠雪した山が見え、その方角から、弱いけれどかなり冷たい風が吹いてくる。
オーレリー、しばらくあたりを見回して、やがて言う。
「ここはエスファーデンのかなり北の方だ。あたしたちの集落はこのあたりにあったんだ。ちょっと待てよ……」
道から少し離れたところに岩の塊が見える。それを目印のようにして、枯れた草原に踏み入って行く。
少し足元を探していたが、やがて何かを見つけたようだ。
「あ、ここか」
そこに近づいてみると、焼け焦げた材木のかけらが土に埋もれている。
「この辺りだなあ」
俺も少し周りを歩いてみる。岩の塊と見えたのはすでに崩れた井戸の跡であった。
「ここに家があったのか」
「そうなんだ。3軒だけの集落でな。この周りで細々と家畜を飼って農業をやっていた。あたしは小さかったからあまり記憶がないんだが、野盗に襲われたらしいんだ。父親があたしを桶に入れてそこの井戸に放り込んでな。それであたしだけ助かった」
オーレリーは足元に残った土台や敷石などを見つけながら、つぶやくように言う。
「ここが入り口。……ここに炊事場。……ここは牛舎の跡か」
ひとしきりそうやって歩き回り、オーレリーはまたあたりをぐるっと見回す。
「懐かしい……というより、そうだな。あたしはここに確かにいたな」
しばらく呆然と立ち尽くすオーレリー。
もしかしたらオーレリーは泣いていたかもしれない。その表情を見ないように、俺は少し離れたあたりをブラブラしていた。
10分くらいもそうやって佇んでいただろうか。
「ちょっと、デレク」とオーレリーが手招きする。
「ん?」
近づいて行くと、不意にオーレリーに抱きしめられる。
「……」
30秒くらいそのまま。
2人ともコートを着たままだったが、少しオーレリーの体温を感じる。
やがて、身体を離してオーレリーが言う。
「すまなかったな、デレク。……満足というんじゃないが、心の中に何かが、……そうだなあ、空っぽの器に少し水を入れることができた、みたいな感じがする」
「何かが無かった、か」
「うん、何か足りなかったものがあるんだ」
いつもより心持ち柔らかい表情でそう言うオーレリー。
その「何か」は両親との温かい暮らしだったり、子供時代の思い出だったりするのかもしれないが、俺は余計なことは言わないで黙っていた。
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