平和ボケ
セーラたちが王都レプスートに到着した、同じ日の午前中。
聖都ではニールスの事件のスクープ記事を掲載した「シナーキアン」の特別号が発売されて、街中がその話で持ちきりになっている。
「モスブリッジ男爵の屋敷が海賊に占拠されてたって?」
「そこに突入したのが白鳥隊のヴィオラ嬢だそうだ」
「黒幕のロングハースト男爵の屋敷にはシャーリー嬢と騎士隊のマーカスが踏み込んだそうじゃないか」
「モスブリッジ家のピンチに、シャーリー嬢が駆けつけたらしい。友情に厚い素晴らしい方だな。次の王位はシャーリー陛下ということでいいんじゃないか?」
「おいおい、滅多なことを言うと……」
「伝聞情報と断ってあるが、キーン・ダニッチがまた活躍したって?」
「いや、姿を見た者はいないらしいし、キーン・ダニッチの名を使って活躍した匿名の人物がいるってことじゃないか?」
「なるほど。それならありうるな」
泉邸にも朝からヒルダがやって来た。
「デレクさん、有難うございました。もう、すごい特ダネで、輪転機をフルで動かしてますよ」
「それはよかった。ちょっと記事を見せてくれる?」
内容をざっと見たが、テッサード家のメイドがどうこう、という話は書かれておらず、もっぱら海賊の非道な行いと、それに勇敢に挑んだヴィオラやシャーリーの武勇談がメインになっている。よしよし。目立つと困るからな。オリヴィアが監禁されて、という話も書かれていない。これは関係者が箝口令を敷いているのだろうな。
気になるのは、警ら隊が海賊に乗っ取られていた件は書かれているが、広域公安隊の話は非常に薄い。確かに知名度は低いだろうし、読者の関心もないかなあ。
「続報を書いてくれるなら、広域公安隊という組織について少し詳しく書いたらいいと思うんだ。実際、2つの屋敷に踏み込んだのは彼らだし、そうそう、彼ら、元々は聖都の警ら隊の隊員だったそうだから……」
「デレクさん、なんでそんなに詳しく知ってるんです?」
あ。しまったな。
「えーっと。外務省関係の友人からそのー……」
「まあいいですけど、『シナーキアン』の社内事情は結構厳しいみたいですから、そんなに毎日特別号は出せません。続報は次の発行日で、……3日後ですね」
「でも、他の新聞も記事にし始めるよね」
「まあ仕方ないです。でも、セーラさんのダンジョンの連載でも名前が知られているシャーリーさんとマーカスさんが実際の凶悪事件でも大活躍というのは、『シナーキアン』としても連載の共同著者としても宣伝効果が高くて喜ばしい限りです」
「まあ、そんな凶悪事件は起こらない方がいいんだけどね」
「確かに、そういう海賊がらみの事件が聖王国内でも起きるようになったというのは、少々怖いですね」
「そうなんだよなあ。ゾルトブールの内乱も海賊が関係してるんだけど……」
「え、そういう話は初めて聞きましたよ」
「あれ? そうなの? ……じゃあエスファーデンの内乱に海賊が関わっているのも」
「知りませんね」
「ふむ」
「そもそも、聖都の人たちは他国のことにはあまり興味がないんです」
……平和ボケってやつか。
「じゃあ、もし、聖王国の貴族の何人かが海賊の手下というか、海賊の影響下にあるという話をしたら……」
「そんなバカなことがあるかよ、で終わりです。……で、そうなんですか?」
「今回のロングハースト男爵がその典型的な例だよ」
「うーん。あ、でも聖都の人たちが知らないってことは、……それって記事にする価値がありますよね」
「それはなかなか難しいなあ」
「え、どうしてです?」
「前に聖都の警ら隊のトレガロン隊長が人身売買の組織と繋がっていたとかで捕まったじゃない?」
「ええ」
「あれも、トレガロン隊長が取り締まる側にいたから、悪事の証拠はあってもなかなか記事にできなかったと聞いてるけど」
「そうみたいですね。記事の内容について、警ら隊とか内務省の役人が新聞社に怒鳴り込むってことがよくあったと聞いています」
「俺も、『聖都テンデイズ』の事務所に内務省の役人みたいなのが来て文句を言ってるのを目撃したことがあるよ」
「そうそう。『聖都テンデイズ』はそういう点で、かなり硬派なんですよ。発行部数が多いから多少強気に出られるという面はあると思いますけど」
「そう考えると、あの『13番地事件は』……」
「あ、あれはもう、衆人環視の中で起きた事件ですし、キーン・ダニッチとか、ウィング・シックスの活躍とかがあって」
「逆に言うと、そういった要素がないと聖都の人の興味も引かないし、どこかからの圧力で揉み消される可能性も高いってことか」
「残念ですが、そうなりますかねえ。うーん」
これは、単に新聞社に情報提供して記事にしてもらうだけではダメそうだ。といって、キーン・ダニッチがちょこちょこ出て行くのもどうかと思うよなあ。
午後になってからイヤーカフにセーラの声。
「昼食会があって、メローナ女王陛下とリリアナ殿下とお会いしたわ」
「おお、どうだった?」
「リリアナ殿下はほら、麻薬農園で監禁されてた時の事しか知らないじゃない。今日は女王陛下と同じ服装でお出ましだったもんだから一瞬双子かと思ったけど、これがまた気品と存在感が素晴らしい様子で。さらに2人ともすごい美人よ」
そんなに美人?
「王宮にネコがいれば見にいくんだけどなあ」
「ネコはいないわねえ」
エスファーデンのようには行かないか。
「セーラが救出の時にいたのは……」
「もうね、それを前提としてこっちに呼んでくれたみたい」
「そっか。フィロメナの話でもそんな感じだったよね」
「まだ個人的にお話をするところまで行ってないから、詳しい話はこれからだけど……」
午前中はピクトンで海軍の船を見たとか、料理はどれも美味しいけど、大豆から作ったソースが多用されているとか、そんな話もする。大豆か。醤油のことかな?
晩餐会は格式の高い会になりそうだというので、セーラはそれまでの間、ちょっとゴロゴロして休むと言う。
「聖都でのパーティーと違って、知らない人ばかりの中というのは緊張するわね」
「指輪に書き込んである『ネームプレート』という魔法を使えば、相手の名前と年齢が分かるから、少しは助けになるんじゃないかな」
「そっか。ありがとう。活用するわ」
夕方になって、王宮に用事があったというハワードが泉邸に顔を出した。
「スートレリアの使節と国王陛下の会談があったんじゃなかった?」
「そうそう。俺は会談には出てないけど、案内役で同行したわけ。出席者は父上とチェスター公爵、ホワイト男爵とか」
「会談だけで終わり?」
「簡単だけど夕食会が行われているはず。俺は出席者じゃないし、もう出てきちゃったけどね」
この前、ナリアスタの大統領が来訪した時は、人違いながら大統領が誘拐されるという大失態を演じてしまったので、騎士隊をはじめ、王宮中がピリピリしているそうである。
「しかも、ニールスで何やらまずい事件が起きたというのが聖都中に知られてしまったから、騎士隊の隊長なんかものすごい形相だったよ」
「いや、どれも騎士隊のせいじゃないよな」
ハワードが、スートレリアの大使館の仮住まいについて教えてくれる。
「東地区の15番地だってさ」
「え? 15番地って……。多分クロチルド館の、通りを挟んで真ん前あたりじゃないかな? そこにスートレリアの大使館が来るって?」
「まだ現時点では仮住まいという予定だけど、それにしても1年かそれ以上はそこにいるっていうことになるね」
「うーん。ウチの泉邸のお隣さんになる、とかじゃないから別に……」
「でも、シャトル便ってのを出して、誰でも乗れるようにしてるだろ?」
「あ」
これって、たまたまかな? もしかして何か意図があってやってる?
「デレクがクロチルド館に関係してるってのも知ってそうだし、そのうち、ここにも挨拶に来るかもしれないな」
「はー。……そういえば、ゾルトブールの大使館ってどこにあるんだい?」
「ゾルトブール大使館は、王宮の西側だからちょっと離れたところにあるね」
「そっちとは一緒にやらないんだ」
「名目上は別の国だからね」
それから、セーラのところに、イヴリンの代わりの侍女としてアラベラ・ケンドールという女性が派遣されることになったらしい。
「この人は前からラヴレース家にいる人だからセーラも知ってるし、心配はないね」
「当たりがキツくない人がいいなあ、とか言ってたけど?」
「それはほら、母上がそれなりに安心できる人物なので、ね」
……察し。
セーラが海軍の話をしていたのを思い出す。
「思ったんだけど、聖王国には海軍ってないだろ?」
「ああ、海に面してはいるが、歴史的に他国が海から攻めて来たりしたことはないから、必要性はあまりないわけだ」
「しかし、海賊の勢力はそれなりの船団を持っていて、交易船を襲撃したりするよな。軍と名乗るかどうかは別として、国民を守る組織は必要なんじゃないかな」
「うん。でもこれから海軍のようなを組織するというのも現実的じゃないよね」
「それで考えたんだけど、ゆくゆくはスートレリア王国と国交を結ぶわけだから、スートレリアの海軍が航路の安全を守ってくれるように条約を結んだらどう?」
「ほう」
「こちらから毎年一定額を支援するとか補給基地を提供することにして、その代わり、聖王国と他国の主要な航路の安全を守ってもらうわけ」
「ははあ。それはいい案かもしれないな」
「当面、ミドマスか、隣のグレネラあたりに海軍が寄港、あるいは常駐できる港を整備したらいいんじゃないかな」
「随分具体的な案を出してきたな」
「ただ……、デームスール王国あたりとのコネクションがある貴族は反対するかもしれないね」
「あ、うんうん」
「海軍をわざわざ招き入れるなんて戦争の火種になる、とか言って反対するかな」
「ははは。実にありそうだな」
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