壊れた馬車

 翌朝。

 今朝もヴィオラには部屋でこっそり朝食を取ってもらう。さて今日はどうしよう、と考えていたら、エメルとアミーが書斎にやってきた。


「あのー。デレク様」とアミー。

「何?」

「気がついたんですけど、モスブリッジの屋敷は遠隔で監視して、ニールスのあちこちに出動する時は転移して行くわけですから、現地に宿を取っておく必要はないのでは?」

「……あ」

「ね?」

「アミー、天才?」

「うふふ」


 そこで、エメルは屋敷でいつでも出動できるように待機、ヴィオラとアミーには別室で「遠隔隠密リモートスニーカー」を使ってモスブリッジの屋敷を監視してもらうことにする。


 イヤーカフにセーラからの声。

「デレク……」

「セーラか。おはよう」

「あたしの泥人間スワンプマンはまだ育たないんだったかしら」

「えっと。ヴィクトリアがすっかり育つまであと4日くらい必要かな」

「……あたしの目の前には絶望という文字しか見えないわ」


 ん? ちょっと待てよ。


 俺が泉邸の中で1日のうちの大半を過ごすのであれば、ダークくんに留守番をしてもらう必要はない。だとしたら、セーラが親になっているヴィクトリアじゃなくて、ダークくんの方をセーラに貸すことは可能……かな?


 しかしセーラがこっちに来てしまったら、船に残されたダークくんの所に『直行転移ラッシュ・オーバー』で転移できないとセーラも船に戻れない。泥人間スワンプマンのいる場所を転移先に指定できるか分からないな。ちょっと確認が必要だ。


「セーラ。泥人間スワンプマンの関係はあとでまた相談しよう」

「何とかできそう?」

「調べておくよ」

「絶対お願い」



 泥人間スワンプマンも気になるが、まず、俺はいったんニールスの宿に行き、そこを引き払ってジャスティナとフィロメナを連れて帰ることにする。


 参考までにヴィオラに聞いてみる。

「あのギャスパール亭ってのは安くてそこそこな宿なわけだけど、もし貴族が正式な訪問なんかで使うとしたら、ニールスで一番格式が高いのはどこ?」

「クレセント・ホテルね。教会のそばにあるわよ」

「なるほど。今度はそこも考えてみるか」


 ギャスパール亭に転移すると、まあ案の定、2人はまだ寝ているわけだ。

「はいはい。起きて。宿を引き払うぞ」

 寝ぼけ眼を擦りながらジャスティナが言う。

「えー。宿の朝ごはんを食べてからでいいですか?」

「ん? ……美味いの?」

「とっても」


 せっかくなので、俺とジャスティナ、フィロメナで宿の朝ごはんを頂く。

「確かに美味いな」

「でしょう?」

「この炊き込みご飯が絶品」とフィロメナ。

「これは多分、鯛メシだな」

「え? 魚ですか。へえ」

 などといいながら、結構腹一杯に食う。うん、いい宿だったじゃないか。格式が高いばかりが良いわけじゃないな。


 宿を引き払って、さて帰ろうかという時に、アミーからイヤーカフに連絡。

「モスブリッジの屋敷に誰か来て、門番ともめてますけど」

「誰か、ってどんな人?」

「いえ、その辺りの普通の人みたいですけど」


 なんだか分からないが、まあ行ってみるか。


 俺、ジャスティナ、フィロメナの3人でモスブリッジ邸の方角へ向かうと、屋敷の方から丘をトボトボと下ってくる人物を発見する。門番ともめていたと報告があったのはあの人らしい。


 近寄ってみると、そのあたりに普通にいそうな、40歳くらいの白髪混じりのおじさんである。少し憮然とした表情。あの人当たりの悪い門番にすげなくあしらわれたのだろうか。


「モスブリッジ家に何かご用でしたか?」

「あんたたちは?」

 ジロジロと顔から足先までを見られる。


「モスブリッジ家の関係者です。申し訳ありません、最近、臨時で門番を雇っておりまして、どうにも要領を得ない対応のようでご迷惑をおかけしております。よろしければ私たちでお話を伺いますが」

「そう? ……本当にモスブリッジ家の人?」

「ええ、ヴィオラ様、イヴリン様はよく存じ上げております」

「お二人とも聖都に行っておられるだろう?」

「はい。ヴィオラ様は先日のコードン峠の山賊討伐で大変なご活躍でした。聖都でもその名声を知らぬ者はいないでしょう」


 そう言うと、おじさんの表情が少し和らぐ。

「そうそう。あの件はこちらでも評判でなあ。いや、ワシは関係ないんだけど何か誇らしいよね。うんうん」


「で、どのようなご用件で……」


 すると、おじさんは少し早口で喋り始める。

「あのね、ここからも見えるあの土手。あの土手をちょっと下った所で、モスブリッジの紋章が付いた馬車がひっくり返ったままで放置されてるのさ。何日も前からね。そのうち取りに来るのかなあ、と思ってたんだけどほったらかされたままで何もしにこないから、もしかしたら馬車が盗まれたのに気づいていないのかも、とか心配してさ。それでわざわざ教えに行ってやったら門前払いだよ。酷くないかね?」


 馬車?


「そうでしたか。よろしければその場所までご案内頂けませんか?」

「うん、どうせワシのウチはあっちだから連れて行ってやるよ」

 というわけで、おじさんと一緒に歩いて行く。


 おじさんは道すがら、領主様は信頼できる方で領内の治安も良かったのに、ここ数週間で街の様子がすっかり変わってしまったとブツブツ言う。


 道の途中に、入り口が壊されている1軒の店がある。おじさんは立ち止まって言う。

「ほら、ここもね。前は俺の友達がやってた革製品の店だったんだけど、強盗が押し入ってさあ。店の運転資金を盗まれた挙句、店をメチャメチャにされちゃって、今は嫁さんの実家に厄介になってるらしいよ。ヒドイよねえ」


「犯罪が多くなったのは数週間前からですか?」

「そうそう。数週間前に警ら隊の隊長が事故に遭って。今は療養中だそうだけど、その辺りから急におかしくなってねえ。警ら隊も知った顔がどんどんいなくなってるし」


 その隊長の「事故」ってのも、本当に事故なんだろうか。


 しばらく歩いて、道が土手を乗り越えたあたりで、確かに道端に馬車がひっくり返って茂みに突っ込んでいる。箱型の馬車で、4つある車輪のうちの左の前輪が車軸から外れている。

「ありゃありゃ」と思わず声が出るジャスティナ。


「な? それでほら、ここにモスブリッジ家の紋章があるだろ?」

「ああ、確かにモス……当家の馬車に違いありませんね」

「これ、なんとかしておいてくれる?」

「了解です。あの、今は難しいですが処置が終わりましてから改めてお礼に伺いたいと思いますので、連絡先を……」

 おじさん、「そんなのいいよ」と言うものの、住所と氏名をメモに書いてもらう。


 おじさんがその場を立ち去るのを確認してから、馬車を改めて調べてみる。


「これ、どうしたんですかね?」

 ジャスティナもあちこちを調べている。

「見た感じ、走ってる時に車輪が外れてバランスを失って茂みに突っ込んだ、だな」

「突っ込んだから車輪が外れた、のではなく?」

「馬車自体が少し年代物で、車軸と車輪のあたりの部品がかなり摩耗しているから、単なる整備不良による事故、に見える」

「とすると、なんでこんな所に放置されてるんでしょう?」


 様子を見ていたフィロメナが言う。

「あたしが調べてもいいですか?」

「そうだね、是非お願いしたいな」

 フィロメナは『過去視』のスキルを持っている。憶測で色々言うよりはスキルを活かして調べてもらおう。


 馬車のボディに手を触れて目を閉じるフィロメナ。しばらく眉をひそめて、何事かに集中している様子である。


 やがてそのままの姿勢で静かに語り出す。

「いくつか、強烈な情景が見えます。まず、この馬車はモスブリッジ邸のエントランス脇に置かれていました。男の人たちが、修理が必要だからここに出しておいて、職人を呼ぼうと言っています」

「ふむ」


「その後ですが、海賊らしい男たちが、両腕を縛られた女性を連れてきて無理やり馬車に乗せています。裏手から馬を連れてきて、馬車を引かせて屋敷から出ます」

「うん。それは人質にされたオリヴィアかもしれないな」


 初めて、連れ去られた人質に関する情報が得られたな。


「その後、屋敷からここまで走ったところで車輪が外れて、茂みに突っ込みました」

「なるほど。つまり、整備しようと思っていた馬車を、襲ってきた海賊がそうと知らずに使って、人質を連れ出す途中にここで事故を起こした、のか」

「はい、そう思います」


「それからのことは分かる?」

「ちょっと待って下さい。……あ、数人の男たちが騒いだり、馬車から馬を外してどこかへ走って行ったりしてます。……それから別な馬車がやってきて、女性を乗せ替えて、……橋を越えてあっち側まで走って行って見えなくなりました」


「へえ。すごいな。そんなことまで分かるんだ」とジャスティナがすごく感心している。

「ええ。少し時間が経過していても、多くの人間が近くで強い感情を撒き散らすとそれが残されているんです」

「へえ……」

 それは不思議。例の『真実の指輪』の能力に近いものを感じる。


 しかし、我々だけではこの馬車をどうこうすることもできない。

「寒くなってきたから泉邸に戻ろうか」

「女性がこの馬車で連れ去られたことが分かっただけでも収穫ですかね?」

「そうだと思うよ。帰ってヴィオラと相談してみよう」


 泉邸では、ヴィオラに使ってもらっている部屋が臨時の対策本部である。

 アミーがソファにぐったり座っているが、これは「遠隔隠密リモートスニーカー」でモスブリッジの屋敷を監視しているのだ。


 壊れた馬車の件をヴィオラに報告する。

「なるほど。海賊たちが押し入ってオリヴィアをさらって出て行く時に、たまたま修理が必要な馬車を使って事故を起こした、ということになるの?」

「多分」

「でも、代わりの馬車が来て連れて行っちゃったから、オリヴィアがどこにいるのかは分からないのか」


 ヴィオラは少し落胆している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る