見えざる叡智

 泉邸に帰ってくると、もう午後のいい時間。セーラが今日の作業を終えたらしく、ゆったりとお茶を飲んでいる。

 俺も一緒にティータイム。


 複製した『裏技大百科』をめくりながらセーラが言う。

「最近になって『裏技』が使われ始めたのはどうしてだろう、って考えたんだけど」

「どういうこと?」

「つまり、デレクが今回手に入れた以外にも『裏技大百科』は存在するらしいじゃない。だったらもっと前から『裏技』を使う人がいても不思議じゃないわけよね?」

「まあ、そうだなあ」


「それでね、仮説を立ててみたのよ」

「ほう」

「現在、世の中にはプリムスフェリー家の書庫にあった版と、デレクが入手した版の2つしかない。他にもあるのかもしれないけれど、人知れずどこかに埋もれている」

「ふむ」

「で、バートラムさんが事故で亡くなった時、『いにしえのガイドブック』と呼んでいた版の『裏技大百科』が、どういう経緯かは分からないものの、海賊につながりのある何者かの手に渡った」

「ほう」

「これが、えーと9年前になるのね?」

「そうそう」

「で、『裏技』が使われ始めたのが5年くらい前ね? それまで4年間、価値に気づかずに放って置かれた、のかしら?」

「可能性はなくはない、よな」

「で、デレクが作ってくれたこの複製を見ていたら、閃いたのよ」

「何に?」


「この『裏技』の詠唱が説明してあるページをよく見てよ」

「うん。……特に変なところはないけど?」

「詠唱の最後の方が、次のページにまたがってるでしょ?」

「うん」

「ところが、そのページには可愛いイラストが載ってるのよね」

「……あ!」

「わかった?」


「そっか! プリムスフェリー版からはイラスト付きのページが抜けてるんだ!」

「そうなのよ。だからね、詠唱の最後の方が分からなくて、何年も試行錯誤してたんじゃないかしら」

「あー。そっか、そっか。それはあるなあ」


 最後の部分、『見えざる叡智を繋ぎ止める御使いの霊妙なる御力を示し給え』が途中で切れて次のページにまたがっているのだ。


 系統魔法の詠唱は、すべて優馬が作ったので言い回しが似ているのだが、これは優馬の作ではない。だから語尾なんかもちょっと違う。あと、どんな言葉で修飾するかという可能性はかなり広い。

 考えうる限りの形容詞だのを、欠けている部分にあてはめてひたすら詠唱していたのだろうか。もしそうだとしたらご苦労なことである。


「というわけでね、『ランチャー』とかその他のレアなアイテムの解説なんかも多分抜けていると思われるのよ」

「ほほう」


 思い出したので、エスファーデンでゴーレムを操っているのが反王宮側、つまりガッタム家に反対する側であるという話をセーラにもする。

「なるほど。『耳飾り』もゴーレムも『裏技』でゲットしたらしいのに、『耳飾り』はガッタム家、ゴーレムは反王宮側が使っているのか。とすると、『裏技』の使い方を発見したのは第3の勢力の可能性もあるわね」

「えー?」

 ただでさえ面倒な勢力図に、未知の謎なグループが関与しているって?


 そこへシャトル便が到着。

 シトリーが帰ってきた。


「お疲れ様」

「はい、帰って参りました。フィロメナさん、マリベルさん、パトリシアさんはとりあえずクロチルド館で休んでもらうことにしてあります」

「うん、それでいいよ。まあ、ちょっとお茶でも飲みなよ」

「ありがとうございます。まず、セーラ様にメッセージを預かっていますのでそれを」

 そう言って封筒を取り出すとセーラに渡す。


「あら。何かしらね」

 セーラは封を切って中の手紙に目を通す。

「女王陛下からなんだけど。……15日の件と、それから……。その時に、スートレリア王国と聖王国との間で正式な国交を結ぶ準備として国王陛下への挨拶の使者も送る予定である、と」

「なるほど」


「それから、スートレリア王国は聖王国に大使館を持っていないから、その準備をしたい、とあるわ。用地の選定とか必要な手続きを進めたいが、ラヴレース公爵家にこの件についてご了解とご助力を願いたい、だそうよ」

「つまりは根回しか」

「そうね。それは必要かな。ついては、国王陛下への使者とともに大使館開設の準備室の要員を5名ほど入国させるのでよろしく、と」

「なるほどねえ。聖都にあるナリアスタ国大使館とかの規模を考えると、適当な場所を選定して、最初から建築するとなると1年以上はかかるかなあ」

「なかなか大変ね」


 そんな話をしている間に、ジャスティナがお茶の用意をしてくれる。


 シトリー、お茶を飲み、ホッとした様子で旅の報告をしてくれる。

「船旅はですね、あんな大きな船に乗るのは初めてでしたから、最初はもう、見るもの聞くもの全てに驚いていましたけど、たしかに1、2時間もすると退屈になりますよね」

「あはは。そうなんだよな」

「我々、二等客船で、仕切りで4人くらいずつに分けられた座席に座ってたんですけど、隣のスペースにいた商人の家族と仲良くなりましてね。おかげでそれほど退屈せずに済みました」

「そうか、それは良かったな」


「その商人はミドワード王国のゴフィスって街から聖都に遊びに来てたんだそうです。ミドマスに着いたら、船を乗り換えて国に帰ると言ってました」

「へえ。今もミドワード王国に住んでいるという人には会ったことがないけど、どんな所なんだろう?」

「あたしも色々聞いてみましたけど、そんなに住みやすい場所じゃなさそうだなあという印象ですね」

「例えばどんなところが?」


「東側の国境から向こうはナリアスタとカティーナ王国の大半を占めるカティーナ高地という荒れ地だそうなんですけど、西側の海から吹いてくる風が高地にぶつかって大量の雨を降らせるんだそうです」

「なるほど。だからカティーナやナリアスタは逆に雨が少ない気候になるわけだね」

「ところが、国土を流れる川は短い川ばかりなので、雨がふらない時期にはすぐに水位が下がってしまうそうです。降れば降りすぎ、降らない時は水不足、という傾向があるそうです」


「水を貯めておく池でも作ればいいのに」

「それがですね、溜池を作るには、その川の流域のいくつもの町や村が協力する必要がありますよね。それから、溜まっている水をどうやって配分するかも考えないといけません」

「そうだね」

「それぞれの町や村が水の取り合いをするので、水門の開け閉めが不公平だとか、水路が汚されただの、水車が壊されただの、しょっちゅう小競り合いや戦闘が起きているそうで、国全体として平和にやって行きましょうって雰囲気じゃないんだそうです」

「……確かに暮らしにくそうだな。そんなんだから海賊につけ込まれるんだ」


「ただ、王都のゴフィスという町とその周辺地域は比較的水資源に恵まれているので、その地域に限定して言うなら、聖王国の田舎町あたりと暮らしぶりは変わらない、と言っていました」

「へえ」


「灌漑施設が十分整っていないので、農業の生産性も低いし、子供も学校に行かないことが多いし、ということでデルペニアと一緒に海賊まがいのことをしてる地方もあるとかないとか」

「つまり貧乏なのか」


「ミドマスに着いたらですね、ロックリッジ家の方に随分と良くして頂きました」

「ほう」

「特にゴルダフさん。えっとマデリーンさんのお兄さんですか? あの人は頼りになりますよねえ」

「ああ。そうなんだよね。真面目だし、思慮深い人だ」


 シトリーには、今日はメイドの仕事はいいからゆっくり休むように言っておく。



 夕食が済んで、魔法管理室にいるとナタリーとクラリスがやって来る。


「春に向けて、裁縫部の新しい目標を決めてみました」と嬉しそうにナタリーが報告してくれる。

「ゴスロリに続く第2弾か」

「えっと、第2弾は今、子供たちと作っている服です」

 あー。高校の制服っぽいあれか。……ちょっと楽しみではある。


「第3弾はね、これにしようかと思ってるのよ」とクラリスが立体映像を出してくれる。


「キュロットスカートか」

 膝丈くらいのものや、少し眺めの丈のものなど、何種類かのバリエーション。


「はい、こういうスカートはこれまでありませんでしたから」

「確かにねえ。これ、丈の長いのはそのまま乗馬できると思うよ」

「あ、そうですね」


 妙に露出が多いものや、廃帝がデザインするような怪しいものが出てきたらどうしようと思ったが、無難な選択にほっとする。

「今、クロフォード姉妹も裁縫部に勧誘してるんですよ」

「ほう。……編み物部は最近何やってるんだろう?」

「エメルやシトリーは他の仕事も多いので、あまり進んではいないようですね」

「うっかりすると春になるからなあ」


 クラリスに、『裏技大百科』についての進展とセーラの考察を伝えておく。

「なるほど。それはありそうだけど、実際にどのくらい広まっているかは心配ね」

「『裏技』でどんな試練が起動されたか、一応ログは取るようにしました」

「それがいいわね」


 前からちょっと気になっていることを質問。

「ちょっと謎だと思ってるのが、バートラムの、というかヒックス卿の指輪にあったストレージ魔法なんですよね。グローバルなストレージにモノを格納できるという魔法はどこから来たんでしょう?」

 つまり、『ᛃᚴ退避』という魔法である。エドナとアルヴァを8年間、別な空間に格納しておいた魔法だが、明らかにシステム魔法を使える権限が必要なのだ。


 するとクラリスが言う。

「それはほら、あたしをあの部屋ごと隔離、格納しておくために使った魔法といっしょよね。魔法管理システムから見つけてきて、魔石に書き込んでから『ランチャー』に移動させる、ってことをしたと思うわ」

「じゃあ、一般の魔法士がどこかからか見つけてきて使うという心配はないんですか?」

「多分、ないわね」

 ちょっと安心。


 その時、ヒナから連絡が入る。

「ヒナ・ミクラスです。お知らせです」

「はいはい」

「ガッタム家が聖都とラカナ市に配置する『耳飾り』の諜報員が決まった模様です。詳細はログを見て下さい」

「了解」


 『耳飾り』のログを見て、この魔法を使っている人物を特定。男女のペアだが、これまでの例から考えて遠方に派遣されるのは男の方だろう。

 聖都にはロドルフォ・サズマン、ラカナ市にはスパーノ・ラボイという人物が派遣されるとのこと。『園芸部アプサラス』と情報を共有しておこう。


 リズがお風呂を張ったから入りなよ、と言ってくれる。


 確かにスールシティへ行ったり、魔法を色々調べたりして疲れたかな。

 脱衣所で服を脱ぐと、リズがやってくる。

「あれ? 一緒に入るなんて話だったっけ?」

「いいじゃん。いつものことだし」

 と言いつつ、するすると服を脱ぎ始めるリズ。

 俺ももう服を脱いじゃったし、まあいいか。


 で、浴室に入ると、あれ?

「あ。デレク様!」

 シトリーがいるじゃないか!


「シトリーは寒い中、大変だったからゆっくり休まないとね」とリズ。そりゃそうだが。

「ちょっと恥ずかしいです」

「大丈夫。あたしがいるから、デレクだけに好き勝手なことはさせないわ」

「ちょっと待て。どういう意味だそれ」

「見てよ、デレク。シトリーは肌が綺麗よね」

「う、うん」


 疲れが取れたような、取れないような。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る