大導師が語ったこと

 大導師のシェリダン氏が立ち上がろうとすると、大公陛下が言う。

「ああ、座ったままで結構。会議で立ったり座ったりするのは時間の無駄。それよりはじっくり話を聞きたい」


「ありがとうございます。では、『ジュリエル会』の成り立ちと目的からお話を致します」


 シェリダン氏、座り直して話を始める。


「まず、ジュリエルというのは天使の名、であります」

 そう切り出した大導師シェリダン氏。


「……天使?」

 不思議そうにつぶやく大公陛下。


「今より350年ほど前になりますが、レキエル聖王国の宰相を務めたセルサス・ファーフィールドという人物がおりました。この人物の妻、ジュリエルが天使とされています。その天使とは何か、ということをご説明する前に、教会について考えてみたいと思います」


 教会? なぜ教会が出てくるのか。


 シェリダン氏は話を続ける。

「この世界には教会という組織があり、教会の使命はこの世に真理を広めることとされています。では真理とは何でしょうか」


 大公陛下が言う。

「この世の、嘘偽りのない道理、または規範やルールということでいいだろうか?」


「その通りです。では、その規範たる真理は誰が決めたのでしょうか」


「誰が決めたというものではないだろう。例えば水が高い所から低い所へ流れることは決まっている、親と子は慈しみ合う、これが真理ではないのか?」


 大公陛下の答えを受けて、シェリダン氏が続ける。

「そうですね。同じように、太陽が東から昇って西へ沈む、人間は誰でも必ず死ぬ、これらのことも真理ですが、教会はこのような真理を広める必要はありません。当たり前のことだからです」

「ふむ」


「教会が守ろうとしている真理とは、例えば、『交通手段は馬と船であって、それより速い手段は必要がない』であるとか、『火薬を用いた鉄砲と呼ばれる武器を作成してはならない』など、あるいは『この世界は破滅的な火山噴火、空からの星の墜落、未知の恐ろしい病から守られている』といったものなのです」


「そんな話は聞いたことがないが?」と大公陛下。


「今申し上げたような内容は私どもが主張していることではありません。それは聖王国の王宮と教会によって継承されている『夜見の巫女』と『八賢人』という仕組みによって伝えられています」


 初めて聞くであろう、奇想天外とも言うべき主張に大公陛下は戸惑っているようだ。


 ……あ、やべ。目が合った。


「デレク。デレク・テッサードよ。お主は聖王国の貴族であり、現在は聖都に住んでいると聞いておるが、今、シェリダン殿が述べたことは本当なのか?」


 うわあ。

 会議室にいる全員が俺を見ている。

 うかつなことは言えないが、嘘を言うこともできない。


 言葉を慎重に選びながら発言する。

「まずお伺いしますが、ここでの発言は公開されることがないという認識でよろしいでしょうか」


 するとディケンズ大臣が言う。

「そうだね。今回の目的はジュリエル会の弁明を聞き、その宗旨と活動について検討することであって、出席者の誰が何を述べたかといったことを公開することはない。従ってこの場では、自らの信念に基づいて、知っている情報を明らかにして頂きたい」


 そうは言われても、言えることと言えないことがあるよな。


「では申し上げます。私、聖都において、『八賢人』のひとりと個人的に対面する機会を得たことがあります」


 そう述べると、出席者、特にジュリエル会側から「おお」という声が聞こえる。


「その方から伺った話によれば、『八賢人』は『夜見の巫女』の求めに応じて王宮に参集し、この世の中の有様が書かれている文書もんじょに目を通すという作業をしていると聞いております。さらに、数百年前に書かれた『メレディスの手記』と呼ばれる書物が存在し、そこには『八賢人』の仕組みが成立する以前にも、やはり同様な文書もんじょに目を通すという作業が行われていたと記載されております」


 導師のランズウッド氏が腕組みをして深くうなずいている。


 大公陛下から質問。

「その文書もんじょの内容というのは、シェリダン殿が説明したようなものなのだろうか」


 まあ、ぼやかして答えておくか。

「その『八賢人』の方のおっしゃるには、王宮から出ると、不思議なことに内容をぼんやりとしか覚えていないということでして、私は内容についてまでは伺っておりません」

 よしよし、この答え方ならウソはついてないな。


「デレク、上手い答え方ね」とクラリスが言うのがイヤーカフから聞こえる。


「ふむ……」

 大公陛下は少々考えて、やがてこのように発言する。

「では、教会がそのような文書もんじょの内容を真理として守っているとして、だ。ジュリエル会はその立場で何をしようとしておるのかな?」


 シェリダン氏は話を続ける。

「ジュリエル会は、そのような『真理』を定め、守ろうとしている意志が存在することを認めた上で、その存在を『神』、または『超越者』と呼びます。ジュリエル会は未来永劫、神の意志を受け止め、実践することを目的とする団体なのです」


「神?」

 大公陛下は驚いたように言う。

「神、か。……そのようなものが存在するとは、教会も教えてはおらんよな?」


 改めてそう問われ、俺自身、はっとする。


 そうなのだ。このオクタンドル世界には教会はあるが、教会は神の教えを説く組織ではない。もっぱら人々に真理を伝え、慈愛や善隣の精神に基づくボランティアを為す団体としてのみ存在する。

 そういう意味では、この世界に神は存在しない。


 神という概念はぼんやりとは存在している。だがそれは、日本人が「神頼み」する時の対象のように、どこにいる何者かは分からないが自分に味方してくれるであろう超自然的な存在、といった漠然としたものでしかない。その存在を前提とした宗教が存在するわけではないのだ。

 これは、日本人が作ったゲーム世界だから、だろう。


 シェリダン氏が言う。

「聖王国の宰相であったセルサス卿とその妻ジュリエルが、教会とともに『八賢人』の仕組みを作り上げたわけですが、ここで重要なのはジュリエルが語った言葉です」


 耳元でクラリスの声がする。

「ジュリエルが何を言ったというのかしらね?」


 シェリダン氏は続ける。

「先ほどの『真理』が記述された文書を『規範文書』と呼びますが、ジュリエルは『規範文書』についてこう言いました。『規範文書は絶対ではない。今後の世界の変化に伴って規範文書も変わることがある』、と。セルサス卿が『規範文書』が変更されるのはどのような時なのかを問うと、『天使である私にはそれはうかがい知ることはできない。明日かもしれないし、数百年後かもしれない。ただ、どのような変更があろうとも規範文書の意図するところを守ることが私達の努めなのだ』と述べています」


「至極当然の発言のように聞こえるわね」とクラリスの声。


 ディケンズ大臣が質問する。

「その教えを守ることは聖王国の教会がやっているのですよね? としたら、ジュリエル会の活動の目的は何なのでしょうか?」


 シェリダン氏が答える。

「教会は『規範文書』を守るだけです。我々は、『規範文書』を定めた『神』の存在を信じ、その意志を学び、その意志に反する世の中の動きを排除することを使命とする者たらんとしているのです」


 ん? 神を信じるのはまあ勝手だけれど、……使命って何?


 大公陛下、抽象的な議論に少々飽きてきたのだろうか。質問を投げかける。

「結局、ジュリエル会は日常的な活動として何をしているのかな?」


 シェリダン氏、ここぞとばかりに活動内容をアピールする。

「我々は日常的に神の存在を意識し、規範文書の意図するところの理解に努めるための勉強会を行っています。勉強会を通じて、この世の有り様のより深い理解が得られるのです。また、規範文書の意図に反する動きがあった場合、それを率先して防ぐことも我々の努めです」


 ははーん。つまり、彼らは『神』を発明して、それを信仰する宗教団体を構成しているのだろう。

 優馬の記憶にある「儒教」は、宗教の枠で捉えられることが多いが、教祖もいないし超越的な神も前提としない。もっぱら人間世界における道徳を説くものだ。そういう点でこの世界の教会とよく似ている。

 そこに、何らかの意志がある(と想定される)神という絶対者を追加して、宗教活動を行っているのがジュリエル会なのではないだろうか。


 俺から質問。

「すいませんがいいでしょうか。まず、ジュリエルという天使の名を組織の名としているのは、そのジュリエルと何らかの関係、たとえば子孫であるとか、そういう方が会の運営をされているのですか?」


 シェリダン氏が言う。

「血縁関係ではありません。天使ジュリエルとセルサス卿の会話を記録した貴重な文書が残されており、我々は『ジュリエル聖典』と呼んでいます。これは先の魔王との戦いの中でも守り抜かれた、まさに世界の秘密が記された書であり、この研究を通じて神の存在を確信した者たちが組織したのが『ジュリエル会』になります」


「有難うございます。もうひとつ質問させて下さい。ジュリエル会が活動を制約されるに至ったのは、暴力的な活動が目に余る『ラシエルの使徒』との類似性を危険視されたためですよね。この2つの団体の違いについて教えて下さい」


 大公陛下が言う。

「おお、そうだったな。その点を明確にしておく必要がある。どうだね?」


 すると、シェリダン氏に代わって導師のランズウッド氏が手元の書類を参照しながら発言する。

「『ラシエルの使徒』のラシエルも、天使であると伝わっています。聖王国の貴族であったハーゲン・エヴァンス氏の妻がラシエルで、ラシエルとハーゲン卿の会話を記録した文書が存在していたものの、魔王軍の出現で失われ、現在その一部分のみが伝わっています。これを『ラシエル断章』と称します。その不完全な文書の中に、このような記述があります。『規範文書は人類文明の制約のない自由な発展を防ぐものである』、それから『規範文書の改変、または撤廃がなされれば、人類文明は歯止めなく進みはじめるだろう』」


 ディケンズ大臣が口を挟む。

「それがどういう……」


 ランズウッド氏が話を続ける。

「『ラシエルの使徒』という団体は『超越者』の存在を否定します。存在するのは単に『規範文書』とそれを守る教会の仕組みだけであると考え、それを打ち破ることで人間は今よりも素晴らしい存在になるのだというのです。現に『規範文書』は存在するのに、それを定めた存在を否定するという点が、彼らの極めて大きな矛盾であると……」


 ランズウッド氏がヒートアップしそうになるのを、ディケンズ大臣が押し止める。

「ちょっと待って下さい。結局、『ラシエルの使徒』は何を目指し、ジュリエル会とは何が根本的に違うのですか?」


 ランズウッド氏が言う。

「つまり、教会と『規範文書』の仕組みは認めつつ、それをあらゆる手段を用いて停止、もしくは破壊しようとするのが彼らの目的ということになります。規範文書の意図こそが神の意志であると考える我々にとって、彼らは排除すべき最大の敵ということになります」


 ディケンズ大臣が考えながら言う。

「つまり、ジュリエル会にとって、『ラシエルの使徒』は何があっても排除すべき悪であるという立場なのですね?」

「その通りです」

「場合によっては暴力的な手段に訴えることも辞さない、と?」

「そうですね」


「いや、それは困るなあ。……ちょっと待って下さいね」


 ディケンズ大臣、右手を上げたまま、ちょっと目をつむって何事かを考えている。

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