君の名は
結果的にナタリーと初デートに行ってきたわけだが、リズはそれよりも食事や商店街の様子の方が気になるらしい。
「へえ。それは楽しそうな街だね。これは是非、セーラも誘って行ってみないと」
「いやいや。元はと言えばセーラが下見に行きたいという話だろ?」
「そうだった」
ナタリーと一緒に買ってきたコーヒー豆で、クラリスも一緒にお茶にすることに。
泉邸のクラリスの部屋は、花壇のすぐ脇の1階にある。子供たちが外で遊ぶ様子もよく見える。
クラリスがコーヒーを飲みながら言う。
「デレクの魔法を使って、ゾルトブールあたりの様子を見に行ってみたりして、なかなか楽しいわ」
「暖かくなったら出かけてみたらいいと思いますよ」
「そうね。楽しみだわ。今はそうやって、知らなかった土地の様子を見たり、それから裁縫や編み物なんかもしてみているのよ」
「裁縫ですか。ナタリーも裁縫が得意だったよね?」
「ええ、カリーナと気が合うんです」
エロいメイド服を作ってたな。
「そう言えば、デレクが服を処分するとか言ってたわよね? あれ、パッチワークとかキルトにしたらどうかしら。ただ捨ててしまうのはもったいないわ」
「キルトって何ですか」とリズが質問。
「パッチワーク・キルトは端切れを縫い合わせて綿を入れたもので、マットを作ったり、クッションにしたりするのね。時間はかかるけど楽しいわよ」
「実家で母が作ってました」とナタリー。
「でも、デレクのダサい服は無地のつまんないヤツが多いわよね」とリズ。
「ダサいとかつまんないとか言うなよぉ」
「だからね、いろいろな色の生地を縫い合わせて柄を作るのよ」
「へえ」
「デレク様。ミシンを新しく買ってもいいですか?」とナタリー。
この世界にもミシンはあるが、精密な機械の部類なので結構お高いのである。
「いいよ。1台か、必要なら2台あってもいいんじゃない?」
「わ。有難うございます」
エントランスあたりで子供たちがきゃあきゃあと騒ぐ声が聞こえる。
「またボール遊びかな?」
間もなく、赤い髪のスノーニと黒い髪のリタが走ってやってきた。
「あ、あのね、デレク様」
「うん、何?」
一瞬、2人で顔を見合わせて、声を合わせて言う。
「ネコを飼ってもいいですか?」
「え? ネコ?」
「最近よくエントランスあたりで見かける黒ネコがいて、あたしたちが時々ご飯をやってたらなついたみたいなの」
「マリウスさんにきいてみたら、デレク様に聞いておいでって」
ふむ。
もしかして、ウルドがよく使っているネコかな?
「番犬を飼う予定だけど、ネコもか。どうしようか」
クラリスが言う。
「飼うとは言っても、ご飯を用意してあげるくらいのことよね? ネコのことだから、ずっといるかと思えば時々いなくなったりもするわよね」
「前にネコを飼ってたんですか?」
「お屋敷のメイドが時々エサをあげてるネコがいたって程度なんだけど」
ナタリーに聞いてみる。
「メイドでネコ好きなのは誰かな?」
「そうですね、嫌いって人はいないと思いますが……。特に好きそうなのはシトリーかな?」
「そのあたりで相談して、ご飯を用意するくらいはできそうかな?」
「大丈夫でしょう」
「じゃあ、時々遊びにくるネコにご飯をあげる、といった感じでいい?」
「はい!」
スノーニとリタはにこにこしている。
子供たち的には、これまでこっそりご飯をあげていた感じだったのだろう。
「デレク様。お願いがあるんですが」とリタ。
「まだ何か?」
「ネコに名前を付けてあげて下さい。きっとメスだと思うんですけど」
「……ウルド、かな」
同じ名前にしておいたら、ネコに話しかけてても変じゃないよね。……変かな?
お茶会が終わって書斎に戻り、ソファーに座って呼びかけてみる。
「ホットライン。ウルド」
「あら。デレクさん」
「さっき、もしかしたらエントランスに来てた?」
「ええ。子供たちがあたし、というか、あたしが感覚を共有しているネコに『ウルド』って呼びかけるからびっくりしたわ」
「子供たちがネコを飼いたいというんでね。名前が同じなら話しかけてもおかしくないかなあって」
「なるほどね。まあ、いつも感覚共有してるわけじゃないけど」
「最近、楽しくやってる?」
「そうね、カラスも使って、だいぶ行動範囲を広げたわ」
「ほほう」
「あ、そうそう。あたし的には人間が何をしていてもあまりどうでもいいんだけど、さすがに殺人事件を目撃したら誰かに知らせた方がいいわよね」
「え。目撃したの?」
「そうなのよ。昨日の夜なんだけど、ネコと感覚共有して聖都の裏通りを歩いていたらね、怪しい風体の男たちが」
「喧嘩?」
「よくわかんないけど、長剣を振り回してたわ」
繁華街あたりにいるチンピラが長剣を持っているとは思えない。しかし、警ら隊や騎士隊が裏通りで切り結ぶというのも変だ。
「で、誰か殺されたらしいってこと?」
「そうそう。男が2人、その場で切られて」
「それからどうなった?」
「切った方は4人くらいいたかな? その場から逃げちゃったわね」
立派な殺人事件である。
しかし、現場に死体は残されているだろうから、そこからは警ら隊の仕事だよな。
ところで、そういう時はどうしたらいいだろう?
『ホットライン』は俺の方から感覚共有をするだけだから、ウルドの方から連絡はできない。……また、借りが増えるけど、ジャスティナに頼むか。
「ウルド、ネコになって書斎まで来られる?」
「いいわよ、ちょっと待ってて」
その間にジャスティナを呼ぶ。
「はい。お呼び……。はっ! もしや、昼間からですか?」
「あのな」
書斎の窓にひょこっと黒ネコが顔を出す。
「あ? そういえばネコを飼うことにしたって……」
「紹介しよう。このネコ、今はホムンクルスのウルドと感覚共有してるんだ」
「は?」
ネコが喋る。
「こんにちは。ウルドって言います」
「うへ。ネコが喋るとか。デレク様はまた奇想天外な知り合いがいるんですね。……きゃ、こわい」
取って付けたように、俺に抱きつくジャスティナ。
「おい」
「きゃ、こわい」
お胸をぎゅうぎゅうと押し付ける。
「本題に入りたいんだけどいいかな」
「はあい」
「ウルド、このジャスティナは『念話』のスキルを持ってるから、話かけたら通じないかな?」
「なるほど。やってみるわね」
ちょっとしてからジャスティナが言う。
「あ。確かに『声』がしますね。ふむ」
「だから、もしウルドの方から連絡したいことがあればジャスティナに念話で」
「了解。いいわね。友達ってやつが増えた感じかしら」
「ウルドは相手の記憶を読んだりはできないの?」
「そんなことはできないわね」
そんなことができるのはドラゴンくらいってことか。
ウルドが気がつく。
「あ、もしかしてジャスティナと感覚共有できちゃう感じ?」
「できるかも」
数秒後、黒ネコのウルドは窓から外へ出ていってしまった。あれ?
と思ったら、ジャスティナが言う。
「なんか、ウルドがあたしの視覚と聴覚を共有してるって言うんですけど」
「ほう!」
「たまにこうやって共有してもいいかしら、って言うんですけど、どうしましょう?」
「……それって他人に自分の行動を覗き見られている感じだよね」
「拒否もできますし、共有してる時は『念話』が繋がりますから分かりますけどね」
「……それは2人で相談してよ」
するとジャスティナ、斜め上を見つめたまま少し止まっている。
……念話で会話しているのかな?
「ウルドが言うには、感覚共有はデレク様に設定してもらった魔法だから、いざとなったらデレク様に魔法の能力を消してもらうことができるんだそうですけど、そうなんですか」
「そうそう」
「なるほど。じゃあ安心ですね。ウルドと相談して、まあ楽しくやってみますよ」
「意外に前向きだな」
「ほら、ドラゴンとはいつも話をしてますから、特に問題はないです」
「なるほど」
しかし、聖都の裏通りで殺傷騒ぎか。穏やかではないな。俺は警ら隊じゃないから、口を挟むあれでもないし、どこかの名探偵のように事件解決に乗り出したりする気はさらさらないけどな。
さて、レプスートで仕入れてきた魔道具のチェックをしなければならんなあ。ふふふ。
魔法管理室に行くと、例によってリズがソファーで小説を読んでいる。
ストレージから魔道具の入った木箱を取り出す。
「……あれ。また
「安上がりで楽しい趣味だと思わない?」
「確かに、時々は当たりがあるから止められないってのはわかるけど」
「スートレリアの魔道具は初めてだ。期待して待ってて欲しいな」
「……何かあったら教えてよ」
リズはそう言って小説を読み始める。
さて。まずは魔法のスクロールからだな。コンピュータにログインしてプログラムを起動する。
1枚目は『お前様の耳はロバの耳』。あ、フィアニカでマーカスの耳が大きくなったやつか。耳が大きくなるのは勘弁して欲しいが、聴覚が鋭くなるってのはどういう仕組だろうか?
プログラムを探し当てて調べてみると、耳の近くに高次元接合体を出現させて、小さな音を増幅している。すべての音を増幅するのではなく、かすかな音や人間に聞こえにくい周波数帯を聞こえるように変換して、可聴域はそのままにしているらしい。なるほど。そうでないと、でかい音がした時に耳がキーンってなるからな。
これは独立した魔法に仕立てたら役に立ちそうだ。
2枚目は「暗がりでドッキリ」。しばらく暗いところに幽霊が見えるやつ。
3枚目は「もうひとりいる」。何だこれ?
プログラムを調べてみたら、コメントにこうあった。
『ダンジョンに一緒に入ったメンバーが、なぜか1人増えている。誰が増えたのか分からない』
何それ。ちょっと怖い。
きっと、暗がりに幽霊が見えるやつと同じような、立体映像を見せる魔法と、認知能力を低下させる魔法の組み合わせだな。
いや、これは面白いぞ。
4枚目は「君の名は」。これも何だろう?
調べてみると大した魔法ではない。
『パーティーのメンバー同士、うっかり違う名前で呼びあってしまう』
えっと、連携が大混乱、みたいな?
5枚目は「精霊のささやき」。あ、これこれ。妖精が現れてアメリカンジョークを披露してくれる魔法だ。いやあ、我ながら下らないことに労力をかけたものだなあ。
魔法のプログラムの存在を確認。よし、試しに起動してみよう。
「リズ、ちょっと見てて」
「ん?」
コンピュータから魔法の起動を指示すると、金色に輝き、昆虫の羽のような薄い4枚の羽を生やした10センチくらいの妖精だか精霊だかが眼の前に現れた。
「ほほう」
「へー。きれいだね。……妖精と精霊ってどう違うの?」
「ゲームの主要な要素じゃないから、厳密な区別はなくて、きっと適当だと思う」
精霊は空中でホバリングしながら言う。
「ねえねえ。小学生のジョンくんが、学校の先生にうっかりお母さん、って言ってしまったんだって。友達にからかわれてしょんぼりしているジョンくんに、お母さんが言ったわ。ちょっと呼び間違えただけじゃない。くよくよしないのよ、って。でも、ジョンくんはお母さんにこう言ったのよ。お父さんもお母さんを別の女の人の名前で呼ぶことがあるけど、お母さん、すごく怒るよね?」
うわ。なんじゃこりゃ。精霊は身を翻したと思ったら消えてしまう。
「あのー。デレク。これがどうしたって?」
「えっと。……ジョークの内容はランダムなので、その」
……明日は王宮で新年祝賀会があるから、このくらいにしておくか。
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