ヒナ・ミクラス
年が明けた。
セーラは昨晩遅く、機嫌よくラヴレース邸に帰っていった。今日は向こうで過ごすらしい。
チャウラとガネッサを、事前の約束通り桜邸に送り届ける。桜邸の周囲にはうっすらと雪が積もっていた。
「また賑やかなのが恋しくなったら連絡してよ」
「はい。どうもありがとうございました」
朝、泉邸のみんなで朝ご飯。
「みんな、今年もよろしくね」
「はい」
新年とはいうものの、正月を祝うような風習はないし、もちろん初詣もない。せいぜいが少し上等なお酒を開けるくらい。
でもまあ、平和のうちに新年を迎えられるのは何よりである。
今日は何も仕事をせずにダラダラ過ごしたい。
あ、でもエドナの所へ行って挨拶くらいはしておくか。
「新年の挨拶ということで、そちらに伺ってもいいですか?」
「もちろんよ」
早速、リズと一緒にペールトゥームの屋敷に転移。エドナとアルヴァが部屋で待っていた。
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
簡単な挨拶を済ませてソファーに座る俺たち。メイドがお茶の用意をしてくれる。
「これ、おみやげね」とリズがアルヴァにクッキーを渡す。デルペニアのレシピのクッキーである。年末年始用に沢山焼いたのだ。
「わあ。リズお姉ちゃん、ありがとう」
早速ポリポリと食べるアルヴァ。
「アルヴァ、少し背が高くなったんじゃない?」とリズ。
「あら。そうかもしれないわね。最近よく食べるものね」
アルヴァはクッキーを食べながら、最近サッカーが楽しいとか、そろそろ乗馬の練習を始めたいとか、そんな話を一生懸命してくれる。
「ペリ、じゃなかった、クラリスさんはどうしてる?」とエドナ。
「落ち着いて過ごしてます。この前、墓参りにも行ってきました」
「……そういえば、バートラムの墓を、こちらに持ってこないといけないわよね」
「そうですね。暖かくなってからでいいとは思いますが。あ、マフムードとルジルの国境守備隊、それと教会に、プリムスフェリー家からお礼をすることにしてしまってありますけど」
「あはは。そんなのはいいわ。むしろ気を利かせてくれてありがとう」
そんな話をして、泉邸に帰って来る。
ゆっくりと昼食を食べた後、お茶を飲みながらリズ、クラリスと話す。
カップを手に、クラリスが言う。
「年が明けたわねえ。あたしは一体、何歳になったのかしら?」
それは難しい質問だな。
「えっと、あとでエドナさんに聞いておきます」
「そうね」
第三者が聞いたら意味不明な会話である。
「あのコンピュータには一応、文章を要約したりしてくれるAIは付いてるんだけど、魔法とかストーリーシステムの関連について教えてくれるシステムはないのかなあ」
リズが言う。
「魔法システムに関してなら、システムから検索や推論できる情報は、あたしの知識をバックアップしてくれる形で提供されてるんだけど」
「あ、そうか。魔法に関してはリズに聞いたら教えてくれるからそれでいいのか」
それを聞いていたクラリスが言う。
「あら。リズはそんな風なの? あたしはそうじゃないわ」
「じゃあ、システムについて分からないことはどうやって調べていたんですか?」
「レロイのアカウントから音声チャットのプログラムが起動できて、それに聞いたら教えてくれるのよ」
「え、そんなのがあるんですか。今でも使えるかな?」
「やってみようよ」とリズも興味が湧いたらしい。
というわけで、魔法管理室に移動。
ヒックス卿のアカウントでログインして、「よく起動するアプリ」の一覧を見る。
「ああ、これよ。起動してみたらいいわ」とクラリス。
アイコンをクリックすると、普通に起動した。
「はい。ヒナ・ミクラス、チャットGTZです」
おお。……なんかフワフワした感じの女の子の声である。
「名前が付いてるんですか?」とクラリスに聞いてみる。
「ええ、レロイが名付けたのよ。AIチャットは会話によって次第に人格みたいなものが構築されるから」
「へえ……。GTZ、って何ですか?」
「それは分からないわ」
まあいいや。AIチャットと会話してみよう。
「ヒナは何について教えてくれるのかな?」
AIチャットのヒナが答える。
「ザ・システムについてアクセス可能な情報と、事前に入力された情報を組み合わせ、さらに追加入力によって概念イメージモデルの自律的再構築を行いつつ、妥当性の高い推論結果をお伝えすることができます」
ほほう。……なんだか凄そうだ。
リズに聞いてみる。
「概念イメージモデルって、前にリズが言ってた、リズの知識をバックアップしてくれる仕組みのことだったよね?」
「正確には、あたしの持っている概念イメージモデルを仮想的な意味でバックアップしてくれる仕組みに生成AIが使われているんだよ」
いまいちよく分からないな。
「ごめん。結局、概念イメージモデルってなに?」
リズがすらすらと答えてくれる。
「一般の知識や記憶、理解の過程、意思などの、あらゆる脳の働きには現象と概念、体験と概念、さらには概念同士が有機的かつスケーラブルに関連付けられていることが不可欠なんだけど、この高次元自己言及型の意味因子の総体を概念イメージモデルと呼ぶってわけ」
「え? 高次元……?」
内容がちっとも入ってこないんだが?
「高階とか、メタとか、数学的には汎関数とかいう意味での高次元だね」
「……それとAIはどう関係するわけ?」
「人間の脳もAIの構成要素も基本的にはシンプルなんだけど、学習を繰り返すうちに意味因子ネットワークとそれらの間の関係を決定可能な自己言及型のポテンシャルエネルギー超曲面を内的構造として獲得するに至るわけで……」
「あ、ごめん。もういいです」
ちょっと落ち着こう。
AIチャットのヒナに聞いてみる。
「『耳飾り』のログから、ガッタム家が次にやろうとしていることは推論できる?」
「『耳飾り』のログ、というものが分かりません」
「ありゃ」
「デレク、これはヒックス卿のアカウントなんだから当然だよ」
そこで、自分のアカウントでログインしなおしてやり直し。
「はじめまして。チャットGTZです」
あれ? はじめましてとか言われる。声も全然違う。
「『耳飾り』のログから、ガッタム家が次にやろうとしていることは推論できる?」
「ストーリーシステムへのアクセス権がありません」
「はう」
こりゃ困った。ヒックス卿がユーザのプロセスからは、俺が集めて整理しているデータにアクセスできないし、俺の方はヒックス卿に与えられていた、ストーリーシステムへのアクセス権がない。
しかし、ストーリーシステムが関係してるのか……。
しょうがないので、『耳飾り』のデータをヒックス卿側からも読めるようにアクセス権(パーミッション)を変更。同時に、俺のアカウントから起動したAIチャットがヒックス卿のプロセス権限で動作するようにパーミッションの実効ユーザ権限を設定。
これで、俺のアカウントから、ヒックス卿の権限を持ったプロセスを起動できるはずだ。さあ、どうかな?
「はい。ヒナです」
「『耳飾り』のログから、ガッタム家が次にやろうとしていることは推論できる?」
「はい。もっとも確度が高い動きはエスファーデン王国へのさらなる介入。次に聖王国へ侵入するための足がかり、つまり橋頭堡の構築です」
「あー。動いたね、デレク。すごいじゃん。これってどんな魔法?」
「ふふふ、優馬が学生時代に身に着けた魔法でね。オペレーティングシステムのドキュメントをよく読むという魔法だよ」
それはいいが、何か気になることを言ってるぞ。
「橋頭堡って?」
「ミドマスに一般の商社を装って拠点となる組織を作っています」
「聖王国で何をするんだろう?」
「他の国家に対して行ってきたこと、つまり王家に取り入って支配権を我がものとすること、貴族に取り入って密輸をはじめとする犯罪の共犯にすること、などが推測されます」
「それはまずいなあ。防ぐにはどうしたらいいんだろう?」
「一般論としては、ガッタム家に対抗する勢力を味方につけること、悪事の芽を見つけて早めに除去すること、国内でガッタム家になびく貴族などの発見と排除、があります」
「……実にまともな意見だな」
逆に言うと、AIに教えてもらうまでもない。
やりとりを聞いていたリズが言う。
「毎日の『耳飾り』のやりとりをチャットからアクセスできるようにしておいて、チャットとの会話はデレクが魔法で起動して呼び出すようにしたら、コンピュータの前まで来なくても概要が確認できるんじゃないかな?」
「おお。確かに。詳細が知りたい時だけここに来ればいいわけか」
「そうそう。できそう?」
まずは毎日数時間おきに『耳飾り』の要約前のテキストを読み込ませるようにして、あとはまさに『耳飾り』と同様にして、このAIチャットと会話するプログラムを開発すればいい。
クラリスが言う。
「デレクのアカウントでは、イソシオニアン記法が解釈できないけど、レロイのところから起動したチャットなら分かるんじゃないかしら?」
「あ、そうかも」
先日から調べている飛行魔法について聞いてみよう。
「飛行魔法の最大スピードを変更するにはどうするのかな?」
「飛行魔法の最大スピードはプログラムにコーディングされています。変更できません」
お。行けそうだ。
「ソースファイルを指定したら、中身について教えてくれるかな?」
「『耳飾り』のログが読めるんだから、それもできるんじゃない?」とリズ。
この前挫折した、障壁魔法と思われる『もう誰も傷つかない』を調べてみよう。ソースファイルは分かっているので、これを指定して、と。
「このソースファイルの概要を教えてくれるかな?」
「この魔法名は直訳すると『バリアドーム』となります。別空間として極めて薄い壁、もしくは膜を作り、この空間で術者を中心とした一定範囲を覆います。物理的な実体がこの空間を通過することはできないため、物理攻撃、射出系魔法の影響を受けることがなくなります。ただし膜が薄いため、トンネル効果が発生して電磁波は通過します。従って、光線による攻撃などは防げません。また、長時間この魔法を使うと内部の酸素がなくなって窒息する可能性があることに注意して下さい」
これはすごい。これまではコメントを拾い出して手動で翻訳していたが、これは楽な上に全体像がよく分かる。
「へえ。まさに障壁魔法だなあ」
「つまり、例の空気のゼリーみたいなのが別空間の壁で、それで術者の回りを覆ってしまう、ということ?」
「そうらしいな」
「電磁波が通過するってことは?」
「レーザー光線は通るし、電磁波で三半規管を攻撃するヘヴンリー・グレイスも無効にはできないだろうな。あと、赤外線も通すんだろうから、周囲が猛火に包まれたらやっぱり熱いし、火系統の魔法が効かないわけではなさそうだな」
追加でヒナに質問してみる。
「魔法を呼び出す時のパラメータは何かあるの?」
「まず、防御できる強さの設定があります。デフォルトは最大値です。もう1つは防御範囲の指定で、『バリアドーム』のデフォルトでは術者の周囲の半径1.5メートルを球状に覆います。『もう誰も傷つかない』では術者の周囲だけを動的にカバーします」
「なるほど。防御範囲は変更できるようにして、可能なら、たとえば馬車1台まるごと守るくらいはしたいかな」
いやぁ、このチャットはなかなか使えるぞ。
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