オクタンドル世界
ペリが俺の方を見て問いかける。
「デレク。この世界に鉄砲は存在する?」
「いいえ、存在しません」
「自動車はどうかしら」
「ありません」
「無線電信は?」
「ないと思います」
セーラとリズは何の話をしているか分からない様子だが、ペリは鉄砲や自動車という概念を知っているらしい。
「レロイが亡くなってから三百年以上でしょう? その間、どうやらこの世界の科学技術は進歩していないようね。これはね、ストーリーシステムが、オクタンドル世界に鉄砲のような火器、内燃機関、無線電信やモーターのようなものは存在しない、と決めているからなのよ」
「さっきの冊子には『禁忌事項』として鉄砲や内燃機関のことなんかが書いてありましたが……」
「それよ」
ペリは話を続ける。
「考えてごらんなさい。鉄砲なんて原理は単純なものよ? 無線電信だってそう。何百年たっても誰もそれを発明しない世界なんておかしいと思わない?」
「……確かに」
「その代わりね、多分、制約されていない分野、例えば芸術とかファッションとか、そういうものは発展しているんじゃないかしらね」
「科学技術の下支えがないので、目覚ましくとは言い難いですが、確かにかなり自由に発展していると思います」
「だから、ストーリーシステムの制約……、さっきあなたは『
「でも、内燃機関や情報通信の仕組みがあれば、世の中はもっと交流が進んで便利になるんじゃないでしょうか。医学も発達して、子供が簡単に死ぬようなこともなくなると思います」
「そうね。でも、それが人間にとっていい方に転ぶかは分からないわよ?」
「そうですが……。この世界に生きる人間に任せるべきなのではないでしょうか?」
「あたしはザ・システムに作られた存在だけど、人間と共に暮らしてきたから基本的には人間に幸せに暮らして欲しいと思うの。どちらかと言えば、銃やミサイルで殺し合う世界より、せいぜい魔法や弓矢で戦うくらいの世界の方がましだと思うわ。だって、少なくとも人類が絶滅することはないでしょうからね」
「うーん……」
「ふふ。この話はね、レロイとも散々繰り返した話なのよ。結論は出ないんだけど」
俺は「メレディスの手記」の記述を思い出して聞いてみる。
「誰がなぜ、世界をそのようにしようとするのでしょうか?」
「ふふ。レロイからも何度も聞かれたわ。でも、あたしたちも理由は知らないのよ」
「理由が説明できないことについて、言語化が困難だと話していませんでしたか?」
「そう。存在も意思も本質的に時空に広がりを持つものであること、さらにこの世界の因果関係よりも高次にザ・システムが存在することを納得しない限り、ザ・システムの動作原理は、説明も理解もできないらしいわ。当然、それを作って管理している存在の意思みたいなものを推し量ることも不可能ね」
「あー。ドラゴンもホムンクルスも同じようなことを言ってましたが……」
「あら。デレクにはそんな知り合いがいるの? ふふふ、おもしろい子ねえ」
「でも、天使たちは我々よりもザ・システムについて詳しく知っていますよね」
そう問いかけると、ペリは何かを思い出したらしく、少し明るい表情になって答える。
「レロイは面白い小説をいくつも知っていて、あたしに教えてくれたんだけど、デレクは知っているかしら。『審判』という小説なんだけど」
「えっと?」
「もちろん、あたしもその小説を直接読んだ訳ではないんですけどね。えっと、同じ作者が、突然虫になっちゃう男の話を書いてるそうね。あたしはそっちはあまり興味を引かれないんだけど」
「ああ。カフカ、ですか」
さすがにストーリー担当の高瀬川氏、色々な文芸作品に通じているらしい。
「で、その『審判』の中の逸話に、掟を守る門番と、門番に中に入れて欲しいと懇願する男の話があるそうでね。この門番がまさにあたしの立場かなあ、と」
「どういうことです?」
「あたしはザ・システムについてデレクたちより詳しい情報を知っているんだと思うけれど、結局のところ、ザ・システムにサポート役を割り当てられた存在以上のものではないわけ。ザ・システム全体から見たら本当に末端の存在なのよ」
「はあ」
「デレクたちや、八賢人の仕組みをやめさせようとしている人の立場からはあたしたち天使しか見えないから、天使こそがザ・システムの運営者などと思うかもしれないわ。でも、あたしたちは門番、つまりインタフェースに過ぎないわけ。結論として、あたしにいろいろ質問しても、ザ・システムのことは分からないし、もちろん世界を改変するなんてことはできないのよ」
話を聞いていたセーラが言う。
「『ラシエルの使徒』とか『ジュリエル会』が探していた『聖体』が、実はペリさんだったということでいいと思うんだけど、ペリさん本人をもってしても世界の改変はできないということですよね?」
「そうね。例えるなら……、伝統的な年末年始のケーキの作り方ってある程度決まっているじゃない」
「はい」
「あたしの仕事が、レシピを正しく読むように指導して、皆が同じようなケーキを作れるようにするといった役目だとするじゃない。だけど、そのレシピを作ったのはあたしじゃないし、今年から世界中が別の種類のケーキを作るようにしてくれと言われても、あたしにはそんな権限はないわけよ」
「うーん」
俺からも質問。
「今も八賢人が世界の
「分からないわ。案外何事もないかもしれないし、この世界の本質的な何かに影響を与えてとんでもない結果を引き起こすことになるかもしれない。つまりほら、あたしは門番だから、門の内側の奥の方で何が本当に行われているのかは知らないのよ」
「なるほど……」
数百年という時間を超えて目の前に現れたペリ。
世界の仕組みに関わる何かの力や知識を持っているかと期待したが、いや、期待の反面、恐れもあったのだが、世界を改変するような力があるわけではないようだ。
その点、『ラシエルの使徒』も『ジュリエル会』も、自分たちのいいように幻想を抱いていただけということなのだろう。
食事が終わって、ペリが言う。
「ねえ、デレクたちもあたしの部屋をちょっと見て行かない?」
「よろしいんですか?」
「ええ、構わないわ」
促されてドアから中へ入ると、そこは比較的広い部屋で、やはり壁全体が白い。しかし、普通の貴族の居室のように、立派な作りの調度品が揃えられている。テーブルやイス、ソファもベッドも、数百年前から変わらない伝統的な形式のものに見える。
「すごいですね」と思わず言うと、ペリはちょっと微笑んでいう。
「ええ。レロイの趣味ですけどね」
「これからここでずっと暮らすことにしますか?」
「そうね……」
ペリはちょっと考えてから言った。
「大変厚かましいお願いなんだけど、聖都のお屋敷に住まわせてもらうことはできないかしら?」
「え? はあ。構いませんが」
「本当? 嬉しいわ。やっぱり人間と同じように年老いてちゃんと死にたいと思ってるから、だとしたらここでずっと暮らすのは、何もかも揃っているとはいうものの、退屈なのよ」
リズも乗り気のようだ。
「それがいいわ。泉邸には何人も住み込みの女の子がいるし、問題ないわよね? セーラはどう?」
「あたしも、数百年前の歴史的なこととかを教えて欲しいと思ってるし、むしろお願いしたいくらいね」
「それから、お付きのメイドはナタリーにお願いしたらいいわよね?」
「はい、ここの設備の担当ということになってますし、問題ありません」
そうそう。ナタリーには洗濯機やら冷蔵庫なんかを使ってもらうようにお願いしてあるのだ。
だが、セーラが冷静な指摘。
「でも、他のみんなには何て紹介するの? 天使のペリさんです、と言うわけにもいかないし、下手な言い訳だと後から辻褄が合わなくなっちゃうし」
「あー。確かになあ……」
「オーレリーみたいにゾルトブールあたりから来たことにしたら?」とリズ。
セーラが難色を示す。
「それだと現在のゾルトブールのことに詳しくないとおかしいし……、あ、そうそう、ラカナ公国のこともご存知ないですよね」
「え、何それ」とペリ。
「魔王軍を討滅した後、聖王国とゾルトブールの間に国ができたんですよ」
「うーん。それは知っているわけがないわねえ」
リズが言う。
「あの指輪の件はエドナ母さんも知ってるから、相談したらいいんじゃない?」
「お、確かに」
イヤーカフでエドナを呼んでみる。
「もしもし、デレクです」
「あら。ちょっと久しぶりよね。年末で少しヒマなのよ。こっちに来ない?」
「っていうか、今、魔法管理室の方へ来て頂く時間はありますか? リズに迎えに行ってもらおうと思いますが」
「いいけど……」
リズには、エドナに例の指輪を持ってきてもらうように依頼する。
間もなく、部屋着にガウンを羽織ったエドナがリズと一緒にペリの部屋に現れる。
「あら! ここはどこ? えっと……。この方は?」
「エドナさん、紹介します。こちら、ヒックス伯爵の奥様でした、天使のペリ」
「ええっ!」
エドナ、目を大きく見開いて固まっている。
「ペリさん、こちらは俺の伯母になります、エドナです。実は、ヒックス伯爵の墓を暴いたバートラムという人物の奥様でもあります」
「初めまして。ペリです」
「あ、え、エドナと申します」
エドナ、なんとか挨拶だけはするものの、次の言葉が出ない。
「エドナさん、あの指輪は?」と促すと、あわてて指から外す。
「あ、はいはい、これね」
エドナが差し出した指輪を見て、ペリが言う。
「あら。レロイがしてた指輪だわ。いやあ、不思議ね。ちょっと古びてしまっているけど、確かに同じ指輪だわ。そうよねえ。360年も経つのよね」
「これ、お返しした方がいいですよね?」と聞いてみる。
「そうね。あの人の指輪ですし」
するとエドナがあわてて言う。
「どうやら、墓から無断で持ち出したもののようです。もちろんお返しします」
「ありがとう。いえね、墓から持ち出したことを責めたりはしないわ。死んでから360年も経っていたら、そりゃあ墓というよりは遺跡みたいなものでしょうしねえ。……むしろ場所を見つけてくれたわけだから、後で人間と同じように墓参りというのをしてみようかしらね」
そう言われて少し安心したのか、エドナが俺に聞いてくる。
「指輪のパスワードが分かった、ということなのかしら?」
「ええ、そうなんです。ダンジョンで入手した『真実の指輪』からヒントをもらって、何とか」
しばらくひっくり返っていたりしたけどな。
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