システムの補修

 ペリが言う。

「しかし、よくこの隠し部屋が分かったわね」


 リズが例のメモをペリに見せる。

「これ、ヒックスさんの遺したメモです」

「あら。あの人、こんな文書を作ってたの」


 ペリは紙を手にし、数秒間凝視していたが、紙をリズに返しながら問う。

「でも、この文書はどこから?」


 俺がリズに代わって答える。

「ヒックス卿は亡くなって、生まれ故郷の山の中腹に葬られていました。それから長い年月が経過して、墓のありかも分からなくなっていました」

「そうでしたか。360年ですものね」


「それで、えっと、大変申し上げにくいのですが、数年前、私の叔父にあたる者がヒックス卿の墓の所在地をつきとめ、その墓を暴きました。墓から、この手順書を格納した指輪が発見されたというわけです。叔父はこの文書の存在には気付かないまま、すでに亡くなっていて、私が指輪に格納された物の解明を進めていたという次第です」

「そうですか。墓のことなら別にいいわ。人間が作る墓には、失礼ですが私はあまり興味がないですし」


 セーラがペリに尋ねる。

「現在まで残されているヒックス卿に関する書物では、ペリさんの方が先に病気で亡くなったかのように書かれているのですが」

 ペリは少し微笑んで言う。

「あらあら。やっぱりそんな風に伝わってるのね。それは、あの人がついていたウソなのよ」

「どうしてそんな……」


「部屋を切り離しておけば時間が流れないから、あたしの回りで時間が進むのはあの人が訪ねてくる時だけだったのよ。そうなると、あの人は年をとるけど、あたしはある時点から年を取らないからおかしいじゃない。あたしがここに隠れ住んでいることを人に知られないように、死んだことにしてたらしいわ」

「なるほど」


「でも逆に言うとね、あの人はここに来るたびに目に見えて年老いていったわ。そして結局こんなことに……。あたし目線の時間の流れでは、昨日までは部屋にレロイがいたのよ。で、やっこらせ、とか言いながら部屋から出ていって、廊下に気配がするから出てみたら360年も経っているとか。あり得ることとは思っていたけど、やっぱり突然過ぎるわ」


 ペリの目線からの話を聞くと、なかなかに想像を絶するものがある。


「そうなんですか。では、私達があなたの時間を再び動かしたのは間違いだったのでしょうか」


「いいえ。セーラさんと言ったかしら。私は天使だけど、人間と同じように死ぬわ。人間にしろ、天使にしろ、生きているものがやがては死ぬというのは、定めとは言え、残酷なものなのよ。それが、このちょっと特殊な環境であからさまに目の前で観察できてしまったということなんだと思うわ」

「ですが、あの部屋を見つけなければ、そういう残酷なことにはならなかった……」


「いえ。天使と言えど命あるものですから、私としては、死ぬ瞬間まで自分の生を見届けたいと思うのよ。レロイの最期を見届けられなかったからこそ、自分だけはしっかり死にたいわ。その点では貴方がたに感謝しなければならないかしらね」

「ペリさん、すごい哲学をお持ちなんですね」とセーラが感心している。


「いえ、すごいことなんかないわよ。ここにいたら、あれこれ考えたり、あの人とお茶を飲むくらいしかすることがないもの」


 それにしても、堂々としているというか、優雅な見た目に秘められた、鞭のようにしなやかで強い意志を感じる。

 リズは終始圧倒されているように見える。


 この人、というか、この天使はすごいな。


「ですからね、まだレロイが亡くなったという喪失感は埋めようもないんだけど、これからあたしは普通に生きて行きたいと思ってるのよ。その手始めに、この三百年以上の間に何があったのか教えて頂けるかしら」


 リズが言う。

「最大の出来事は魔王軍が出現したことですね」


「え! 魔王が現れたの?」

「はい、ちょうど今から三百年前です」

「そうですか。……いつかは現れるものと覚悟はしていましたが」


 俺からも補足情報。

「かなり激烈な戦闘があって、ナイアールの町は魔法攻撃の影響で消滅してしまったようです」

「なんですって? そんなに……。うーん。魔王が出現したら相当ひどいことになると頭では分かっていましたけど、そうですか……」


 リズから天使に関する情報。

「それから、ペリさんの後、別の4人の天使が遣わされて、あたしはその後です。魔王が現れた時を最後に、300年間、天使は派遣されていなかったんですけど」

「……なるほど。デレクさ……、デレクが魔法管理システムの担当でしたっけ?」


「あ、はい」


「そっか。これまでの天使はストーリーシステムを中心にした補修が役目だったんだけど、魔王の出現でストーリーシステムに関してはほぼ補修が終わったということかもしれないわね。現在の目的は魔法システムの補修かな?」


 補修?


「すいません、補修って何ですか?」


「ザ・システムって、知ってると思うけどこの世界をオクタンドルのように保つことを目的としているじゃない。でも実際に長年運用していると、オクタンドルの世界観から段々とズレて行くのよ。それで、システムに関する知識を持つ天使と、天使と世界の間で役割を果たす人間のペアを時々設定して、ズレを修正しようとするらしいわ」


「その、役割を果たす人間というのが、現在は俺ってことですか?」

「そうね」

「でも、特に何をしろ、という命令とか指示みたいなものは受けてないんですけど」


「そうね、どうやらそういうものらしいわ。その人が自分の考えに従って動くと、世界が修復されるようなストーリーができているんじゃないかしら?」

「ストーリー……ということは、ストーリーシステムが関与しているのですか?」

「ええ、そうね」

「じゃあ、俺が管理を任されてからやって来た様々なことは、誰かのシナリオ通りということなんでしょうか?」


「うーん、そうじゃないのよね。未来がシナリオに書かれた通りに決まっているんじゃなくて、そうね、水が低い方へ流れるみたいに、全体の流れが決められているのと、あとは所々に制約をつけることができるわ」

「制約、とは?」


「そうね、例えばあたしがナタリーさんにお茶を淹れて頂戴、とお願いしたときに、ナタリーさんは自分がいいと思う方法で水や茶葉を用意してくれるでしょう? どの茶葉を選べとか、何秒間蒸らせみたいなことを事細かには言わないし、もしかしたらコーヒーを淹れて持ってくるかもしれないけれど、結果としてティータイムを楽しく過ごせればいいのよ。これが全体の流れね。で、制約というのは、あたしのカップは朝顔がデザインされたのにしてね、というリクエストを付けるようなものね」


「でも、途中で予期せぬアクシデントがあるかもしれませんよね?」

「そうね。でも、できるだけそうならないように、ストーリーシステムが結果的にだけれどもサポートしてくれるわ」

「ちょっとそのあたりが良く分からないんですが、結果的に、って何ですか」


「ストーリーシステムって、あたしたち天使にも、もちろん人間にも全容が把握できない代物でね。そうねえ、因果関係の辻褄を合わせるということが可能なシステムなのよ」


 それって、ドラゴンも同じようなことを言っていたな。謎すぎる。


 お茶を一口飲んでペリがいう。

「ああ。おいしいわね。あたしの時代とそれほど違うということはないけれど、これはいい茶葉ね」

「はい、セーラの実家のラヴレース公爵家から頂きました」


 すると、ペリがくすっと笑う。

「ラヴレース公爵は道理はわきまえているが、頭が固い、ってあの人がよくボヤいていたわ。あ、もちろんあたしたちが聖都にいたころですから昔のお話ですけど」

 いやいや、血は争えない、ということかもしれないな。


 それはともかく。

「是非ともお伺いしなければならないのは、ヒックス卿と共同で行っていた作業のことです。我々が目にした文書によると、ごく当たり前の文書を読んで、意味の分からない部分を指摘するといったことをしていたと、ある記録には書かれていますが?」


「あら、よく知ってるわね。そうそう。それこそが、あたしたちのペアに託された仕事でね。読んでいたのはオクタンドル世界を記述したもの。規範文書、と呼んでいたけど」


「えっと、もしかしてこれですか?」とリズが例の冊子を出してくる。


「あら、これもどこかに格納されてたのかしら。そうそう、これよ。これがオクタンドルの仕様書ですから」


 何だって?


「オクタンドルの仕様書……ですって? それって、物語やゲームの登場人物が、自分の物語のストーリーを読むみたいな話ですよね?」

「まさにそうね。自己言及できる矛盾を内包したシステムこそが本質的な複雑性を持ちうるのだそうだけど……って、ゲームという言葉を知っているということは、あなた、オクタンドルのゲームを知っている転生者かしら」

「はい、オクタンドルの魔法システムの開発をしていた三日城みかしろ優馬と言う人物の記憶があります」

「なるほど。あ、ちなみにね、レロイも転生者だけど、あの人はシステムの開発者じゃなくて、ストーリー担当。名前はねえ、タカセガワ・ミストというのよ」


「高瀬川簾人みすと、か!」


 名前は聞いたことがある。ゲーム世界の設定とか、コミックの原作者としても活躍していた人だと思う。

 ただし、リズの話では転生者と呼んではいるものの、こちらの世界の住人に記憶をコピーしているだけらしい。


「その、えっと、規範文書を読むことが重要なミッションなのですか?」

「ええ。この世界がいつまでも変わらぬように、世界とはこういうものだということを認識し続ける必要があるらしいのよ。人間の脳が把握する『意味』だけはザ・システムでも完全には制御できないらしくて、システムが持っている世界のモデルと人間の脳の活動をシンクロさせるということらしいけど」


「八賢人をご存知ですか?」

「聞いたことがないわね。何かしら」


「聖王国から8人の人物を指名して集め、時々規範文書を読んでもらうという作業を行っているそうで、どうやらそれがヒックス卿がしていた作業の発展型ではないかと思うのですが」

「なるほど。そのような形式の方が良いと、あの人も言っていましたから、多分あたしの後の天使がそのような仕組みを整えたのでしょう」


「一方、その行為をやめさせようと画策する団体も存在しています」

「あら。そんなことをして何になるのかしら?」

「その団体の言うには、世界にはめられたかせを打ち壊さなければ、人類に未来はない、のだそうです」


 ペリ、少し考えながらお茶を一口飲んだ。そして言う。

「ははーん。そうか。そうね。そういう考え方もあるわね」

「どういうことですか?」

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