隠し部屋

 ヒックス伯爵の遺したファイルについての説明を聞いていたリズが言う。


「じゃあ、その話のタイトルが指輪のパスワードじゃない?」

「え?」


 その途端、視界がグラッと揺れたような気がした。『真実の指輪』を使った時に感じためまいのようでもあり、ズレていた焦点が空間ごとピタッとはまったような感覚とでも言えばいいだろうか。


 正解の予感。


 指輪のデータはコンピュータの中にある。俺のアカウントでログインしなおし、キーボードからコマンドを入力。


  シェルター ストレージモード=南柯なんかの夢

  シェルター 一覧リスト


 すると画面に表示が出る。


  ・操作手順

  ・規範文書


「成功だ!」


「何が入ってるの?」とセーラが期待に満ちた表情で画面を覗き込む。

「聖体……ではないな」

「何かしら……操作手順? それと何かの文書ね」


 予想していたペリその人でも、ペリの遺体でもなかったが、とりあえず危険物ではなさそうなので出してみるか。

 コマンドを入力。


  シェルター “操作手順”を回収フェッチ


 すると、端末の横に1枚の紙が現れる。プリンタで印刷したもののようだ。

 手にとって見てみる。


『部屋を元に戻す手順:

 (1) 構成設定コンフィギュアを起動する。

 詠唱: ザ・システムの管理権限を有する我レロイ、管理者番号5番が特権区画管理ハウスキーピングの起動を申請する。構成設定コンフィギュア

 (2) <区画整理>のメニューを選択

 (3) <一時退避区画>を選択

 (4) 区画番号を入力

 ……』


 その他に、部屋を保管する手順、部屋の状態を確認する手順、などが書かれている。

「これ……。構成設定コンフィギュアの手順かな?」


 リズに見せる。

「これは明らかにシステム魔法の構成設定コンフィギュアの使い方だけど……。ちょっと特殊だね。こんな使い方はあたしは初めて見るよ」

「これ、何やってるんだ?」

「うーん。ここの廊下のドアに、既に作成されている部屋を繋げたり、切り離したりする方法が書いてあるけど、ちょっと見たことのない複雑な手順ね」

「切り離した状態ってどんな状態?」

「普通はドアに繋がっていないというだけで同じ空間に従属しているはずなんだけど……。ほら、最初にあたしとデレクがここに来た時は、廊下と繋がっていなかったじゃない。あんな状態だね。でも、この操作方法はちょっと違うな……」


 セーラは訳が分からないという面持ち。

「デレク、何の話をしてるの?」

「特殊な魔法で、部屋自体を作ったり消したりできるんだけど、作ったばかりの部屋は廊下には繋がっていなくて……」

「えっと……、ごめん。意味が分からないわ」

「例えばね、今いるこの部屋は廊下と繋がってて出入りできるだろ?」

「ええ」

「今は食堂の近くのドアを使って出入りできるけど、別なドアの位置で廊下に繋ぐこともできるんだ」

「部屋の位置を移動できるということ?」

「きっとちょっと違うんだろうけど、俺もそんなに正確には把握してないし、そう思っていてもいいんじゃないかなあ」


 手順をじっくり見ていたリズが、ハッと何かに気づいたようだ。


「デレク。これ、すごい! 部屋をこの管理室の空間から切り離して、グローバルなストレージに格納してるんだよ」


 ん?

「……えっと、ごめん。何がすごいのか分からない」


「デレクが自分で言ってたじゃない。グローバルなストレージの中では時間が流れないって。部屋自体をまずグローバルなストレージ内部からのリンクとして格納して、それからこの管理スペースの空間から切り離したら、部屋ごと時間が流れないはずだよ」

「あ!」

「ね!」


 セーラだけが蚊帳の外。

「ちょっと、2人で何を納得してるのよ」

「つまりね、俺達は最初、ペリ自身が格納されていると思っていたじゃない? 例えば、エドナが数年間、格納されていたみたいに」

「そうね」

「どうも、部屋ごと格納されているらしい」

「え? でも指輪にはもう……」

「いや、エドナの時と基本的には同じ。ザ・システムというのが、どこにあるのかは分からないがずっと存在し続ける『場所』を提供してくれる。そこに格納したら時間が流れないんだ。この手順に、その場所に関する情報も書かれている」


「じゃあ、この手順に従って操作したら、その部屋が廊下に出現するってこと?」

「そのはず……なんだけど、ドアは出現しても中には入れないんじゃないかな?」

 リズも気がつく。

「あ、そうね。入室を許可された人として登録されていないものね」

 例の、手のひらを使った生体認証である。


「でも、やってみようよ」とリズ。

「お願いできる?」

「いいよ、ちょっと待っててね」


 リズがいつものように、白い壁の前で何かの操作を始めた。だが、手順が少々複雑らしく、すぐには終わらないようだ。手順書を確認しながら、慎重に操作を続ける。


 しばらくして、クルッとこちらを見て得意そうに言う。

「できたはず!」


「よし! 見に行ってみるか」


 3人で廊下に出てみると、今出てきたドアの隣の、これまでは使われていなかったドアに札が出ている。

 近寄って表示を見る。


 『ペリの休憩室』


「あ! ペリって書いてあるぞ!」

「すごいね。この中に誰かいるのかな?」

 興奮気味の俺とリズに対し、セーラは終始呆然としている。


「しかし、中には入れないよな?」


 ドアに手を触れてみるが、魔法管理室のドアのように「ぴぽ」といった音はしない。


「うーん。これってどうしたらいいのかな?」

「中から開けてもらうしかないね」

「中に誰かがいるという保証もないけど」


 セーラが素朴な意見を出す。

「ノックしてみたら聞こえるんじゃない?」

「……それって試したことはないけど、中に聞こえるかな?」

「えー。空間的に繋がっているとしたら、だけど」

 そういいつつ、リズが無遠慮にドアをノックする。


 コンコンコンコン。


「……ほらあ。返事がないじゃない」

「ダメか。物理的にぶち破ることってできるのかな?」

「ノックの音が伝わらないとしたら、ドアのこっちとあっちは別の空間だから……」


 などとごそごそ話をしていると。


 ドアが開いた。


 中から、少し年配の女性が静かに現れた。


 彫りの深い、ギリシアかローマの彫像を思わせる威厳と優美さに満ちた面立ちに青い瞳、透き通るようなシルバーの髪。品のよいクリーム色の部屋着を着てゆっくり歩く様子は、神話から抜け出てきた女神のようである。


 思わず息を飲んで見守る俺達3人。


 女性は廊下にいる俺達に気づくと意外そうな顔をする。

「あら? あなたたちは誰?」

 穏やかな、聞くものの耳にすっと入ってくるような柔和な声。


「あの」と声を上げようとした瞬間、女性は何かに気付いたようなハッとした表情になり、右の手のひらをこちらに向けて俺を制止した。


「待って!」


 数秒の沈黙の後、女性は少し震える声で言った。


「レロイは……。もしや、レロイ・ヒックスは既に亡くなっている……のでしょうか」

「はい。えっと……」


 女性は両手で顔を覆うと、そのまま立ち尽くしている。

 肩を震わせ、声を出さずに泣いているようだ。


 声をかけることも出来ずに呆然と見守るしかない我々3人。


 やがて、深い溜め息をつき、女性は顔を上げて涙を拭う。


「ああ。……そうでしたか。いつかはこんな時が来ると分かっていました。でも何てこと。なんて突然で残酷なのかしら」


 女性は俺達の中にいるリズの容姿に気づいたらしい。

「あなたは……天使よね? 違うかしら」


 リズが答える。

「はい。私は天使のリズと言います。ペリさんですか?」

「ええ、私がペリです。……ごめんなさいね、あなた方に色々お聞きしたいけれど、少し考えを整理する時間を頂けないかしら。……リズ、この部屋はこのまま廊下に接続しておいて頂戴。お願いできる?」


「はい。では、あたしたちは魔法管理室におりますので」

「分かりました」


 そう言うとペリはすこしよろけるような覚束ない足取りで部屋に戻り、ドアは再び閉ざされてしまう。


 我々は魔法管理室に戻る。

 短い時間だったが、今の女性は確かにペリと名乗った。


「ペリ……さんだったわね」とセーラが夢から現実に戻ったように言葉を発する。

「ある程度予想はしていたが、本当にまだ生きていたんだな……。見覚えのない我々がここにいることで、ヒックス伯爵が亡くなっていることを察したんだろうか」

「ただただ驚くばかりだけど、エドナさんの例があったから推測はできるわ。つまり、ペリさんの時間はずっと止まったままで、今やっと動き出したということね」


 リズが言う。

「指輪にはもうひとつ何か入っていたじゃない。あれは?」

「何かの文書だったな。取り出してみるか」


 再びコンピュータにコマンドを入力。


  シェルター “規範文書”を回収フェッチ


 すると、糸でしっかり綴じられた厚いノートほどの冊子が机の上に現れた。表紙にはこう書かれている。


 『オクタンドル世界の概要と禁忌事項(第2稿)』


「ちょっといいかしら」

 セーラが手にとり、表紙をめくって内容を見ている。


「これ、そこのプリンタで出したみたいなきれいな活字で印刷されているけど、書庫にもあるフェスライエ・ライブラリーと同じ種類の文書ね。人々の生活の様子や地理、気候、農作物なんかの記述が続いているわ」


 しばらく冊子をパラパラと見ていたセーラだが、冊子の後半あたりをめくった時に表情が変わった。

「……ちょっと。何よこれ」

「え?」


 セーラが示したページにはこんなことが書かれていた。


『制約と禁忌事項の概要


 1. オクタンドルは中世ヨーロッパの生活様式を模した仮想的な世界である。


 2. 魔法が存在するが、使用できるのは偶発的に能力を獲得した人間だけである。


 3. 人類の大多数を壊滅させるような自然災害は発生しない。このため、惑星全体は管理運営期間の間、小惑星の衝突などの脅威から保護されなければならない。巨大噴火や氷河期の到来も抑止できるように惑星管理を行う必要がある。


 4. 鉄砲、大砲に類する兵器、特に大量破壊兵器の技術、蒸気機関、内燃機関、電気・電子機器、情報通信技術は発展させてはならない。これは禁忌事項である。


 5. 交通手段は馬と帆船を基本とする。蒸気機関、内燃機関やモーターを使う乗り物、飛行機による輸送手段の効率化は禁忌事項である。


 6. 医療は高度には発達していない。麻酔と痛み止め、抗生物質に相当する効果のある医薬品は存在する。遺伝子治療、生殖医療は禁忌事項である。一方、人類の存続を危うくするような危険な伝染病、害虫や害獣は存在しない。このため、細菌やウイルスの種類については定期的な観察が必要である。

 ……』


 そのページから以降には延々と、細目に分かれて色々な規定が詳細に記述されている。


「これは何? あたしには馴染みのない単語が多いけど、この世界にあってはならないものということかしら。その反面、大災害が発生しないように誰かが管理している、というように読めるわよ?」


 俺もそのページに目を通すが、うまく言葉が出ない。

「これ……。こんな文書があるなんて……」


 セーラにはこの世界がオクタンドルというゲームを元にしているとか、魔法システムが後付けで実装されていることなどについて少しずつ説明している。従って、セーラにもこの文書が何か世界の成り立ちに関わるものであることが感じられたようだ。


 それにしても、これは俺の理解も超えるヤバい文書に思える。


「この世界の秘密そのもの、だ」


 俺は、ザグクリフ峠でプリムスフェリーの馬車を襲撃してきたカドマという男が発した言葉を思い出した。


「世界にはめられたかせ、か」

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