南柯の夢
食事を終えてコーヒーを頂いていると、来客がある。
ヒルダである。
「お休みのところ、失礼します」
「どうぞどうぞ」
リズは魔法管理室へ行ってしまって、ここにはセーラとマリリンがいる。マリリンとは多分初対面だろうな。
「えっと、こちら初めてですよね。ロックリッジ男爵家のマリリンさんです」
「え! あ、お噂はかねがね。お会いできて光栄です。あの、私、ヒルダ・ヒュースヴィルと申します。ジョン・スタックウェイというペンネームで小説を書いています」
「あら。あなたが『街猫』の作者さんなの。いやあ、私もお会いできてうれしいわ。よろしくね」
「で、今日はどういう?」
「実はですね、先日の小説の出版の件。ドゥードヴィル出版社も大変乗り気なんですが」
「それは良かったじゃないですか」
「それがですね、実はこの年末の休暇にも関わらずこちらに失礼したのは、出版社の経営がかなりまずいことになっていてですね」
「え!」
「あの小説が面白いという点は、出版社の役員も同意なんですが、確実にヒットするであろうという小説でも、それが本格的に売れ出して収益に結びつくには半年以上は見ておかないといけないだろうというわけで」
「そりゃそうか」
「そこでですね、セーラさんにお願いがあります」
「え? あたし?」
「はい。実はドゥードヴィル出版社は『シナーキアン』という週刊の新聞を出しているのですが、そこに例の『13番地事件』に関するセーラさんの手記を掲載できないかと」
「どういうこと?」
「つまり、新聞で短期連載したものを書籍にまとめて予約販売すれば、すぐに収益が見込めます。デームスールの小説が売れ始めるまでの期間、それでしのぐことができるだろうという……」
「あらあら。それは知名度があるセーラを便利に使うということよねえ」
マリリンが辛辣な指摘。
「はい。おっしゃる通りでして、誠に心苦しいのですが……」
俺からもコメント。
「大体、ヒルダさんは出版社の人間じゃないんだから、そんな運転資金の工面の話に当事者みたいに関わる必要はないですよね」
「はい。すみません」
すっかり意気消沈といった感じで縮こまってしまうヒルダ。
「出版社に何か肩入れする理由でも?」
するとヒルダ、うつむきながらも話してくれた。
「あたし、将来的には演劇の脚本のようなことも手掛けられたらなあ、って思ってるんですけど」
ああ。そんな話を前にもしてたなあ。
「『シナーキアン』は演劇の紹介や若手の支援にも力を入れていて、劇団関係のコミュニティと関係が深いんです。ドゥードヴィル出版社と『シナーキアン』のピンチは、演劇文化にとって少なからぬダメージになりかねないと、少々焦っているようなわけで……」
なるほどね。
するとセーラが言う。
「そうね、いいわよ。やっても」
「え? 本当ですか?」
ヒルダの表情がパッと明るくなる。
「でもね、『13番地事件』は、いろいろな事情から手記にはしにくいのよね」
「いろいろ?」
「つまり、あの件で捕まった連中との繋がりが疑われる人たちがまだあちこちにいるわけで、そういう筋から妨害があるかもしれないのよ」
つまり、内務省を刺激したくない、ということだな。何やかやと理由をつけてシュガーツ大臣が出版の差し止めみたいなことをしかねない。
「だから、あたしからの提案はこう。つい先日、騎士隊の仲間と一緒にフィアニカ・ダンジョンに行ってきたんだけど」
「以前、そんなお話をしていましたね」
「かなり深い階層まで行って、いろいろなモンスターと実際に戦ってきたから、それを読み物にまとめたらどうかしら」
「あ、なるほど」
「あなたも知ってると思うけど、ウィング・シックスのシャーリー、それとカメリアも一緒だったから、彼女たちの視点からの話も織り交ぜてね」
「それはいいですね。『ダグラスくんと謎のダンジョン』が消化不良で終わってしまいましたから、そういった読者も呼び込めそうです」
「ただ、読み物として面白いものをどうやって書いたらいいかっていう点についてはあたしは素人だから、ジョン・スタックウェイさんとの共著という形でどうかしら」
するとマリリンも興味を持ったらしい。
「それは面白そうね。題材としてもあちこちの鬱陶しい人たちに気を使わなくていいし、売れっ子のジョン・スタックウェイさんとの共著というのは話題性もあるわね。どうせセーラもヒマな時間ができるでしょうから、ちょうどいいわね」
ということでトントン拍子に話が進んで、年末年始の休みを利用して原稿を作成し、年明けの早い時期から週刊連載、さらに書籍化して予約販売ということになった。それと並行して、デームスールの書店との間で契約を結び、こちらは春から段々と刊行して行く。
「ありがとうございました。では、出版社の方へ戻って話を進めて参ります。原稿の作成作業などはどこで……」
「この屋敷でいいわよね、デレク」
「あ。いいよ。空いている部屋もまだあるし」
ヒルダが帰った後も、セーラはうれしそうに構想を練っている。
「物語は手記の雰囲気が出るように一人称がいいのかしら? それとも物語風にまとめるのかしら。あたしじゃない誰かの視点でというのもアリ? ねえ、マリリンはどう思う?」
「ちょっと書き始めてみないと何とも言えないわ。でも、戦記物とは違って気軽に読めるものを目指すべきよね」
俺からも注文。
「あのね、俺とかオーレリーのところは何か脚色して欲しいんだけど」
「あー。そうねえ」
「どういうこと?」とマリリン。
それはもちろん、ヤバい魔法を使ったことを大っぴらに書くわけにいかないし、オーレリーの素性に繋がりそうなことも省いて欲しいということなのだが。
「えっとですね、俺とセーラの婚約についてグチグチ言いそうな人もいるじゃないですか」
「ああ。確かにね」
「ダンジョンの最下層まで行ったのは俺なんですけど、あまり俺を持ち上げる書き方にしない方がいいかなあ、と」
「そうね。デレクも気苦労が絶えないわね」
しばらくしてマリリンも帰って行ったので、俺はセーラと一緒に魔法管理室へ。
魔法管理室へ行ってみると、部屋の隅に不思議な銀色の立方体。
「あ。もしかして?」
リズがドヤ顔で答える。
「そう、プリンタだよ」
「俺が知ってるプリンタは、だいたいプラスチックの
「静電気を防ぐには導体を利用したものの方が……」
などと話をしていると、正体が分からないセーラが怪しいものを見る目で見ている。
「何これ?」
「このコンピュータの中の文書をここで紙に印刷できるんだ」
「本当に?」
適当に、ヒックス伯爵の書いた文書を選んで印刷してみる。
軽い動作音がして排紙トレイが筐体から伸びてくる。数秒後、そこにふわっと白い紙が出てきて、細かい文字が印刷されているのが見える。
「うわ。本当だ。すっごいねえ。へえ」
「これ、ヒックス伯爵の書いたもの」
「どれどれ。……シナーク川の
「そんな感じの文書が数百以上あるわけ」
「うーん。もしかして気が滅入る感じの文書かな?」
「残念ながらその可能性が高いねえ」
セーラは次に画面の方を覗き込んで、ファイル名の一覧を見ている。
「この、見たことのない文字は何?」
「前にほら、俺には別な世界で暮らしていた人の記憶があるという話をしたじゃないか」
「そうだったわね」
「どうやらヒックス伯爵もその一人らしくてね」
「え、ウソ!」
「俺もヒックス伯爵も、その世界の同じ国の住人だったようで、これはその日本という国で使われていた文字で書いた文書だよ」
「へえ。……じゃあ、一覧のおしまいの方にある、これは何が書いてあるのかしら」
セーラがファイル名の1つを指差す。
「ちょっと待って。印刷してみよう」
AIは日本語を理解してくれないが、プリントするだけならできる。
その文書にはこんなことが書いてあった。
◇◇◇◇◇
南柯太守伝、または「
詳細は残念ながらうろおぼえだが、唐代の伝奇小説だと思う。最近になってとみにこの話を身近に思うようになった。覚えている範囲でプロットを記しておきたい。
主人公の家には庭に大きな木があり、よくその庭で酒宴を開いていた。
ある日も酒宴を開いて酩酊していると、突然「国王の使い」と称する身なりの立派な使者の一行が訪ねて来て、彼は馬車に乗せられてその国へと行くことになった。
馬車が到着した先は王国の立派な宮殿。彼は国王に、娘とぜひ結婚して欲しいとの申し出を受け、天女のように美しい王女と盛大な結婚式を挙げるのである。
彼は
しかし、幸せな日々は妻の死によって暗転する。どこの世界にも妬みやそねみはあるもので、「よそ者が原因で天災に見舞われる」という予言が元になり、彼は子供たちを残して元の国に追放されることとなってしまう。
気づくと彼は、元の屋敷の庭で酔いつぶれている自分を見つける。これまでのことは酔っている間の夢であったのだ。木のそばを掘り返してみるとアリの巣があって、主人公はこれが数十年を過ごしていた王国であるらしいことに気づく。彼はアリたちをそっとしておこうと穴を埋め戻すのだが、その夜、暴風雨が襲い、庭のアリの巣は跡形もなく失われてしまう。
この世界がアリの国なのかは分からないし、もとの世界との関係も分からないが、「
◇◇◇◇◇
書かれている内容を口で伝えると、セーラはすこし上気した表情で言う。
「何か、不思議な、素敵な、だけど悲しいお話ね」
「これは別の国で作られた話なんだけど、俺も聞いたことがあるし、結構有名な話だと思うよ」
いわゆる異世界転生モノの原点のような話である。
「タイトルは?」
「正式なタイトルよりも通称で『
「ヒックス伯爵はなんでこの話をわざわざ書き残しておいたのかしら?」
「最近になってこの話を身近に思うようになった、と冒頭に書いてある。聖都から所領に戻ったとも書いてあるから、自らの境遇と重なる部分があったんだろうな」
異世界の王宮で重用され、美しい妻に恵まれ、しかし『前世』の記憶も持っている。当時のヒックス伯爵の心情も理解できる気がする。
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