ナイアール公の約束
メロディの結婚式に出席するためにダズベリーに戻った時、カーラやバックス男爵夫妻から聞いたのが『ナイアール公の約束』という子供の遊び歌である。このナイアール公というのがどうやらヒックス伯爵のことらしい。
「どんな内容だっけ?」
「前半はいいのよ。問題は後半。意味がないので思い出せない……」
セーラが必死に思い出そうとしている。
「確か、『ナイアール公の約束を思い出せ。光の剣で切り裂くぞ』で、それから?」
「えっとね、ノック、テイラー、……なんとか、ハイ』、みたいな?」
「あああ。そんな感じだったよな。その部分がパスワードか?」
リズが、バックス男爵夫妻の言葉を正確に覚えていた。
「奥さんが言うには、『アロクタル、サンマイアック、サンボード、ヤァ』なんだけど、バックス男爵が覚えているのは『ロクタル、サマク、ザンボー、ダイ』だったよ」
「うわ。支離滅裂」
セーラがちょっと考えている。
「もしこれがそのパスワードだったとしたら、後世に残すために子供の遊び歌として広めたということ?」
「そう、かな?」
「でも、子供って、大人に教えられたからって遊び歌を何世代にもわたって継承してくれるものかしらね? その遊びに飽きちゃったらもう伝わらないわけでしょう?」
「うーん。確かにね」
これか、と思ったんだけどなあ。
セーラが指摘するように確実に伝承されるものでもないだろうし、実際、正確に伝わっていない。これでは意味がない。
ノイシャがセーラに焼きたてのパンケーキを持ってきてくれる。
「うわ。ありがとう」
「ところで、パスワードを残したいと言っていた人物なんだけど、どうも名前はハーゲン・エヴァンスか、セルサス・ファーフィールドか、らしいんだけど」
「エヴァンス?」
「でも、数百年まえの人物だからなあ」
「ハーゲン?」
セーラは何かを思い出そうとしているみたいだ。
「あたし、ほら。聖王国の正史に少し詳しいんだけど」
ああ。セーラは正史のおかしな点を考察した研究書をまとめたほどだからな。
「まず、セルサス・ファーフィールドってかなり昔の宰相の名前じゃないかしら」
「へえ」
ドラゴンのイメシェクが教えてくれた歴代の天使名からすると、ジュリエルと対応付けられるのがセルサスになる。このあたりで聖王国の八賢人の仕組みが整ったらしいから、セルサスが宰相だったというのは辻褄が合う。
「で、ハーゲンだけど。うーん。聖王国の正史には名前があったかどうか思い出せないけど、どこかで聞いたことがあるのよねえ。何だったかな……」
朝食をとってしばらくしたら、久しぶりにマリリンがやって来た。
「おはよう、デレク。あら、今朝はセーラもいるのね?」
「ええ。それにしても一昨日は人がいっぱい集まってちょっと疲れたわ」
「あなたたちは婚約の件で挨拶して回っていたから大変だったでしょう」
「会う人、会う人に同じ話をしないといけないし、疲れたわねえ」
ナタリーがマリリンのお茶と、クッキーやマドレーヌを乗せた皿を持って来た。
「あら。これ……珍しいお菓子ね」
「ええ。ちょっと、ね」
スールシティで大量に買って来たお菓子である。みんなでバクバク食ったので、きっとこれで終わりだ。
「ねえ、マリリン。ハーゲン・エヴァンスって名前に覚えはない?」
「え? ……ハーゲン、ねえ」
「かなり昔、三百年以上前の人なんだけど」
「はて。エヴァンス家……だとしても、そんなに昔まで遡ると、ハーゲンも何人もいるだろうし……」
セーラとマリリンをしても、ハーゲンの正体は不明か。
「このお菓子の形は何?」とマドレーヌを手に取ってマリリン。
「これは、貝の形を模したものだと思います」
「あ。なるほど。……今一瞬、あの大きな岩のことを思い出したんだけど、あれってハーゲンの岩って呼ばれてなかったかしら」
「あ! そうそう。あれよ。ハーゲン岩!」
「何それ」
「デレクもランガムのエヴァンス邸に泊めてもらったことがあるじゃない。あの屋敷のエントランスに、やたらデカい
そう言えば、デカい岩があった。高さは5メートル以上あっただろうか。来訪者の馬車は、それをぐるっと取り囲むロータリーを回り込んで正面に向かうのだ。
「あれがハーゲン岩って言うのか。いわれは何かあるの?」
「そこまでは知らないけど、昔からハーゲン岩って呼ばれてるわね。そうそう。引っかかってたのを思い出してスッキリしたわ」
マリリンが当然の質問。
「そのハーゲンが何だっていうわけ?」
「えっと、何か重要な言葉を後世に残すためにあれこれしたらしい……」
セーラも直接的に説明できないので、意味不明な説明になる。
「セーラのその説明も意味不明ね。……あ、でもね、風雨にさらされてかなり薄くなってたけど、その岩には何か文字が刻まれていた記憶があるわ」
「え! 何ですって」
「わ、デレク。急に大きな声を出したらびっくりするわよ」
しまったなあ。何で気付かなかったんだろう。
情報科学の世界でも昔から言われている。半導体メモリも磁気を使った記憶装置も、経年劣化によって寿命は十数年程度と言われている。CDやDVDも数十年で信号が読み取りにくくなる。だからデータセンターでは定期的にせっせとバックアップを作り続ける必要がある。むしろ針式のLPレコードや紙のパンチカードの方が長持ちするのだ。
人類史上最強の記憶媒体は、粘土板に刻んだ楔形文字か、岩に刻んだ文字、つまり石碑やペトログリフである。これは保存状態にもよるが数千年耐えることは実証済み。
居ても立ってもいられない。
「ちょっと見てくる」
「は?」と怪訝な顔のマリリン。
書斎に引っ込んで、そこからランガムのエヴァンス邸に転移。もちろん、怪しまれないようにイビル・ディストーションで認識阻害をかけておく。
エントランス前にデカい岩。
1ヶ月ほど前に来た時は馬車の中から見たのだが、そばに立って見ると、威圧感がある。そして、雨が流れた跡が縦に筋のようについていて、そう言われればマドレーヌの形に似ていなくもない。
岩の半ばあたり、少し見上げる感じの高さに、風雨にさらされて読みにくくなってはいるが、確かに文字が刻まれている。
『民に災厄を振りまくドラゴンに告ぐ
ナイアール公の約束を思い出せ
光の剣で切り裂くであろう
A noku tara san mya ku sanbo da i』
絶句。
しばらく呆然と立ち尽くしてしまう。
「
とにかく仏教の経典に出てくる言葉だ。
ヒックス伯爵は『転生者』だったのか。
ハーゲン氏が転生者だったかどうかは不明だが、とにかくこちらの言語としては意味不明な(いや、優馬の立場でも意味はよく分からない)音の羅列を後世に伝えるため、石碑に刻んだのだろう。
そして三百年。言葉の意味も分からず、子供たちは不思議な呪文として面白がって、遊び歌になったのかもしれない。
「リズ、分かったかもしれない。魔法管理室へ来てくれないか」
「了解」
申し訳ないが、マリリンの相手はセーラにまかせて、リズと魔法管理室へ。
コンピュータに、ユーザ名 admin5、そしてさっきの文字列をパスワードとして入力する。
一瞬画面が黒くなって、いつも俺がログインする時のような画面が表示される。
見守っていたリズが驚いて叫ぶ。
「あ! 成功したんじゃない?」
「ログイン、できたな……」
ヒックス伯爵のアカウントにログインできた。
緊張でキーボードを打つ指が少しためらいがちになる。
ホームディレクトリにはディレクトリが2つ作られている。
1つは「魔法」。
内容はメモが書かれた文書ファイルだけ。
黒いドラゴンが暴れて各地に被害が出ているので、緊急的にペリが魔法を使えるように能力の設定を行った、と書かれており、設定方法の手順が書いてある。
個人的な覚書という感じである。
ホームディレクトリにあるもうひとつのディレクトリは「雑感」。
ファイル数はメチャクチャ多いが、中身をざっと見ると、この謎研修所のこと、ペリのこと、日常のあれこれが書かれているだけだ。はっきり言って個人ブログというか、暇つぶしの日記みたいな文章群である。
「なんだこりゃあ……」
「でも、確かにヒックス伯爵が魔法の設定を操作した方法は書かれていたよね」
「つまり、ハーゲン氏が巨石に文字を刻んでまで後世に伝えようとしたことは、確かに俺が受け取ったわけだけど、魔法の設定って既に知っている情報だからなあ」
そして、ドラゴン退治の件以外では、魔法システムを使って何かをしたという痕跡はまったくない。
リズが言う。
「ねえ、ストーリーシステムにはアクセスできないのかな?」
「あ。それは調べてみないとな」
小一時間、利用可能なアプリケーションやらを調べてみたものの、ストーリー・システムや、その他のサブシステムを操作するようなものは見つからない。
結局、ヒックス伯爵が魔法システムをちょこっといじったことがある、ということが分かっただけで、新発見はないという結果に。
「あっれー? もっと劇的に何かがあると思ったんだけど」
「ザ・システムの管理側が何か設定を変更したのかな?」
「いや、それだったら過去のユーザのアカウントごと消せばいいだけだ」
リズがそもそもな話を思い出す。
「ねえ、デレク。『聖体』について調べるんでしょ?」
「そうだった! 別のアカウントにログインできて、ちょっと舞い上がっていたけど、そうそう、『聖体』に関する情報を見つけるのが目的だったよな」
まずは、アカウントのパスワードが指輪のストレージのパスワードに使い回されていないかのチェック。指輪はエドナのところなので、保存してある魔石の情報に対してコンピュータの端末からアクセスを試みる。
シェルター ストレージモード=あのくたらさんみゃくさんぼだい
シェルター
エラーコードが表示されて終わり。
「残念ながら違うな」
「とすると、その『雑感』というディレクトリの文書がヒントなんじゃない?」
「確かに」
俺の予想では、聖体とはペリ自身、またはその遺体をストレージ魔法で収納したものである。そのパスワードのヒントが欲しい。
あるいは、聖体の正体について、まったく違う記述があるかもしれない。
さらに、ヒックス伯爵が転生者、つまり俺と同じ世界の記憶を持っている人間だったとしたら、それに関する情報も得られるかもしれない。
だが、ディレクトリにある文書ファイルは数百に上る。
「これは案外時間がかかるかもしれないなあ」
「でも、これはデレクにしかできない仕事だよね」
「せっせと読むことにするか」
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