ヒックス伯爵のパスワード
気がつくと、寝室のベッドに寝かされている。
「あれ?」
傍らにリズとセーラがいる。
「あ! デレクが気がついたよ!」とリズが大声で叫ぶ。
セーラが青い顔で俺の肩にガシッと手をかける。
「デレク! デレク! 大丈夫?」
あー。なんか頭が少しクラクラする。
「あ。いや、大丈夫……だ」
リズが心配そうに俺の顔を覗き込みながら言う。
「指輪をはめて詠唱したら、倒れちゃって。しばらく寝っぱなしだったんだよ?」
「え。どのくらい?」
「もう夕方だよ」
「え! そんなに?」
上半身を起こして窓から外を見ると、確かに西日が庭を赤く照らしている。
「……ということは、昼食のパスタを食いそこなった?」
「心配するのはそこ?」
「もうデレクったら! 心配したんだよ」
セーラに思い切りギューッと抱きつかれてしまう。
「デレクが倒れたって、ノイシャが馬に乗って知らせに来てくれたんだよ」
寝室の入口からメイドたちも覗いているのに気づく。なんだか
「みんな、心配かけたな。体力を急激に吸い取られたらしい。もう大丈夫だから」
「そしたら、体力を回復するために、おいしいお料理を作らないと!」とアミー。
「ねえ、ウルドも心配してたから知らせておいてよ」とリズ。
「そっか。……ホットライン。ウルド」
「あ。デレク。大丈夫?」
脳内にウルドの声。
「ごめん、心配かけたみたいだけど、もう大丈夫だ」
「痕跡が乏しい事象のヒントを得ようとすると、体力を大幅に消耗するらしいわね。あたしも使ったことがあるわけじゃないから程度が分からなかったわ」
「次から気をつけるよ」
「ウルドって誰?」とセーラ。
「フィアニカ・ダンジョンで試練をクリアしたときに知り合ったホムンクルス」
「はあ? 何よそれ。ちょっと説明して欲しいんだけど」
そこにリズが割って入る。
「セーラ、セーラ。デレクはまだ疲れてるだろうから、あたしが説明するよ」
「あ、そうね。ごめんなさい」
その後、少し早めに夕食にしてもらって、食いそびれた昼飯の分まで食べて、やっと人心地。
セーラが言う。
「あたし、デレクが倒れたって聞いて飛び出してきたから、今日はもうここに泊まるわね」
「えっと、意味がわからないけど?」
「倒れた婚約者を夜を徹して甲斐甲斐しく看病するって話よ」
それはそれで魅力的な申し出だが、……ちょっと待てよ?
「それだと『デレクくんはダンジョンに行ってかなり疲労が蓄積してるんじゃないか?』とかいういらない憶測を呼ぶおそれがないかな? むしろ、慌てて行ってみたけどたいしたことなくて、本人はピンピンしてたからもう帰ってきたわ、という話にしないと、次にダンジョンに行けるのがいつになるか分からないぞ」
「あー。なるほど。それは道理ね……」
セーラはちょっと考えていたが、今日は帰ることにしたらしい。
「また明日来ることにするわ。あの指輪は、しばらく使っちゃダメよ」
「心配かけてごめん」
セーラが帰った後、リズと2人で、俺が倒れた時に聞いた会話を整理する。
「詠唱したらどうなったって?」
「うん。めまいがしてね、誰か分からないけど、男女2人の会話が聞こえたんだけど……。ちょっと待てよ。『ヒックス伯爵のアカウントのパスワード』って言ってたな」
リズがピクッと反応する。
「どういうこと?」
ソファに座り直して考える。
「俺の幻聴ではなくて、指輪の効果なのだとしたら……」
「ヒックス伯爵が、アカウントを持ってた、の?」
「何のアカウントか、と言ったら……魔法管理システム、か」
「正確には、ザ・システムのインタフェース用コンピュータだけどね」
そうだった。コンピュータにログインして、そこから魔法管理システムにアクセスしているというのが正確な表現だ。
「ペリが天使だったなら、ヒックス伯爵が俺と同じようにコンピュータにログインするためのアカウントを持っていたとしても不思議ではないよな」
「確かにそうかも」
「それで、会話自体はそれほど長くはなくて、ドラゴンがまた暴れたら魔法で対処しないといけない、と男の声が言うわけ」
「うんうん」
「で、女性の声が対応するんだけど、どうもそれは天使らしいんだよ。で、『あたしのように魔法を使う権限が与えられていない天使だったら』と言うんだけど、つまり、天使が魔法システムにアクセスできない場合は困るだろう、ということを言いたいように思えた」
「だからアカウントのパスワードが重要、ってこと?」
「かな?」
「その声の主は、どういう経緯か、ヒックス伯爵のパスワードを知ってるってことだね」
「うん。で、それを次の管理者に伝えないといけない、と主張してる」
「ふーん。……どうやって?」
「それについては何も分からないままだ」
さらに謎なのは、それと『聖体』がどう関係するのか、である。
「パスワードを使いまわしすることってありうるから、もしかしたらアカウントのパスワードが、例の指輪のストレージのパスワードと一緒なのかもしれない」
「あ、それは可能性がありそうね」
「しかし、パスワードだけ分かったとしてもしょうがない。ユーザ名は何だろう?」
「それはほら、デレクが admin9 なんだから admin8 とかそういう感じじゃない?」
「なるほどね。それは確認してみるか」
魔法管理室に移動して、コンピュータにログイン。
優馬が知っているOSのターミナルコマンドがだいたい使えるから、fingerコマンドとかも使えるかな?
ちなみに、fingerコマンドとは、ネットワーク内のユーザに関する情報を表示する比較的古いコマンドだが、セキュリティ上の理由から利用が停止されていることもある。
% finger admin9
Login: admin9 Name: Derek Tesserd
Last login ...
あ。コマンドはある。じゃあ……。
% finger admin8
Login: admin8 Name: Sgurl Rockridge
げげ。admin8 は、スグル・ロックリッジなのかよ。
% finger admin7
Login: admin7 Name: Hagen Evans
% finger admin6
Login: admin6 Name: Celsus Farfield
% finger admin5
Login: admin5 Name: Leroy Hicks
おっと、発見! ヒックス伯爵は admin5 か。
となると、さっき聞こえてきた声の主は admin7 のハーゲン・エヴァンスか、 admin6 のセルサス・ファーフィールドということかな?
ハーゲン・エヴァンスって、エヴァンス家に関係する人だろうか? でも、数百年前のことだし、同姓同名も何人もいるだろう。『
ちなみに、他のユーザのアカウントは存在はしているものの、ホームディレクトリの内容にアクセスはできないようになっていた。
「他のユーザのファイルにアクセスできるなら話は簡単なのにね」
「それができないから、パスワードを知らせたいという話になるわけだけど……」
「そのパスワードを知っている人が、パスワードを誰でも分かる簡単なのに変換しておいてくれたら良かったんじゃないかな?」
「誰でも分かる簡単なパスワードになっている、という事実自体が分からないよね。……そうそう、一番最初、俺は夢の中で初期パスワードを教えてもらったんだけど、変更する時もそういう仕組みで本人確認が必要かもしれない。だとすると、本人以外には変更は不可能だよなあ」
あの『二段階認証』である。庭園の少女から教えてもらったやつだ。
「じゃあ、メールで情報を送っておくのはどう? ネットは存在しないけど、コンピュータ内なら送れるでしょ?」
「いや、その時点では次の管理者のアカウントは存在しないからメールは送れないよ」
「そっか。じゃあ、共有の場所にメッセージを書いたファイルを置いておく?」
「うーん。ありそうだけど、逆に共有の場所って定期的に掃除されちゃうからなあ」
「研修所のどこかに残しておく?」
「たとえば?」
「トイレの個室にラクガキしておく?」
「それは定期保守ですぐ消されちゃうだろ」
しばらく考えたが、これはという方法が思い当たらない。
「結局、後任の管理者、つまり俺にパスワードを伝えるという目的は失敗してるってことになるよなあ」
「でも『真実の指輪』がわざわざ教えてくれたんだから、何かあるはずだよ」
「それはそうか」
その晩は大事をとって早く寝ることにする。
次の日は朝食の時間からセーラが来る。
「デレク、おはよう。調子はどう?」
「もう普通だよ。心配かけたね」
ノイシャが、ハチミツのたっぷりかかったパンケーキを持ってくる。
「朝から甘いものを食べると調子が出ますよ」
どうやらリズのリクエストらしい。
「うは。これはいい匂い」
「ノイシャも、昨日は済まなかったね」
「いえいえ。正直、いつもは怪人か魔人のように見えるデレク様でも倒れたりすることがあるんだなあ、と思いましたね」
「それ、褒めてないよな」
「怪人でも魔人でもいいんですけど、服のセンスはなんとかした方がいいですよ」
セーラが爆笑。
「あっはっはっは。確かにそのとおりねえ。ハーロックの時の格好はもうちょっと何とかした方がいいわ」
「ダニッチの時よりも、自分としてはかなり改善したつもりなんだけど?」
「でも……」
「ねえ」
その場の3人で再び大笑い。……くっそー。
ノイシャは厨房へ戻って、セーラにもパンケーキを焼いてくれるらしい。
セーラに昨日のヒックス伯爵のパスワードの件と、検討内容を伝える。
「ふーん。パスワードねえ」
「何十年後になるか分からない後継者に伝えようとしたら、セーラならどうする?」
「口伝で残す、とか?」
「ははあ、それもありか。でも、後継者は誰になるか分からないからなあ」
すると、パンケーキをうまそうに食べていたリズが思い出したように言う。
「口伝、というか、『ナイアール公の約束を思い出せ』って遊び歌がそれってことはないかな?」
「え?」
「黒いドラゴンが来たら、光の剣で切り裂くんでしょ?」
「あ! それか?」
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