真実の指輪
予定の来客がほぼ揃った頃、やや遅れてハワードの事実上の婚約者である、ソールズベリー男爵家のドロシーと、その兄であるフレッドが到着。
「ちょっと、デレク!」
フレッドがこっちにずかずかとやって来る。
「ん?」
「あのな。さっき出かけようとして、身支度をしてたら、だ」
「ふむ」
「パーティーに着ていくようなシャツというシャツが洗濯に出てるんだ」
一瞬間を置いて、セーラが大爆笑。
「あはははは。それって、『人形の呪い』よね。あはははは。それで遅れたんだ」
ダンジョンで怪しい人形にかけられた、しょうもない呪いである。忘れていたが、いやあ、本当になるんだねえ。
「ははは。恐ろしいなあ、『人形の呪い』は」
「いや、俺も忘れてたんだけど、まさか実現するとは」
「王宮に行く日とかじゃなくて良かったじゃないか。で、シャツはどうしたんだ?」
「しょうがないから親父に借りてきた」
そのやり取りを、ちょっと後ろでとても楽しそうに聞いているドロシー。
そんな打ち解けたやり取りもありつつ、会場の大多数を占めるラヴレース家の親戚の方々に挨拶もして回る。久しぶりに『
「セーラはあの親戚の方々を全部覚えてるわけ?」
「ん、まあ。毎年こういう集まりがあるしね」
「うーむ。俺はセーラと魔法のサポートがないととても無理」
「ちょっとずつ慣れて行けば大丈夫よ」
「どうか、よろしくお願いします」
知らない貴族に挨拶しまくって疲れた。その晩は帰るなり爆睡である。
朝起きたらチャウラとガネッサがリズと一緒に朝食を取っている。
「あ! しまったな。2人を桜邸に帰すのを忘れていたよね。ごめん、ごめん」
「いえ、昨夜は久しぶりに大勢で楽しかったです」とガネッサ。
「そっか。たまにはこちらで過ごすようにしたらいいかな?」
「このまま年越しまでこっちにいたらいいんじゃない?」とリズが提案。
「そうだな、それも賑やかでいいね」
2人でゴニョゴニョと相談している。
「年末までこちらにご厄介になってもよろしいですか? 新年の用意は一応してあるんで、そこからはまた2人で過ごします」とチャウラ。
「うん、じゃあそうしようか」
今日はエメルが非番のようで、洒落た紺色のロングスカートでうろうろしている。
「そのスカート、いいね」
「え。そうですか。有難うございます!」
うん、腰から太もものラインがとてもキレイにでていて、見とれてしまう。時々ちらちらと見えるふくらはぎもポイントが高い。
アミーが朝食を持ってきてくれる。
「デレク様。人数が多いので、お昼はパスタにしたいと思いますが、どうでしょう」
「あー。いいねえ。子供たちも大好きだよね、パスタ」
朝食を終えてコーヒーを飲んでいると、黒いネコが庭を横切ってこっちに来る。
「あ、きっとあれ、ウルドだよ」とリズ。
子供たちに見つかると大騒ぎなので、こっそり書斎に入ってもらう。
「また来ました」
「どう? あちこち見たりしてるの?」
「ええ、おかげさまで楽しく過ごしてます。……あの、こっちからはデレクさんの方には連絡できないみたいですね」
「ん? 念話のスキルがあったよね?」
「ダンジョンの中だと、こっちから挑戦者に語りかけたりできたんですけど、ダンジョンの外にいる人には無理みたいです」
「なるほど」
そう言われれば、ジャスティナも『念話』のスキルは持っているが、ドラゴンと会話する時にしか使っていない。誰とでも会話できるわけではないようだ。
「そうだ。せっかく試練を乗り越えてゲットした『真実の指輪』を使ってみていないな。試してみよう」
リズが不思議そうに質問。
「何ができる魔道具なの?」
「失われた鍵とか、問題を解決に導く道筋のヒントを示してくれるらしいんだ」
「へー。どういう仕組みなの?」
するとウルド、何やら難しい説明を始める。
「ストーリーシステムは因果律に干渉するためのものだそうですけど、まず前提として、現象世界で発生する物事自体も、それらの間の関連性も、物質存在と同様に量子としての性質を持っています」
「ちょっと待った。それ、ドラゴンも同じような話をしていたけど、天使から聞いた話ということかな?」
「そうです」
「量子って、素粒子レベルでは観測されるけど、マクロ的な視点でも……?」
「はい。量子としての存在は時空を超越してあらゆるところに及ぶ可能性がありますから、過去に存在していたものや発生した現象も、現在にその存在が残っているのです」
「えっと……。蝶々が羽ばたくとどこかでハリケーンが、みたいな?」
「すべての微細なイベントがあらゆるスケールに影響するわけではありませんが、現象として捉えうる構造を抽出することになります」
「ん……。確率分布に従って存在する、という話かな?」
「そう解釈しても結構です。要するに、存在は本質的に時空に広がりを持つものだということです。『真実の指輪』は、過去にあった事柄や、直接知ることができない事柄に関してストーリーシステムに問い合わせを行います。ストーリーシステムは世界存在の高次量子モデルに基づき、因果律のログを収集していますので、問い合わせに関連する可能性が高い情報構造の存在を探し出して提示するのです」
「……それって、観測したら存在が確定するという感じの話?」
「それは一面的な解釈です。高次元の存在のある断面についてそういう『解釈』は成り立ちますが、観測と存在を対立して捉える意味はありません」
「……よく分からないです」
どこかの培養液でプカプカ浮いている不定形生物のウルドは、もしかして巨大な脳の持ち主なのだろうか?
「ウルドはそういう難しい話を天使としていたの?」
「えっと、今話した内容はそんなに難しくないという認識なんですけど」
はあ?
「天使、つまり名前はナオミと言いましたけど、彼女とはもっと高次のメタ概念に関する議論をしました。概念が自己矛盾を許容する高次に達すると、それらの関係性は時間軸上に線形に展開される言語という形式では記述できなくなりますので……」
「ごめん、分からないからもういいです。『真実の指輪』の話に戻ろう」
「わかりました」
ドラゴンといい、ホムンクルスといい、人間とはまさに次元が違う知性を持った存在がいることを認めざるを得ない。なんてこった。
「で、デレクは指輪で何について調べてみるの?」とリズ。
「知りたいことは色々あるけれど、まず思いつくのは『聖体』。それからプリムスフェリーの秘宝って結局何なのかとか、あと、ゴーレムはどうやって作るのか、とか」
ウルドが反応する。
「ゴーレムを作る、ですか?」
「うん。今ね、他の国で内乱が起きてて、そこでゴーレム兵を操ってるんだ」
「へえ。そんなことができるんですか」
「ゴーレムはホムンクルスを使って作るらしいんだけど」
「ええ。ダンジョンの中でもそうですね。ただ、ダンジョンの外でホムンクルスをどうやって作るのかは、私には分かりません」
ホムンクルス自身は培養される側だから当然か。
「ダンジョンのゴーレムって、大体は水をバシャバシャかけると弱くなって崩れたりするんだけど、その操られているゴーレムは水にも火にも強いし、部分的に壊されても自動的に修復までするんだ」
「ははあ。それはきっと強化繊維ゴーレムという種類ですね」
「強化繊維?」
「岩や土で形を作るために、粘度の高い高分子の多糖類なんかを使うんですが、水をかけられてゴーレムが崩れるのはこれらの多くが水溶性だからなんです」
「へえ」
「強化繊維ゴーレムは、多糖類に加え、植物の繊維と同じセルロースを主原料とした繊維質で体組織を構成します。これらは水に強いですし、体組織は岩の隙間や土の中に張り巡らされていますから、少々高温にさらされても大丈夫というわけです」
「なるほどぉ。うんうん、納得した」
「デレク、今の説明で分かったの?」とリズはさっぱり意味不明という顔。
「ゴーレムの作り方は分からないけど、どうして火や水に強いのかはよく分かったよ。いやあ、ありがとう、ウルド」
ついでに聞いてみる。
「昔、魔王が出現したとき、ゴーレムを倒すには塩水をかけるといい、と言われていたらしいけど?」
「それはゴーレムの身体を支配する脳に相当するホムンクルスへの攻撃ですね」
「ホムンクルスって、スライムみたいなものなのかな?」
「そうですね。多分、スライムの脳神経組織が発達したものが我々なんだと思います」
「え? 本当に?」
「我々から見るとスライムは下等な生物ですが、それって、人間から見たら別の原始的な脊椎動物が下等に思えるのと一緒だと思いますよ」
「……そんなもんか」
さて。
「じゃあ、まずは『聖体』だろうな」
「いよいよやってみる?」
ウルドが使用上の注意をしてくれる。
「あの、調べるのが困難だったり、複雑なものの場合、利用者の体力が大幅に失われますので注意して下さい」
「あ。魔力なら心配いらない……」
そう言いかけると、ウルドがあわてて補足する。
「いえ、これは魔法システムのデバイスではありませんから、失われるのは体力です」
「はあ。まあ、やってみるよ」
立ち上がって指輪を取り出し、指にはめる。そして詠唱。
「痕跡は未だ世界にある。『聖体』の痕跡に導け!」
何も起きない。
「何も起きないね」とリズ。
「うーん」
おかしいなあ、と思った瞬間である。
突然、めまいのような感覚に襲われて、フラッとその場にしゃがんでしまう。
目の前が真っ暗。身体中から血の気がサーッと引いて、体温が奪われて行く感覚。
力が入らない。話すこともできない。
ヤバい。ヤバい。ヤバい。
遠くから誰か男性の声が聞こえる。
「……またドラゴンが暴れるようなことがあったら、強力な魔法で対処しなけりゃいかんだろう?」
女性の声がそれに応じている。
「あたしのように魔法を使う権限が与えられていない天使だったら……」
「では、ヒックス伯爵のアカウントのパスワードを、なんとかして次の管理者に伝えるべきではないかと……」
そこまでで会話は聞こえなくなった。
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