峠の秘湯
『おかわりの指輪』の件も気になるが、一刻を争うというわけでもない。
まだ日は高いし、まだしばらくユフィフ峠の調査を続けよう。
「あ、あたし、トイレ……」
「一回、泉邸に戻った方がよくないかな」
「そうですね」
転移して泉邸へ。
ああ。ここは暖かいな。……俺もトイレに行ってこようっと。
「おまたせしました。はきかえてきました」
「……」
深くは追求しないことにしよう。
山道を歩きながらジャスティナと話をする。
「デレク様。エメルやノイシャとは一緒にお風呂に入る仲だと聞きましたが?」
「いや、彼女らが勝手に乱入してくるというのが正しい」
「でも入ったことはあるんですね」
「……否定はしないけど」
「えーと。ナタリーさんともお風呂で出会ったと聞きましたよ?」
「まあ、成り行きでね」
「じゃあ、次はあたしもお願いします」
「えー」
「熱いひとときを過ごした仲じゃないですか」
「幻だったんでしょ?」
「でも、あたしとデレク様の2人の共通の記憶ですよね」
「まあ、ねえ」
立ち止まって俺の目を覗き込むジャスティナの赤い瞳。なぜかとても綺麗で、セクシーに感じる。
あー、いかんいかん。
「あのー、今日のことは誰にも言いませんから……」
「だから?」
「2人だけの時はキスをさせて下さい」
「え」
「ね?」
またディープキスをされてしまう、ちょろいデレクくんである。
ちょっと自己嫌悪に陥りつつ、また歩き出す。
「あー。ダメだなあ、俺」
「そんなことないですよ」
「だって婚約者もいるのに、他の女の子とイチャイチャしたらダメじゃん」
「リズさんとはイチャイチャしてるじゃないですか」
「そこを突かれると弱いんだけど」
「ナタリーさんも、大事にしてあげてね、ってエドナ様から言われてるって……」
「え? 誰から聞いた?」
「リズさん」
「うーん」
リズはなぜかそういうことには無頓着というか、逆に他の女の子と仲良くするのを推奨するような部分がある。
一方、セーラはリズのことは容認してくれているみたいだが、それ以外は常識の範囲で収めておく必要があるよなあ、当たり前だけど。
エドナはそのあたりについてかなり寛容なように思うが、甘えてばかりではダメな気がする。
山道を歩きながら考える。漱石先生に言われるまでもなく、世の中は難しい。
お前がいい加減なだけだろうって? そんな意見は当たり前で、何の役にも立たないから却下だ。
気がつくと、さっきイメシェクと出会った地点から、登り坂はなく、だらだらと下り坂が続いている。
「さっきの場所が、まさにユフィフ峠だったのかな」
「えへ。思い出の場所になりましたね」
「……」
峠を越えたら険しい道が少なくなって、ふもとの遠くの方まで見渡せるようになってきた。これがダガーヴェイルか。
「これはまた、見渡す限り何もないなあ。川が流れているのが見えるくらいだ」
国境の向こうのラストダムあたりと違うのは、森だけではなくて草の生い茂った平原が見えることか。あの平原は川が作った平地だろうか。もう冬なので、全体的に冬枯れの茶色っぽい色が広がっている。
このあたりが扇状地なら、ブドウをはじめとする果樹栽培に適しているかもしれない。
「そういえば、温泉みたいなところはなかったよな?」
「どこか脇道を入って行くんですかね?」
「脇道なのか沢なのか
また例によって『
何度か転移を繰り返して、やっと人家が見える場所まで到達する。
薪割りをしている親子がいたので聞いてみる。
「失礼。ここは何ていう村ですか」
「バシリコットと言うんだけど」と父親。
「お兄ちゃんたち、どこから来たの?」と15歳くらいの少年に言われる。
「峠をせっせと歩いて越えてきたよ」
「えー。嘘だあ。そんな手ぶらで?」
するとジャスティナが言う。
「いいえ、本当よ。あたしはほら、ドラゴンの民だから」
ジャスティナの赤い瞳を見た少年、目を見開いて少しばかり驚いた様子。
「あ! ほんとに? すげー。俺、ドラゴンの民って人、初めて見た!」
「こら。初対面の方に失礼だろう?」と父親。
「実は私、デレク・テッサードと申します」
「え! 領主様の家の方で? それは大変失礼しました」
「ユフィフ峠の道の改修をしてはどうかと考えて調査しているのですが」
「あー。それは有り難い。今は通るだけでもすごく苦労ですからね。しかし、距離が長いですし、整備はかなり大変な事業になるんじゃないでしょうか」
「やはりそうですよね」
「馬が通れるようになったとしても、果たして1日で通り抜けられるでしょうかね? 途中で野宿じゃないですかね」
「どこかに宿場が必要でしょうか?」
「うーん。しかし、ずーっと山の中ですからねえ」
「途中に温泉が湧いている場所があるという噂を聞きましたが」
「ええ、峠の手前ですが、ちょっと沢を下ったあたりになりますので、すぐには分からないと思います」
なんだ、あるんじゃん。
「どんな感じですか?」
「沢を流れ下る水が熱いんですよ。所々に自然に湯船みたいになっている箇所があるんで、温度がちょうどいい所を探して入ります。しかし、山の中ですし、夏の時期にもの好きな人が泊りがけで行くくらいですかね」
それはまた野趣溢れるというか、開発されていないだけというか。
しかし、そこに宿場を作る可能性はあるわけだな。
「行ったことはあるんですか?」
「あはは。ええ、2回ほど」
「なんだ、実は父ちゃんがそのもの好きなのかあ」と少年に笑われている。
「でも、温泉はいいですよね!」
「ええ、温泉はロマンですね!」
何かが通じ合った。
そのあたりには十数軒の民家があって、合計で40人くらいで暮らしているとのこと。そばを流れる川がシナーク川の源流だそうである。
「もうちょっと下ると、ここよりかなり大きな集落があります。フォートンと呼んでいますが、そこをさらに下ると隣の領主様の町、サイクスに至るわけです」
「そこまでかなり距離があるのでは?」
「フォートンまで歩いたらほぼ1日ですねえ。フォートンからサイクスも1日。あ、でもサイクスまでの道はちょっと前から突然通りやすくなったって噂です」
それは俺とリズで整備したからだな。
いろいろ話を聞いてみると、サイクスまでの道を馬で通れるようになったので、聖都から行商人が来ることもあるとのこと。
オフニール湖に流れ込む川はカデス川と呼ばれていて、シナーク川とは別の水系。フォートンから歩いて1日くらいの所にアルゴという町があるという話だった。
「いろいろためになるお話を有難うございました」
「いえいえ、お役に立てれば幸いです」
いきなり転移して消えるわけにもいかないので、川沿いの細い道を歩いて下っていく。
周囲に人が見えなくなったので、そろそろ帰ろうかと思ったら、ジャスティナがニコニコして言う。
「まだ日暮れまで時間がありますよ。温泉、探しに行きませんか?」
「なるほど。それは魅力的な提案だなあ」
早速、さっきの峠まで転移。山の中は少し暗くなってきて、西側に位置するダガーヴェイルの方向が明るく見える。
さて、峠をダガーヴェイル方面に少し下ったあたりで、沢があると言っていたが……。
周囲に気をつけて歩いていたら、確かに峠よりも北側に川が流れる沢がある。山道はそこから次第に離れて少し南の方へ下って行くので、さっきは気づかなかったのだな。
道から外れて沢沿いに下っていくと、何だか温泉っぽい匂いと、湯気が漂うようになってきた。さらに道なき道を注意して降りていくと、水量も次第に増えて、確かに天然の湯船のようになっている箇所がある。
あたりはだんだん暗くなってきたが……。
「入ります?」
「そうだなあ。せっかくだし……」
湯加減もちょうどいい。温泉の誘惑に勝てないデレクくんである。
泉邸に一瞬転移して、タオルを取ってくる。
いそいそと服を脱ぐ。
「うわ! 寒い寒い寒い!」
冬の山の中、しかも夕暮れ時である。寒いに決まっている。
湯船のようになっているが、熱い湯と冷たい水が流れ込んでいて、一定の温度ではない。しかし、入ってしまうと極楽。
「あ。……いい感じ」
当たり前のようにジャスティナも一緒に入ってくる。
「えへへ。デレク様と秘密の旅行みたいで嬉しいです」
あたりは暗くなってきて、見えたらまずい部分もあまりはっきりは見えないし、まあいいか、と自分に甘々なデレクくんである。
ぼんやり温泉に浸かりながら考える。
まず、測量をして行程を把握する必要がある。道の整備をするならそれからだ。
サイクスからさっきの集落まで馬で行けるらしいから、まずはダガーヴェイル側の開発を先行して進めるべきだろうか。
最大の難所はやはり峠越えか。この温泉の開発を同時に進めたら少しずつでも人通りが増えるからいいんじゃないかな? でも馬車で来れるようにならないとダメだろうなあ。
「うーん。道のりは長いなあ」とつぶやくと、ジャスティナが言う。
「頑張れば道は開けますよ」
「やればできる、か」
「あら。……本当にそうですよね、デレク様」
しまった。自分で言っちゃったよ。
あたりは沢を流れ下る水音以外、何も聞こえない。
しばらくは開発もできないだろうから、自分専用の秘湯ってことでもいいかもしれないなあ。
「えへ」
ハダカのまま抱きついてくるジャスティナ。
「ちょ……」
と言う間もなく、唇を重ねられてしまう。
ジャスティナの柔らかくてボリュームのある素肌に直接触れると、とても気持ち良くて、かなりヤバい。生理的な反応を抑えられずに、本能的に何かをしたくなる。
不意にイヤーカフにリズの声。
「デレク、どこに行ってるの? もうじきご飯だよ」
「あ! すまん。ダガーヴェイルの奥地を視察中」
「ふーん。早く帰ってきてね」
ジャスティナがニヤニヤ笑ってる。
……温泉不倫旅行みたいになってるなあ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます