魔王軍復活の危機

 イメシェクは岩の上に止まって俺達を見下ろしていたのだが、そのまま目を閉じてしまう。すると俺ももう何も見えず、脳内でドラゴンと話をするだけである。

 一方で身体は動かせず、ジャスティナのいいようにされている。

 あのさ、ジャスティナ、そこを刺激されると理性とは関係なくヤバいよ。


 不思議なことにこの時は、ジャスティナが好き勝手するのを拒もうという気持ちがさっぱりなかった。ジャスティナはしょうがないなあ、でも可愛い子が嬉しそうにしているからいいか、くらいしか意識に上って来ないのだ。『意識を縛っておく』というのはそういうこと?


「まずこちらからお聞きしたいのはですね、三百年前の魔王がまだ完全には討伐されていないという話なんですけど」

「うむ。ワシもその話をしたいのだが、……エメギドに聞いたのか。あいつはせわしないな。もう少し話くらいしてやれば良いものを」

 どうやら俺の過去の記憶を読んでいる。


「デレク様。ここ、気持ちいいでしょう? うふふ」

 ジャスティナが、意のままに動かせない俺の腕を取って、どこかへ誘っている。あ、柔らかくて温かくて、幸せな気分。


 イメシェク、さっきの話の続きをはじめてくれた。

「そもそも魔王というのはストーリー・システムに記述された条件がクリアされた時に顕現する現象というか、イベントだそうなのだが」

「あ、やっぱり」

「うむ。魔王の出現とともに魔王軍という魔物の大群が現れるだろう? あれは大陸を覆うほどの巨大なダンジョンが現実世界と置き換わったというか融合したからだ」

「え?」

「だから、魔物を倒しても死体は残らず、光る霧となって消えてしまう」


 魔物とダンジョンは関係がありそうだと思っていたが、やはりそうか。


 ジャスティナが俺をぎゅっと抱きかかえてディープキスをする。ああ。舌と舌を絡み合わせると脳がとろけるようだ。そして身体中でジャスティナの体温を感じる。


「しかし、ダンジョンで怪我をしても、死んでしまっても、ダンジョンから出れば元通りピンピンしていますよね?」

「そのあたりはさすがに詳しくは知らんが、ダンジョン内部の事象の結果が元の空間の事象の結果と一致するように因果関係を融合していると聞いている」

「だから人間はやられたら死んでしまう、のですか?」

「オガイアムが言い残した話はそうだ」

「因果関係を融合って何ですか?」

「因果律を操作するのがストーリー・システムの役割なのだ」


 因果律? 物理的な現象の連続が、あるいはエントロピーが増加する方向への時間の流れが因果律として見えるのではないのか? さっぱり分からないぞ。


 イメシェクは、眼の前で悪戯をする孫娘に言葉をかけるような調子で言う。

「ジャスティナよ、どんな感じだ?」

「幸せいっぱい。ありがとうイメシェク」

「それは良かった。だが、もっと直接的なことをしたらどうなのだ?」

「それは、今日はいいのよ」

「ふむ」


「魔王が完全には討伐されていないという話は?」

「うむ、魔王が討伐されると、魔物とダンジョンもすべて消え去るはずだ。つまり、魔物とダンジョンのライフタイムパラメータは魔王のそれを上限として規定しているはずなのだが……」

「ちょ、ちょっとまってくださいよ」


 ドラゴンなのにプログラミング用語を使うとか?


「む? ライフタイムパラメータは分かるだろ? バリア同期という用語で説明した方がいいか?」

「いえ、そもそもなんでそんな用語を知ってるんですか?」

「ドラゴンは人間よりも大脳は発達しておってだね、いわゆる知能指数も高い。ただ、人間のように社会生活を営むという習性がないので、個々に巣を作って暮らす方が快適だというだけだ。ドラゴンの間で共有されている知識を、デレク、いや、ユウマと言った方がいいかな? その者の記憶にある概念を使って説明しているだけだが」


 驚愕の事実である。そうなの?


 ジャスティナは俺に抱きついたまま、時々キスをしてくる。ジャスティナがどんな格好で何をしているか、目を閉じている俺には見えないが、吐息が熱い。

 俺の意識は、ドラゴンとの会話をする部分と、ジャスティナからの肉体的な接触に反応する部分の2つに分かれてしまったようで、おかしな感じになっている。どうしたんだろう?


「分かりました。えーと。魔王が討伐されていないかも、という話に戻りましょう」

「うむ。その時、つまり三百年前に出現したダンジョンなのだがな、まだ現在の世界に一部が残ったままなのだ」

「え?」

「お前の記憶をたどるとだな。……ラカナ公国のエルフォムという町を通ったことがあるだろう」

「ええ」

 奴隷魔法に使う魔道具を運搬して茶番劇をやった時に通ったな。


「あそこに神殿跡と呼ばれるものがある。あれは魔王軍が現れた時のダンジョンの跡だ」

「え?」


 エルフォムの丘の中腹にある石造りの建物は、その石材がどこから運ばれてきたのか謎だとか言っていたな。この世界にも海に沈んだ謎の大陸、みたいなネタがあるのかと思った記憶がある。

 ……魔王軍が現れた時のダンジョンの跡だって?


 ジャスティナは横になっている俺の身体の上に重なって、耳を噛んだりしている。少し息が荒いようだが。


「他にも数カ所、ダンジョンが消え残っている場所がある。ダンジョンシステムのバグらしいのだが、これが厄介でな。ダンジョンは冒険をやり直す機能を備えているから、実は極めて簡単な方法で魔王の復活からやり直すことができてしまう可能性があるのだ」

「冒険をやり直す?」

「お主は知っているはずだが」


 あ。あれかな?


「おかわりの指輪?」


 前に、カラスの巣の中で見つけたことがあったなあ。

 『脱出の指輪』はダンジョンから外部に抜け出す機能を持っていたが、『おかわりの指輪』はダンジョンのその階層をもう一度やり直すことができる。プログラミング言語でいう break と continue の違いかな、とか思った記憶がある。


「そうだ。それを、残されているいくつかのダンジョン跡で使うことができるとするなら、極めて危険だ」

「うわ……」


 もしそうなら、意外に簡単に世界の危機を現出できてしまうじゃないか。


 イメシェクが言う。

「ワシらドラゴンからお主への依頼はそれだ。『おかわりの指輪』はダンジョンの機能を呼び出しているが、機能を起動するために魔法システムを使っている。その魔法を封じることはできないだろうか」


「えーとですね、魔法の指輪には2種類あります。魔法のプログラム自体が指輪に格納されているものと、魔法の存在場所を参照しているだけのものです。『おかわりの指輪』が後者なら、魔法システムにあるプログラムを無効化するだけでいいのですが、前者の場合は無効化は難しいですね」


「とりあえず、調べてはくれぬか? 可能なら無効化をお願いしたい」

「了解です」


 ジャスティナはディープキスをしたまま、俺の手を、どこか柔らかくて温かい部分に押し当ててゆっくり動かしている。

 だが、不思議なことに、それとは別にドラゴンと淡々と脳内会話を続ける俺。


「しかし、魔王が出現して困るのは人間ですよね。ドラゴンの皆さんがなぜ魔王の出現を阻止しようとするのですか?」

「ははは。それは簡単だ。ドラゴンはこの世界では、人間と共闘して魔王を倒すという役割を担っているからだ。ユウマの記憶によると存在理由レゾンデートルとでも言うのかな? つまり、これは理屈ではない。魔王が出現したら倒さねばならないが、それよりは、出現を未然に防いだ方がドラゴン側にも被害は出ないし、合理的だろう?」

「はあ。そんなもんですか」


 ジャスティナは遠慮がちながら、下半身にちょっかいを出したりする。ねえ、ちょっとそれはヤバいから……。


「まあ、理由はともかく、魔法システムの管理人であるお主にお願いしたいのは、まずその指輪の無効化だ。その他でも、魔王の出現を阻止するために頼み事をすることがあるかもしれんが、いいだろうか」

「魔王なんて現れたら大変ですから、それはもう、何を置いても協力しますよ」


「そうか、それはありがたいな。今日のジャスティナとのことはまあ、その礼とでも思ってくれ。人間はどうも、本能と理性が乖離しているところがあっていかん。もっと理性のタガを外したら幸せじゃないのか?」

「いえ、それだとあちこちに子供がやたらできて困ります。人間は子供を育てるためにすごい労力を必要とする生き物です」

「それもまた良いではないか」

「その点は意見が一致しませんね」


 ジャスティナが俺の身体に強くしがみついて、ピクっと痙攣した。

 なんだろう。ジャスティナがとても愛おしく感じる。


 ジャスティナの力が抜けて、俺の身体の上に覆いかぶさる。

「デレク様、大好きです」と耳元で呪いをかけるようにささやく。

 ジャスティナの熱い身体の重みを感じるのも、幸せ。


「ワシはもう行くぞ」

 そういってイメシェクの側から感覚共有をブツッと切られる感覚。

 そのとたん、身体の自由が戻り、眼の前にジャスティナ。


 ジャスティナはおれにしがみついたまま動かない。


 近くの岩の上に、白銀に輝く、見事な鱗と翼を持つドラゴンが止まっている。

「また機会があれば。そのうち2人の子供を見せてくれ」


 ドラゴンは2回ほど羽ばたくと、大空へ向けて飛んでいってしまった。この前も思ったが、よくあの巨体で飛び回れるものだな。


 まだ全身が思うように動かせないような気がして、のろのろと上体を起こす。

 潤んだ目で俺を見つめるジャスティナ。


「ふふふ。あたしもデレク様も、イメシェクに意識を縛られてましたね」

「どういうこと?」


「イメシェクは『幻夢』のスキルを持っているんです。現実と幻の境目のない状態を作り出すことができるんだそうですけど」

「……そうなの?」

 『幻夢』のスキル? 初耳だが、さっきの体験は、一体どこまでが現実で、どこからが幻だったのだろう?


「安心しましたか?」

「えっと……」

「ふふ。デレク様は正直ですね。ああ、今日は本当に幸せ!」

 そういってまた強く抱きついてくるジャスティナ。


 山奥でタヌキではなく、ドラゴンに化かされたでござる。

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