頬を伝う涙

 次の日。


 ディムゲイトから何人か女性が来たという連絡があったので、ゾーイとエメルと一緒にお昼前からクロチルド館へ行ってみる。


 オーレリーが入口で出迎えてくれる。

「やあ、デレク! 忙しそうだな」

「オーレリーは、目のあたりの傷がずいぶん治ったみたいだな」

「そうなんだ。ちょっと化粧したら分からないだろ?」

「やっぱり傷がない方が絶対いいな」

「おいおい、口説いてるのかぁ? セーラに怒られちゃうぞ」

「ば、バカ言うなよ」


 などと軽口を叩きながら館内に入る。

 ゾーイがディムゲイトからの書類を参照しながら説明してくれる。15名が新しくこちらに来たそうである。

「えっと、9名がエスファーデンの農園にいた人で、残り6名はゾルトブールで元奴隷の身分だった人です」

「あ、そうなのか。聖王国に入国する時の通行証はどうやって発行してるの?」

「シーメンズ商会が、ディムゲイトに駐留しているダンスター男爵の代理の方に依頼して身分証明を発行してもらっています」

「なるほど。ダンスター男爵にはそのうちお礼を言いに行かないといけないかなあ」

 ゾーイ、ちょっと声を潜めて言う。

「ハーロックとしてではなく、テッサード家として、ですか?」

「そう、だな」

 ただ、その場合に直接面会するのはまずいなあ。農園では変装してなかったし。


「それでですね、今回のメンバーの中に、操船の経験がある人が2名います」

「ほほう」

「前に船を購入したいという話をしましたが……」

「なるほど、船だけあってもしょうがないからな」

「中古でいい感じの小型船があるんですけど」

 いつもながら手回しのいいゾーイである。

「ああ、分かった。いいよ。その2名と相談しながら進めてよ」

「ありがとうございます。あと、警備関係の経験者が3名おりますので、ここの雑用係も兼ねてもらって警備を増強してはどうかと思うのですが」

「なるほど。それはいいね。オーレリーとサスキアだけしかいないと、持ち場を離れるのも難しいからなあ」


 出版関係に関わっていた人がいないか聞いてみると、すでに聖都にやってきている人の中に一人いた。

 エリーゼというその女性は、出版とか印刷をしている中堅の会社に勤めていたという。ゾルトブールと聖都では仕事のやり方が同じかどうか分かりませんが、とは言っていたが、やはり経験者は欲しい。とりあえず出版関係を手伝ってもらう約束を取り付ける。


 その後、食堂で昼食。

 スートレリアの女王がゾルトブールの王を兼ねる話とか、両国に議会を置いて、政治はもっぱら議会に任せるらしいという情報について、ゾルトブールから来た女性たちに説明する。


「前のゾルトブールの王様は?」

「レスリー2世は悪政の責任を負わされて既に処刑されたと聞いている」

「貴族もですか?」

「あの麻薬農園に関係していたバームストン男爵、メヒカーム伯爵などの貴族は軒並み処刑されたよ」

 その途端、女性たちから「ああっ」という、安堵とも感嘆ともつかぬ声が漏れる。


「それ以外でも奴隷魔法を使っていたことが明らかになった貴族は、最悪の場合、死罪。そうでなくても悪事を働いていたことが分かれば爵位は召し上げ、普通の国民と同じように罪の責任を取らされることになるね」

 女性たちは口々に「それこそ正義です」「少し気が晴れました」などと言い合っている。

 多くの女性は直接に王から被害を被ったわけではないが、それでもレスリー王のもとで悪行三昧だった貴族に対しては憎悪の念が強いらしい。


 食事の後、オーレリーが少し考え事をしている。

「オーレリーでも何か悩み事があるのかい?」

「いや、ちょっと真面目な話なんだが」


 そう言うとオーレリー、こんなことを言いだす。

「以前は命令されたから戦いにも出かけたし、敵対する兵を倒すことも平気だったのだが、最近こうやってゾルトブールの女の子たちと平和に暮らしていると、自分がやったことが正しかったと思えなくなってきてなあ」

「でも、軍人も特務部隊も、命令された通りに動くのが仕事だろう? ある程度はしょうがないんじゃないか?」

「しかし、あたしが殺してしまった相手には妻も子供もいただろうな、とか思うと、……そうだなあ。一言で言って悲しいわけだよ」

「ふむ」

「相手が犯罪者だったり、極悪人だったら、躊躇なく排除するのが正義だと思うが、相手にも色々立場とか考えがあったんだろうなあとか、ね」


「安心したよ」

「え?」

「オーレリーもちゃんと血が通った普通の人間だってことに改めて安心したよ。そういうので悩むのが人間ってことだからな」

「またデレクはよく分からない事を言ってごまかそうとしてるだろう」

「ごまかすとかじゃなくて……」


「それでだな、可能なら、ゾルトブールに行って、特にあのラカナ大使館にもう一度行って、もう取り返しはつかないと思うが、死んだ人に謝りたい。そう思ってる」

「そう、なのか」

 これは驚いた。


 オーレリーはじっとこっちを見る。


「きっとな、ほら、息子が死んだ話をしただろ? ああいう経験があると、心の中の、どこかがただれたみたいに酷く傷つく。だけど時間が経つにつれて、その傷が自分の心の一部になって行く。うまく言えないけど、今でも痛いその傷が、息子が死んだことであたしが苦しんだだし、あたしが息子を愛していたでもある、と思う」


 少し言葉を区切るオーレリー。


「だが、ラカナ大使館のことは、今のままだと単なる失敗で終わって、いつか忘れてしまうんじゃないだろうか。それはダメなんじゃないか?」

「だからもう一度向き合いたい、と?」


「そうだ。自分の心の傷として刻み込んで、取り返しのつかないことをした自分、としてこれからを生きて行きたい」


 なんだよ、オーレリー。俺なんかよりよっぽど哲学があるじゃないか。


 思わずオーレリーの手を握る。

「俺にはまだよく分からないけど、心に響いたよ、今の言葉」

「そうか?」


「しかし、……現地にはまだエスファーデンの特務部隊がウロウロしてるんじゃないか? そこに出かけるのはちょっと危険かな」

「きっとな、人気ひとけのない早朝とかに出かければ大丈夫だ」

「そうなのか?」

「特務部隊の現在の任務から考えて、誰もいない早朝の街に出てくることはないと思う」


 そりゃそうか。仕事は「例の文書」を探すことだからな。

「……じゃあ、明日の朝にでも。それで、服装は……喪服でどうだろう?」

「なるほど。ヴェールをしていたら誰だか分からないな」


「念の為にディアナを連れて行くことにするよ」

「え? ダズベリーから一緒に来たあの子か?」

「そう。あの子は『抑圧』のスキルを持っていることが分かったんだ。今でも、魔法やスキルの発動を感知できるみたいだし、ニーファの透視を阻止したりもできる」

「そりゃすごいな! あの能力は使いこなせばかなり強力だぞ」

「それについても色々教えて欲しいな」


「……ところで、そろそろ手を離してくれないかな? それとも口説いてるのか?」

「あ、すまん」


 喪服がないというので、ローザさんに聞いてみる。

「え? 喪服?」

「実は、オーレリーが死んだ人に謝りたいって言っててね。ローザさんならサイズが合うかな、と」

「へえ。心境の変化?」

「そうらしいよ」

「でもオーレリーの方が背が高いじゃない。喪服なら、普通のドレスほど身体にピッタリしてる必要はないから、普通の服屋ですぐ調達できるわよ」

「なるほど。分かった」


 というわけで、聖都の店に出かけて喪服を調達。

「なんだろうなあ、オーレリーは何を着てもカッコいいなあ」

「そうか? ふふふ」

 喪服がカッコいいというのもおかしいが、実際にカッコいいからしょうがない。



 翌朝、明け方にオーレリーとディアナを連れてゾルトブールの王都、ウマルヤードへ。

 通りはだいぶ片付いてきて、営業を再開しているらしい店もちらほら見える。


 ラカナ大使館の前へ。

 まだ、巨岩が建物を押しつぶした状態で手つかずのままである。ようやく上ってきた陽の光が岩を照らしている。


 喪服姿のオーレリーはしばらく現場の前に立ち尽くしている。

 やがて、「これ、あたしがやったんだよなあ」と小さな声で言う。


 ディアナが少し怪訝な顔をしているが、身振りで黙っているように伝える。


 オーレリーはその場にひざまずくと、手を組み、こうべを垂れている。顔はヴェールで隠れているので表情はよく分からないが、その様子からはいつものようなオーラは感じられない。


 しばらくして立ち上がったオーレリー。頬から顎にかけて涙が伝っているのに気づくが、言わないでおく。


「なあ、デレク」

「何だい?」

「デレクなら、この岩を取り除くことができるんじゃないか?」

「まあ、かなりでかい音はすると思うが、できるよ」

「すまないがお願いするよ。このままでは建物の再建どころか、下に埋まっている人の亡骸なきがらもそのままだ。せめて遺族に返してやらねばな」

「わかった」


 周囲に誰もいないことを確認して、オーレリーとディアナをその場にしゃがませる。

「ヘル・ケイヴィング!」


 その瞬間、ドンッとかなりの爆音。爆縮による突風で、身体が前に引っ張られるような衝撃。

「キャッ」と思わず声を出すディアナ。


 建物の上にあった巨岩は丸くくり抜かれ、残った部分が音を立てながらゆっくり崩れ落ちる。少し残骸は残ったが、この程度なら人手で取り除けるだろう。


「さあ、急いで帰ろう。今の音で人が出てくる」


 泉邸に戻る。


「デレク、ありがとう」

「いいって。エスファーデンから連れ出した俺にもそれなりの責任はある」

「それでもだよ。過去の責任は、あたしのこれからでしか負うことはできないけれど、デレクはそのチャンスをくれたんだ。感謝してる」

「分かったよ」

 オーレリーは何度も礼を言いながら帰っていった。


 終始、事情が良く分からないらしいディアナ。

「朝からつき合わせて悪かったな」

「結局、あそこは何なんですか?」

「ゾルトブールにあった、ラカナ公国の大使館の跡だ。この前までの内乱で、まあいろいろあってあんな状態に、ね」

「オーレリーさんは何であそこへ?」

「うーん。すまないけど、詳細は言えないんだ。でも、あそこで命を落とした人にちゃんと向き合うために出かけたようなわけだよ」


「……なるほど。過去にあったことにけじめをつけるためですか」

「そうだね」

 ディアナとジュノは家族を山賊に惨殺されているので、その時のことを思い出したのかもしれない。それ以上の質問はせずに、胸にしまっておいてくれるようだ。


「でも、さっきの魔法もとてつもなかったですね。起動する時に視界がバチッって歪みました」

「あれも内緒でお願いしたいんだけど……」

「デレク様は秘密が多い、何というか、……怪しい方ですね」

「ははは。まあ、よく言われる」

「でも。……やっぱりお優しいですね」

「ん? 普通だよ?」

「ふふ」

 ディアナは少しうれしそうに微笑んだ。

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