フェスライエ・ライブラリーの正体

 早朝からゾルトブールまで行って帰ってきたので、朝食を食べ終わってからも眠い。

 書斎のソファに座ったまましばらくうたた寝をしてしまったらしい。


「デレク」

 リズに起こされる。

「は?」

「マリリンが来てるわよ。例の出版の件を聞かなくていいの?」

「あ、そっか」


 間もなく昼食という時間。マリリンも書庫から出てくる。

「あら、デレク」

「さっきはお出迎えもせずに申し訳ありません」


 昼食を食べながら、デームスールの出版社と版権に関する契約を結んで聖都で出版したいという話をする。

「なるほど、興味深いわね」

「ただ、弱小の出版社からスタートしたのでは、海賊版を安く売っている怪しい会社に太刀打ちできないだろうと思ってまして」

「なるほど。確かに、著作権関係についてそれなりの部署を持っている所の方がいいわね。そうなると……」


 マリリン、少し考えている。

「ドゥードヴィルという出版社があるんだけど、知ってる?」

「えーと、聞いたことがあるような」

「『街猫』ってシリーズを出している出版社よ」

「ああ、はいはい。ジョン・スタックウェイさんは個人的に存じ上げています」

「え? そうなの? それはまた意外ね」

「あ、まあいろいろありまして」


 ジョン・スタックウェイことヒルダ・ヒュースヴィルは、ひったくりに遭遇したところを助けた縁で、ちょっとした付き合いがある。「街猫デューイの事件簿」は子供から大人まで幅広く人気のあるシリーズだ。


「実はね、ドゥードヴィル出版社は『街猫』のほかに『ダグラスくんと謎のダンジョン』という人気シリーズを出版しているんだけど、『ダグラスくん』を執筆していた作者がこの春に急逝してしまってね」

「え、そうなんですか」

「急遽、別の作家に続編を書かせてはみたものの、これが大失敗」

「へえ……」

「看板作家を失うわ、続編の在庫が捌けないわで、結構ピンチらしいのね」

「ははあ。つまり、そこにこの版権の話を持って行ったら、ある程度のヒットになることが見込めるからオッケーしてくれるかも、ってことですね」

「そうなのよ。ただ……」

「何か問題でも?」


「会社自体がずいぶん危ないという話も聞いているから、注意は必要ね。話がまとまっても、出版前に倒産したら困るでしょ?」

「確かに」


 とりあえず、そのドゥードヴィル出版社に話を聞いてみることにするか。で、またまた引っ張り出してしまって申し訳ないが、ヒルダにも協力を仰ぐことにしよう。出版社が倒産するのは彼女も困るだろうし。


 マリリン、ちょっと嬉しそうに書庫の話をする。

「ゾルトブール関係はまだ詳細に見ていないものもあるんだけど、今はフェスライエ・ライブラリーかもしれないものの整理を進めているのよ」

「そうなんですか」


「それでね、あたしたちの知らない、というか明確には概念化されていないことを説明している文が付いてるでしょ?」

「あ、はいはい。インフラとか、関税障壁とか、塹壕戦とか」


 タスマン氏から入手した例の文書は、どうやらハイパーテキストをせっせと翻訳したものらしく、基本的な用語には短い説明文が付いているのだ。


「あそこに、この世界とは違う世界の歴史に関する記述がちらほら出てくるんだけど」

「え? そうですか?」

「元の所有者、タスマンさんだっけ? そういうキーワードに注目して、脚注に相当する文を集めて分析してるのよ。例えば、さっき読んだ中にあったのは第一次世界大戦というキーワードね。そのキーワードに関係する文を集めて検討すると、それは世界の主要国が互いに戦った大戦争で、空を飛ぶ機械とか、鋼鉄でできた戦車タンクも使われたらしいというのよ。それって、明らかにこの世界の話ではないわね」

「ほほう」

 なるほど。あるキーワードに注目して、それに関する文だけを集めたのか。その発想はなかったな。


 あ。もしかして。

「ちょっといいですか。それに関連する言葉で『産業革命』って出てきましたか?」

「あ、あったわね。産業革命による技術革新が、歴史上初めてとなる世界規模の戦争をもたらした、みたいなことが書いてあったわ」

「産業革命って何なのかは書いてありますか?」

「ええ。あるわよ。ただ、かなり多岐にわたって記述があるから、短い文の寄せ集めで全体像を掴むのは難しいわね。でも、どうして?」


「ラカナ公国の、例の騒乱の原因になったカルワース男爵は産業革命を目指していた、という話を聞いたことがあります。その概念がどこから来たのか気になっていたんですが、もしかしたらその同じ文書かもしれませんね」

「確かに、ほかの文書で見かけたことはないわね」


 なるほど、本文の形で一貫した記述がなくても、脚注にある情報をつなぎ合わせて行くと全体像が見えてくるわけだ。

 この方法なら、優馬の世界についての情報をある程度入手できる可能性がある。


「ところで、それは脚注というか、用語の説明を集めて分析したという話ですよね?」

「そうそう」

「肝心の、文書自体は何が書いてあるんですか?」


「えっとね」とマリリンは手元にあるメモを見る。

「『廃帝ナインダガー』という何か突拍子もない古代文明か何かの皇帝の話と、かなりの種類の衣装のデザイン画の集まり、そのほかは『都市および農村部における経済活動』、『国際交流と交易の仕組み』、『陸路と水路の移動手段』、『各地の気候と植生』、『主要農産物と食料品』、などなど、ね」

「つまり?」

「つまり、物語の形を取っているのは『廃帝ナインダガー』だけで、その他はデザイン画、それからこの世界の概要を説明しているだけの文書群ね。あたしたちに馴染みのない用語が出てきたりもするけど、全体としては当たり前のことが延々と書いてあるだけで、たいして面白くはないわ」

「その、世界大戦が起きたり、産業革命があった世界の説明ではなくて?」

「そう。あたしたちのこの世界の説明よ」


 えーっと。どういうこと?


「つまり、文書の本体はあくまでもこの世界の説明が書いてあるだけだけれど、脚注のような形の用語説明の短い文は、違う世界の話を書いている、ということですか?」

「そうなるわね」


 ふむ。


 マリリンは昼食を食べると帰って行った。


 俺は午後、雑用をいくつかこなしながら、フェスライエ・ライブラリーについて考えを巡らし、ある結論にたどり着いた。


 午後、まだ早い時間なのにセーラが迎えの馬車と一緒にやって来る。

「やっと白鳥隊の勤務も終わったわ」

「長らくお勤めご苦労さまでした。でも今日はまだ日もずいぶん高いけど?」

「ええ、今日はもうあちこちに挨拶に回って、王妃殿下にご挨拶を申し上げて、それで帰ってきたようなわけよ」

 確かにサラリーマンじゃないんだし、定時まで務める意味もなさそうだ。


「ところで、フェスライエ・ライブラリーの正体について、俺なりの考えがまとまったんだけど」

「え? 聞かせてよ」


 というわけで、ゆっくりお茶を飲みながらリズにも一緒に話を聞いてもらう。


 まずは、文書全体の構成について。

「現状は全部が紙に書き写された形で残されているけれど、本来は『廃帝ナインダガー』に関する文章と衣装のデザイン画は、ゲームであるオクタンドルのデザイナーが書いたものに違いない」

「それは優馬の記憶にあるから間違いないのね?」

「一言一句同じかというとそれは分からないけれど、まあ同じと考えていいと思う。次に、『各地の気候と植生』、『主要農産物と食料品』のような、この世界を説明した文書がいくつもある。これはゲームとしてのオクタンドルがどんな世界なのかを、ゲームの開発者に向けて説明した文書だ」

「どういうこと?」


「ゲームは何十人、何百人でプロジェクトを構成して作り上げるから、このゲームの舞台はこんな世界ですよ、ということをきちんと文書で書いておかないとあちこちで矛盾が起きることがある。そういうことを防ぐためにあらかじめ前提となる説明書を作っておくんだ」

「それはさっきのデザイナーが書いたわけじゃないの?」とリズが尋ねる。

「違うね。ゲームの企画を考えた少人数のグループが担当しているはず」

「へえ」


「さて次に、リサイクルとか金本位制とかいう、我々に馴染みのない用語を説明してくれる文書群があるね?」

「そうそう。これが実は謎なのよ」とセーラ。

「マリリンも言っていたんだけど、この用語の記述には優馬の世界の概念や歴史に関係する固有名詞なども散見されるんだ。さっきのゲームの説明書とは明らかに違う」

「どうしてそうなったのかしら?」


「魔法管理室にあるコンピュータみたいなもので文書を作成したり、管理したりすることができるんだけど、文書システムによっては、基本的な用語に自動的に説明のためのリンクを付けてくれるものがある」

「リンクって何?」

「あ、えっとね、普通は本を読んでいて知らない単語が出てきたら辞書を引くでしょ? コンピュータの上の文書は、あらかじめ辞書に相当する情報が検索できるような仕組みを作り込んでおくことができる。これをリンクと言えばいいかな」

「うーん。よく分からないなあ」

「つまり、文章を読んでいる途中で、よく分からない言葉が出てきたら、そこをチョイチョイと叩くと、画面上に説明が自動的に出てくるわけ」

「つまり、いちいち辞書や事典を調べなくていいということ?」

「そうそう。で、そのコンピュータシステムが優馬の世界のものだったから、用語を説明するのに参照される情報は、当然優馬の世界の歴史的事実などを含んだものになるわけだ」


「えーと。ちょっと待ってね」

 セーラは空中を睨んで考えをまとめている。


「『廃帝ナインダガー』とデザイン画はデザイナーが作った。この世界を説明する文書は、本来はゲームを作るための作業用文書だった。で、その文書を管理する時に、用語説明を自動的に付けてくれる仕組みがあって、それが優馬の世界の情報を使って用語説明の文をくっつけてくれた。これがこの文書群の全容、ということかな?」

「さすがセーラだな、そういうことだ」


 リズも自分の理解を確かめている。

「優馬の世界の情報が、その用語説明の文を通して紛れ込んでいるってこと?」

「そうだと思う。本来はゲームの説明なんだから、そういう用語説明を付けるべきではないはずだけどね」


 セーラが言う。

「これまでフェスライエ・ライブラリーとは何かについて言われていたことがあるじゃない? つまり、異種族の侵略によって失われた都、フェスライエの芸術やファッション、科学技術をまとめた記録である、と。それとは矛盾しないのかしら?」


「そのデザイナーが書いたのは本当に個人的な駄文で、ゲームとは本来関係ないんだ。この世界に少し反映されているらしいけれど、あくまでもそういう伝説があったという程度の関わりになっている。で、ともかく、その駄文の『異種族の侵略で文化が失われた』という話と、優馬の世界にはあるがこちらの世界にはないさまざまなものが混同されて、フェスライエで失われた古代の記録がこの文書に残っている、と勘違いされているんだと思う」

「ははあ。何となく分かって来たわ」とセーラはうなずいている。


 リズはまだ腑に落ちない顔をしている。

「そもそも、ゲームの設計の時の文書が、どうしてこの世界に存在しているのかな?」


「確かにそれは謎だよね。小説の中に、その小説のあらすじを書いたメモが登場するような違和感があるね」


 その点はまだ謎だが、フェスライエ・ライブラリーの正体は多分この推測で間違いなさそうだ。そして、カルワース男爵やバートラムが産業革命やライト兄弟を知っていたのも、その情報源はここだろう。

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