情報産業
聖都は朝から雨だが、リズと一緒にスールシティに出かける約束になっている。
「そろそろ新刊が出てるんじゃないかって思うんだ」
「お、おう」
ナルポートの廃墟で書店を見つけたことに端を発して、今や定期的にスールシティに新刊を買い出しに行くようになっている。
スールシティでは暗殺未遂事件に出くわしたり、ガッタム家の屋敷に潜入したりと色々あったが、今日は買い物と食事だけで帰る予定。
リズはちょっと洒落た感じのチャーコールグレーのコート。
「デレク、マフラーを編んだんだ。はい」
「え? これ、俺に?」
「もちろんだよ。この間の旅行で、暇な時に編んだんだよ」
クリーム色とグレーの太い毛糸を使ったマフラー。
「ありがとう。さっそく今日から使うよ」
「へへへ。似合ってるね」
「今日はディアナも連れて行ってみるか」
「あ、そうだね」
秘書みたいに随行して欲しいとは言ったが、いきなり荒れ果てたウマルヤードあたりに行くのは敷居が高い。最初の遠出先としては、少なくとも表面的には穏やかでおしゃれっぽいスールシティくらいがちょうど良さそうだ。
というわけで、迷子になっても大丈夫なように、新しく作ったイヤーカフを1つディアナに渡す。
「すごいですね。どこにいてもデレク様と会話ができるんですか?」
「うん。でも、これだけでも各国が血眼になって探している魔道具だから秘密にね」
「はい、もちろんです」
俺とリズ、ディアナでスールシティへ転移。
「え? ここが? ここがもうデームスールなんですか?」
驚愕するディアナ。
「そうそう。天気も晴れだし、聖都より暖かいでしょ? 迷子になっちゃうと帰れなくなるから、それだけ気をつけて」
「はい」
ディアナは珍しい異国の町並みと、店に並ぶ見たことのない品々に驚きの連続である。
「あの人、パンツはいてるんですかね?」
「やだなあ、ディアナ。目の付け所がデレクと一緒だよ」とリズに笑われている。
さて、目的の書店に到着。
リズは早速、新刊のチェックに余念がない。
「ディアナは小説とか本は読まないの?」
「それなりには読みますけど、他国の小説にまで手が出ませんね」
「そっか。リズとか、メイドの中にもかなり熱心な読者がいるから、ちょっと聞いてみたらいいよ。すごい熱量で色々教えてくれるよ」
「ここにある本は、聖王国では入手できないんですか?」
「多分、輸入もしてないんじゃないかなあ」
ふと気になって、本の出版社の名前を見るとメルシヴォ社とある。今いるまさにこの書店が、その出版社の直営店だった。
その辺にいた店長みたいな人に聞いてみる。
「あのー、商売の関係で時々デームスールに来るんですけど、ここに並んでいる本はほかの国では売ってないんですか?」
「そうですね、デーム海諸国以外では販売していないですね」
「どうしてですか?」
「まずは、そこの国民が文字がちゃんと読めないと商売にならないでしょ?」
「あ、そうか。でも聖王国あたりならどうでしょう?」
「重要な文献などは別として、こういった一般向けの本って、単価が安いでしょ? わざわざ輸出するとしたら割が合わないんですよ」
「なるほど、なるほど」
ちょっと考える。
「じゃあ、版権、つまり、小説を出版する権利を、契約して他国の業者に与えるってことはできますかね?」
「うーん、これまであまり例はないねえ。正直、人気のあるシリーズがあったら、無断で出版した方が儲かるじゃない? 外国だったらバレないし」
「いやいや、本屋さんがそれを言っちゃダメでしょ」
「あははは。その通りだねえ」
店員さん、くだけ過ぎ。
「でも、契約の可能性はありますか?」
「それは構わないんじゃない? どのくらいの金額を払ってくれるかによるけど」
どうやらこの人が、かなり裁量権を持っている立場らしい。
「そうですね、方式としては契約時にポンと一括で支払うか、売れたら売れただけ何割かを支払う方式にするか、ですかね」
「えーと、あなたが何かを契約したいということ?」
「あー、してもいいと思ってます」
「ははは。まあ、今日いきなりは無理だけど、契約したい本とかシリーズがあったら言っておいてくれる? 著者とも相談して条件を決めることができると思うんだ」
何かトントン拍子に話が進んで、リズとケイのお気に入りのシリーズを3つほど、その担当者、デスコーグ氏に伝えておく。
海が見えるおしゃれっぽいレストランでランチ。
「これは帰ったらチジーに相談かな」
「出版するとしたら印刷所がないとダメですよね」とディアナ。
「そうなんだよなあ。……まあ、マリリンかヒルダさんにでも聞いてみよう」
「ヒルダさんって誰です?」
「デレクが助けた女の人だよ」とリズが余計なことを言う。
「ま、それは置いておいて……。なんで外国の小説をわざわざ出版するのかって聞かれたら答えにくいな」
「いいじゃん。問題は中身でしょ。面白い本は人に勧めたいし、さらにそれが嵩じると出版もしたくなるってことだよ」
「でもほら、例の『ミルゴスの大聖堂』みたいな話があるから、そのままでは出版できないんじゃないかな?」
「あははは」
「ミルゴスの大聖堂って何ですか?」とディアナ。
「その国の人にしか通じない故事とか、ジョークとかがあるってことさ。例えば、ディアナはラカナからこっちに来て、通じなかったことわざとかは無かった?」
「えっとですね、『兄貴の財布』という言い方が分かってもらえなかったですね」
「あ、それは俺も知らないな」
「兄弟そろって食事に出るとするじゃないですか。そうすると、体面上、長兄が支払いをするわけです」
「そうだな」
「で、次男以下はそれを知ってて、いつもより豪勢な品を頼んだり、追加で遠慮なく酒を飲んだりするわけで、どうせ兄貴の財布から出るから遠慮しない、という意味です」
「なるほど。なんとなく分かってきた。善意の相手とか、反対できない立場につけ込んでうまいことするみたいなことか」
「そういう意味と、長兄は頼りになる存在でなければならないみたいな意味があります」
「そっか。つまり、今、当たり前のようにフルーツパフェを食っているリズがそんな状態なわけか」
「あ? ディアナも頼んで食べたら? デレクの財布の心配はしなくていいよ」
「……いいですか?」
「いいよ。名物みたいだから食べてみなよ」
そんな感じで、単に遊んで食べて帰るはずだったが、レイモンド商会出版部門の構想みたいな話を持って帰ることに。
なお、ディアナに聞いたところ、周囲で魔法やスキルを使ったりする気配は感じなかったそうだ。
帰ってきてからチジーに相談。
「出版ですか。まあいいですけど、印刷所とかに渡りをつけるのはお願いしますよ」
チジーは乗り気のような、そうでもないような。
一方、ディアナから話を聞いた姉のジュノはしきりに羨ましがる。
「無理にとは申しませんが、何かのついでがありましたら、今度は私もどこかに行ってみたいのですけど」
「そうだね。チジーがウマルヤードに行ったりするから、その時はジュノに一緒に行ってもらうといいかな?」
「お願いします」
「あ、チジー。忘れてたけど、キザシュとイスナが聖都に来るらしいよ?」
「え? 何でです?」
「ナリアスタ大使館のサポートスタッフに名前があった」
「ウソぉ。イヤーカフで時々話をするけど何にも言ってなかったですよ?」
「ちょっと聞いてみたら?」
チジーがイヤーカフを取り出すので、俺もチャンネルを切り替えてみる。
「キザシュ、聞こえてる?」
「あ、はいはい。何?」
「あなた、聖都に来るってホント?」
「あれ? 何で知ってるのさ」
「っていうか、何で教えてくれないのよ」
「こっそり行って驚かそうと思ったんだけど」
「何言ってんのよ、もお」
俺も参加。
「あー。キザシュ?」
「あれ。デレクさん。そっか、さてはデレクさんか」
「そうそう。大統領からの親書に付いてきた書類に、大使館のスタッフ一覧ってのが載ってて」
「そこからかー。そろそろ年末だけど、早ければ数日中にこちらを発って、新年の早い時期に大統領が聖王国を訪問できるような準備を始める予定なんだ」
チジーがうれしそうに話しかける。
「まあ、とにかく到着したら顔は出しなさいよ」
「もちろん。デレクさんのおごりで豪勢な歓迎会があることを期待してますよ」
あれー? ここでもデレクの財布があてにされている。
夕方、セーラがやって来る。
「あー。お腹へったわ」
スールシティに行った話をする。
「しまった。あたしも連れて行ってもらえばよかった」
「え? 今日は白鳥隊の勤務だったでしょ?」
「今日は雨だったじゃない? 雨の中、王妃殿下のお出ましにお供で出かけてね、いやいや大変な目にあったわけよ」
雨に濡れて体が冷えてしまったセーラはリズに風呂の用意を頼んでいる。
風呂が張れるまで、出版の話をしてみる。
「国外の小説を出版できる契約をしてみようかな、と思いついて、スールシティの書店に一応話だけしてきたんだけど」
「ああ! いいわね。出版物がその国の中だけで完結してたらダメよね。互いに刺激しあったらもっと面白いものができそうじゃない? そういう観点からすると、こっちの本をあっちに持ち込むのもアリじゃないかしら?」
「そっか! それはありうるなあ」
「いい具合に、知り合いに作家さんもいるじゃない」
「本当だな」
「でも、契約した正規の本じゃなくて、海賊版が出回るかもしれないわね」
「そういうのは、国内では誰が取り締まってくれるのかね?」
「法律の整備もまだまだだし、担当する役所も明確には決まってはいないわ。検閲みたいなことは内務省が妙に張り切ってやるんだけどねえ」
ちょっと考える。
「出版事業も、細々と始めたら海賊版を出す業者に美味いところだけ持っていかれてそれっきりかもしれないな。もし大手なら、そういう相手を訴えてとことん戦うことができるかな?」
「つまり何?」
「俺達が何も知らないまま出版の畑に乗り込むよりは、すでに存在している大手に委託するか、あるいは会社を買収するって方法があるんじゃないかって思いついた」
「なるほど。それは現実的ね」
「ただ、思いついただけでどうしたらいいかは分からないな」
「だめじゃん」
でも出版業って、この世界ではほぼ唯一の情報産業ではないだろうか。もしかしたらここから、新しいことを始められそうな予感もする。
セーラは風呂に入って、着替えて出てきた。最近は魔法管理室にちゃんと着替えも用意しているようで、さっぱりしたいい感じ。そして湯上がり特有の何とも言えない色っぽさである。
「あれ? 髪の毛がすっかり乾いているけど」
「何だ、デレクは知らないの? リズがドライヤーというものを用意してくれて脱衣所に置いてあるわよ」
「げ」
そんなことになっているのか。
誰も見ていないのをいいことに後ろから抱きついて耳元で囁くセーラ。
「15日で白鳥隊の勤務が終わりだから、その日の夕方はラヴレースの屋敷で一緒にディナーにしましょうよ」
「いいよ」
「お父様もいるけど、大丈夫よね」
「あー。うん」
ちょっとまだ緊張はする。
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