ユフィフ峠を目指す
朝から行政官のシェーナと顔をつき合わせて、ダガーヴェイルの開発について相談。
シナーク川をさかのぼった街道の整備はぼちぼち始まっているとのことだが、やはり運河の工事などに人手を取られて思うように労働力が集まっていないらしい。
「ゾルトブールから、元奴隷だった人たちを労働力として受け入れようという話も進めているんだけど」
「その場合、住民が増えますから、通常は所領から聖王国に収める負担金が増えます」
「あー。そうか。人口に応じて所領から王宮に負担金を出す必要があるから、移民の生計が成り立たないうちは、所領の収支が逆にマイナスになるのか」
すると、シェーナがニコッと笑う。
「いいえ」
「え?」
「以前、ロックリッジ男爵から、内務大臣と難民に関して取り交わした念書を見せて頂きました」
「あ、うん。そんな話をしたことがあったな」
威張り散らすシュガーツ大臣と折衝してトレヴァーが作った文書がある。俺は王宮にネコで忍び込んでいて、一部始終を聞いていたからよく覚えている。
「あそこに、『難民を受け入れる所領があったとしても、聖王国としては見なかったことにするから勝手にしてよい』と書かれていました」
「つまり?」
「難民を受け入れても、領内の住民としてカウントしなくてもいい、と解釈できます」
「え? そんな都合のいい……」
「いえいえ、それがロックリッジ男爵の恐ろしいというか、凄いところです。内務大臣はナリアスタからの難民を、いくつかの難民を支援する貴族領に押し付けるつもりで、多分深く考えずにこの念書を作ったのだと思いますが、結果として、難民として入ってきた人たちには、しばらくの間税金をかけなくていいことの根拠になります」
「え、でも内務大臣は黙ってないんじゃ……」
「住民としてカウントするなら、聖王国民として認めたことになりますから、困窮していたら所領の貴族と共同で支援する必要があって、その責任者は内務大臣です」
「あ」
そっかあ、気が付かなかったよ。
トレヴァーは、恫喝まがいの態度をとるシュガーツ大臣を前に、こんなところまで計算していたのか。そして、シェーナもそれに気づいていたとは恐れ入る。
「シェーナに指摘してもらわなかったら気づかないところだったよ。ありがとう」
「いえ、ロックリッジ男爵が難民対策の担当だったことが僥倖というべきです」
「じゃあ、やる気のある人なら受け入れて働いてもらうことにしよう」
「了解です」
次に、昨夜のディナーで急に出てきた、ダガーヴェイルを通る新しい街道。
シェーナは少々懐疑的である。
「とにかく、現地の状況を確認したり、ナリアスタ側の実務者にとことん話を聞いてみなければダメだと思いますけど」
「しかし、あっちから話を持ち出したんだから、ある程度以上の見込みはあるんだと思うけど」
「結構な大事業になりますから、見込みで始めてはいけません」
ごもっとも。
「知り合いとかから情報を集めておくよ」
まあ、直接見に行ったりすることになるだろうけど。
「よろしくお願いします」
昼食が済んで、さて、風はあるが天気は悪くなさそうなので、問題の山岳地帯の視察に行ってみるか。
リズはフェオドラからの課題のデッサンに熱心に取り組んでいる。これまでにあちこちの峠やら街道の視察に付き合わせてしまったので、今日は誘うのはやめておこう。
今回は誰か土地勘のありそうな人と一緒に行った方がいいだろう。えーと、エメルがダラムの出身で、ノイシャがウルフピーク、シトリーがイノノイって言ってたな。
もうちょっと山奥の出身はいないのかな?
「ねえ、シトリー。ケシャールからダガーヴェイルに抜ける道があるらしいね?」
「えーと、ユフィフ峠のことでしょうか?」
「名前は知らないけど、あのあたりに近い出身の人はいるかな?」
「そりゃ、ジャスティナでしょ。ユーテラ川の上流のラストダムっていう村の出身ですから。そりゃもう酷い山奥です」
「へえ」
というわけでジャスティナに聞いてみる。最近、大きなお胸だけではなく、赤い瞳がセクシーに思えてきた。
「酷い山奥の出身だとシトリーが言ってたけど」
「ははは。褒め言葉として受け取っておきましょう。ドラゴンの民が山奥に住んでいるのは当たり前ですからね」
「ほう。ケシャールからダガーヴェイルに抜ける道について教えて欲しいんだけど」
「はいはい。あそこの峠を通る道は一応ありますけど、かなり険しくて通行は困難だと聞いています。あたしも途中までしか行ったことはありません」
「その道って、馬くらいなら通れるような道なの?」
「馬でもキツいでしょう。まあ、行けるとしたらロバかな」
「ロバ、か。……実はね、ナリアスタの新しい大統領のラインス氏が、あそこを通る街道を整備したいという親書を聖王国に送ってきたらしいんだ」
「なるほど。整備したら確かに聖王国にすぐ来れますね。あ、そうなると、ラストダムは一躍、聖王国に一番近い村ということになりますね」
その発想はなかった。
「これから行ってみたいんだけど、ジャスティナは大丈夫?」
「あ! 絶対行きます! ちょっと待ってて下さい。着替えてきます。デレク様も厚着をしないと寒いですよ」
「なるほど、そうか」
バタバタと自室に戻るジャスティナ。俺も着替えておくか。
ジャスティナは黒いセーターにグレイのパンツルック、さらにベージュ色のコート。
準備ができて、まずはディプトンへ行ってみる。転移ポッドに入ると、俺の腕をとってやたらとぐいぐいと豊かな胸に押し付けてくる。
「あのー」
「ふふ。やればできますよね」
「あー」
などというスキンシップをする間もなく、ラカナ湖のそばへ。
「うわ! これは……」
ジャスティナはヒメリ湖の様子を見て呆然としている。
「ジャスティナは、ヒメリ湖の底が抜けたのを見るのは初めてかな?」
「そうです」
「さて、川をさかのぼって行くんだよね? どの川?」
「北に見えるあの川がユーテラ川で、あれの上流です。ここからはほぼ真西でしょうか。……まさかここから歩いて?」
「いやいや。馬やロバを使っても3日くらいかかるんじゃない? みんなの指輪に新しい魔法をセットしたでしょ? あれを使うと、ジャスティナが思い描いた場所に転移できるんだ」
「え? 本当ですか」
「前にシトリーと試してみたから大丈夫」
「あ、あのジンジャークッキーはそれか!」
近隣住民も知っている、ディプトンの有名店らしい。
「まずは、シトリーの出身地だというイノノイに行ってみたいんだけど」
「はい」
「
「頭の中で声が。これは不思議。……はい、どうでしょう」
転移ポッドが出現するので、ジャスティナと一緒に入る。
ポッドから出ると、見慣れない風景。何軒かの民家や商店があるものの、周りはほぼ畑と林。近くに川が流れているのが見える。まあ、田舎だな。
「うは。確かにイノノイですね。田舎の匂いがする」
「ここはイノノイのどこ?」
「ここには宿駅があるんですが、その裏手あたりになります」
「ほう。馬でならどこまで行けるのかな?」
「ラストダムまで行けますけど。宿駅はピアフィールドまでしか整備されていないと思います」
というわけで、次はそのピアフィールド。
「ここもさっきとあまり変わらないな」
「いえいえ、イノノイの方がずっと開けてますよ。ここは川の両側にもう山が迫っている感じでしょう?」
「確かにそうかも。圧迫感みたいなのを感じるな」
「ところで、ここらあたりで休憩しないと、後は国境までほぼ何もないですよ」
「え? 何もないって?」
「ごはん屋さんくらいありますけど、この時間じゃ絶対やってません」
小さい喫茶店というか、パン屋兼雑貨屋とでも言えばいいのか、そんな名状しがたい店でくつろぐ。周りを見渡すと本当に山が深い。道沿いには農家と鍛冶屋くらいしか見当たらない。宿駅の制度もちゃんと整っているか怪しくて、宿場と言うよりも、単なる山村。
「宿屋とかあるの?」
「えーと、ごはん屋さんの2階に泊めてもらう、みたいな?」
「民宿ですらないのか」
街道の整備と同時に、そちらもなんとかしないとダメだな。
「デレク様。このスイーツが絶対オススメです」
ジャスティナが、手書きの粗末なメニューにある、見かけないフルーツのスイーツを推してくる。
「なんだいこれ?」
「この地方特産のレッドピアっていう真っ赤な梨を使ったタルトです」
「真っ赤な梨? リンゴじゃなくて?」
試しに食べてみると、確かに味は洋梨に近いがより芳醇で、そして色は中まで赤い。
「へー。こりゃうまいな」
「子供たちへ、お土産に買いましょうか」
「いいね」
タルトを食べながら、ぼんやり考える。
ナルポートという大都市を失って、ナリアスタ国はここケシャールくらいにしか人が住んでいない。はっきり言って山奥の弱小国家だ。交易くらいはしないと生き残っていけないだろう。こんな田舎に街道を通したいというのも分からなくはないが、現実問題としてどうだろう?
「デレク様」と呼ばれて我に返る。ジャスティナがこっちを見つめる。
「え?」
「口の周りにタルトのジュレが付いてますよ」
そう言って俺の下唇のあたりから人差し指ですくい取って、その指をペロリと舐めてしまう。
「あれ?」
「えへへ。恋人みたいでしたね」
少し恥ずかしそうに、しかしキラキラした表情のジャスティナ。
……ちょっと、どぎまぎしますけど。
次はいよいよラストダムへ転移。
「
転移ポッドから出ると、森の中に民家が20戸くらい建っているだけの、本当にこじんまりした村である。
南側に向かって開けた斜面からは広々とした雄大な景色が見える。ただし、大半は鬱蒼とした森。開発どころか人跡未踏の原生林が多いんじゃないだろうか?
「いかにも山奥の村というか集落って感じだけど」
「ここから北にも小さい集落がいくつもありますから、ここら一帯に住んでいる人はそれなりに多いんですよ。……あ、ちょっといいですか?」
「え?」
と言う間もなく、ジャスティナはてててっと走ってどこかへ行ってしまう。
「トイレかな?」
しばらく待っていたら嬉しそうな顔をして戻ってきた。
「ちょっと姉に会ってきました」
「ほう」
「両親はもう亡くなってしまったんですけど、姉夫婦がすぐそこにいまして」
「へえ」
「今日は泊まっていけとか言われましたけど、これからあたしは旦那と2人で過ごす予定だからいいよ、って言って互いに元気なのを確認だけして出てきました」
「旦那って」
「えー。旦那様なのは間違いないじゃないですか」
都合がいいなあ。
「ジャスティナだけ、一晩くらい泊まってもいいよ?」
「いやあ、姉の旦那とは昔ちょっとありましてね、顔を合わせづらいんですよ」
「はあ」
そんな個人情報は聞かなかったことにして、ユフィフ峠に向かって歩いてみる。
「あ、そうそう、この峠道のどこかで温泉が出てるらしいですよ」
「なん、だと?」
「話で聞いただけですし、温かい水たまりがある程度じゃないですかねえ?」
「ううむ、しかしこんな山の中ではサルと一緒に入るのが関の山か」
「いやだなあ、デレク様。サルは温泉になんか入りませんよ」
「そうなの?」
村から出たらもうほとんど林道というより登山道。石はゴロゴロしてるし、勾配がきつい箇所も多い。小一時間も歩いたらへとへとである。そして、次第に風が出て、雲が厚くなってきた。
「続きはまた後日にするか。踏破する必要はないけど、概要を把握するにはダガーヴェイル側にも行ってみないといけないからなあ」
「次に来る時もご一緒させて頂けますか」
「ああ。お願いできる?」
「はい! もちろんです。やったあ!」
ジャスティナはいい笑顔である。そして俺の腕を取ってギュッとお胸に押し当てるのはもうお約束ですかね。
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