同好の士
古文書の件については、ハグランド氏本人に聞いてみるのが一番だ。
桜邸からハグランド氏の屋敷の前へ転移。セーラはハグランド邸は初めてである。
「へー。これは開放的な作りの家ね」
「ごめんください」
しばらく反応がなかったが、数分後にハグランド氏が出てきた。
「ああ。デレクくんじゃないか。久しぶりだね」
「紹介します。こちら、婚約者のセーラ・ラヴレース」
「セーラです」
「おうおう。これはこれは」
「お邪魔ではありませんでしたか?」
「ちょっと暖炉のそばでウトウトしていただけだよ。いや、とにかく来客は大歓迎だ。入り給え」
セーラに頼んでお茶の用意をしてもらって、その間にエドナとアルヴァの近況、ゾルトブールのその後などを報告する。
「ラカナ公国は大使館を攻撃されたため、騒ぎの元凶であるエスファーデン王国に抗議していますが、なかなか交渉は進展していない模様です」
「そうかね、ゾルトブールはそんなことに」
お茶の用意ができて、セーラと一緒にさっきの話。
「実は、デームスール王国のガッタム家という豪商がエスファーデン王国と繋がっているのですが、『ラシエルの使徒』とともにゾルトブール王国の王宮にあったはずの古文書を手に入れようとしているというのです。何かご存知ありませんか?」
「ん? ちょっと待てよ。同じような話を手紙でやりとりした記憶があるな。ちょっと待ちなさい」
そう言うとハグランド氏、部屋の隅にある机の引き出しから手紙の束を出してくる。
しばらく何かを探していたが、やっと見つかったらしい。
「ああ、これこれ。えーと、マミナクという町があるだろう? あそこにやはり古文書の研究をしている学者がおってな。まあ学者というよりは同好の士というやつかな。名前はエルヴィス・ギーレン」
「そういう人とはどこで知り合うんです?」
「ふふ。聖都の、やはり同好の士が個人的に発行している情報誌があってな。2,3ヶ月に1回発行されているんだが、そこに自分の研究成果を投稿すると、掲載してもらえるわけだ。他人の新しい見解を読んだり、意見を戦わせたり。なかなか楽しいものだよ。それで知り合うことが多いなあ」
ハグランド氏、嬉しそうに説明してくれる。
へー。ネット社会では忘れ去られたようなローテクである。そして、個人情報はダダ漏れみたいだ。
「で、そのギーレンさんとはどんなやり取りを?」とセーラ。
「うむ。わしが投稿した『交友録と手記の接点:L氏の行方に関する考察』という小論について色々問い合わせておるな」
「その小論の内容はどんなものなんですか?」
「うむ。どうやら『エインズワースの交友録』の著者は『メレディスの手記』に書かれたL氏ことヒックス伯爵と知り合いだったのではないか、という考察だ」
「え?」
セーラが驚いている。
驚いている内容は分かる。つまり、考察するまでもなく、セーラが暇な時に読んでいるという『エインズワースの交友録』には書かれているからだ。
セーラが何か言いたそうなのを身振りで抑えて、質問する。
「その情報はどこから?」
「これはな、えーと、バートラムに聞いた話でな。バートラムはゾルトブール王宮の書庫に特別に入れもらって、その『エインズワースの交友録』の異本を読ませてもらったというんだ。ただ、異本ではなくて、きっとそれが原本なんだと思うよ」
バートラムが諸国を旅していたのは、あちこちに埋もれている古文書を探し歩いていたからだとエドナは言っていた。とするとゾルトブールの王宮に行っていても不思議ではない。
「古文書には色々な写本や異本があって、内容が少し違ったり、一部分がごっそり抜けていたり、あるいは後世の偽書という可能性もあるのだが、『エインズワースの交友録』は写本自体の数が少ない上に、書かれている人物にとって都合の悪い箇所が削除されていることもあるようでな。わし自身が読んだのは、プリムスフェリー家の書庫にあった写本だが、バートラムが見たという内容はその写本にはなかった。ただ、その欠落した記述箇所に言及した別の古文書が数点あるので、そこからの考察をまとめたわけだ」
「エインズワース氏がヒックス伯爵と知り合いだと、どうなるのですか?」
「エインズワース氏はヒックス伯爵のことを知っていて、その葬儀にも出ているらしい。ヒックス伯爵の墓所がどこかというのは長年の謎なのだが、その『エインズワースの交友録』の記述と、『メレディスの手記』の内容を照らし合わせると推測ができそうなのだよ」
「推測できる、のではなくてできそうなんですか?」
「そうなんだよ。『手記』の方も原本が失われていて、今は写本しかない。デレクくんも読んだだろう? あれには随分長い前書きが付いておったよな」
「筆者であるメレディスの半生が長々と書いてある部分ですね」
「あそこは、本当はもっと長かったらしいのだが、写本を作った時点でバッサリと割愛されているらしい」
「割愛してあの長さですか」
「そうそう。そこにな、ヒックス伯爵の生まれ故郷の情報が記載されているらしい。これも、別の古文書に、原本を読んでいなければ記述できない内容が含まれているから判明したことなのだが」
ちょっと待て。ゾルトブールから回収して来た中には『メレディスの手記』もあったよな。まさかあれが原本?
「しかし、なんで聖都ではなく、ゾルトブールの王宮にそういった貴重な古文書が保管されているんでしょうか?」
「『交友録』は日常のことが淡々と、しかし赤裸々に書かれている。つまりそこに書かれていることがきっと本当にあったことなんだろう。しかし、そういうことを書かれると困る人が聖都にいたんではないかな。聖都の人間関係に関係ないゾルトブールの人が、貴重な文献であることを理解して収蔵しておいてくれたんだと思うよ」
なるほど、それはあるな。
「しかし、『ラシエルの使徒』がその墓所を探しているということは、『聖体』ってのはヒックス伯爵か、または天使のペリの遺体ということ?」
「遺品かも、って言ってたよね。三百年以上前とはいえ、さすがに遺体は見たくないなあ」とセーラ。
これは泉邸に戻って、『手記』のチェックをしないと。
「すいません、慌ただしくて。これで失礼しますが、ゾルトブールで仕入れたワインをお土産に……」
「おや、すまないなあ」
いや、地下室から1本持ってきただけで、その場しのぎです。ごめんなさい。
イヤーカフでゾーイを呼んでみる。
「あら。デレク様」
「今日、マリリンは来てる?」
「先程お帰りになりました」
「よかった。今からそっちに行くから、書庫に誰もいないようにしておいて」
「え? はあ」
書庫に転移。
「さて、問題は『メレディスの手記』だが」
「あ、これね」とセーラが持ってきた。
手記のはじめの部分は、筆者であるメレディス・ルータムの半生が描かれている。
パンと牛乳の配達人だったメレディスが出世する話なのだが、確かに、ハグランドの持っていた版より詳しい。というか、どうでもいいエピソードが多い。
例えば、売れ残ったパンをこっそりくれた優しいパン屋のお姉さんの話。メレディス的には忘れ得ぬ青春の思い出なんだろうけど、本文とは全然関係ない。これは確かに割愛されても仕方ない。
同じような調子で、メレディスが苦学生だった頃に親切にしてくれた老人のエピソードが出てくるが、これもこの版で初めて見る。
その内容はこうだ。苦学生だった頃、ペンとインクを買いに行ったところ所持金では足りずに途方に暮れていると、見知らぬ老人が話しかけてくる。
「どうやら学生のようだな。どれ、わしと議論を戦わせて見ぬか? わしを感心させることができたらペンとインクの代金は出してやろうではないか」
「そんな、見も知らぬあなたに……」
「ははは。議論に勝つ自信がないのか。そんなことなら勉学など諦めることだな」
「そうまでおっしゃるなら」
すると老人は次のような話をする。
「わしの郷里にイサニー川という橋のない川がある。住人は川に橋が欲しいと思い、領主にかけあうが、領民の全員がその橋を利用するわけではない。領主も、他の領民も納得するような、橋をかけた方がいい理由を考えて示してみよ」
メレディスは考えた末、いわゆる経済効果について自分の考えを述べる。つまりお金を回すことによって直接、間接的にその地域の経済活動が活発化するというメリットを述べたのだ。すると、老人は満足げにうなずいてこう言う。
「うむ、良い答えだ。実際にイサニー川に石造りの橋をかけた結果、川向うの地域だけではなく、橋を利用しない地域も教会に塔を建てるほどに発展した。目先の利益だけにとらわれてはいかんという良い例だ」
これだ。
若い頃によくしてくれた老人とは、まさにL氏のことで、そのL氏の郷里に関するヒントがここにある。イサニー川に石造りの橋。そして付近には塔のある教会。
次に、『エインズワースの交友録』。ゾルトブール版にはこのような記述がある。
「6月4日。ヒックス伯爵が亡くなったという報あり。尊敬して止まぬ先達の死に少なからぬ衝撃を受け、気がつけば口を開け、ただただ涙を流す自分を見出す」
「6月7日。ヒックス伯爵の葬儀に参列。ナイアールの町で営まれた葬儀には十数人ほどしか参列がなく、氏の偉大な業績が消し去られるかのようで溢れる涙を止めることができなかった。氏の遺骨は生家を見下ろす南向きの丘に小さな穴を掘って埋葬された。上に乗せられた丸い墓石は陽の光を受けて、あたかも氏の生前の佇まいのようであった」
これは、以前おれがチラチラっと読んだ、デッスール卿とウサギ狩りに出かける話の直後に書かれている。つまり、プリムスフェリー版にはこの記述はない。
「だいたい分かったが……」
「何か問題?」とセーラ。
「ほら、このナイアールの町ってのは、魔王軍との戦いで消滅した町だろ?」
「あ。そうか」
「ただ、生家を見下ろす丘というのがナイアールの町でない可能性もある」
「でも、埋葬されたのは遺骨らしいわよ」
「本当だな。じゃあ、遺体じゃなくて遺品?」
「そしてペリのことは全く記述がない」
「ヒックス伯爵よりも先に亡くなっているみたいだから、ペリの墓も不明か」
しかしながら、この『エインズワースの交友録』こそがガッタム家が探している「例の文書」らしい。『メレディスの手記』もどうやら原本だ。万一を考えてどちらも魔法管理室で保管することにした。
「誕生日のプレゼントだったけど、申し訳ない。読みたい時にはいつでも言ってよ」
「いいわよ、あたしが狂信者とかに襲われるのは勘弁してほしいし」
馬車に戻る時に、新しい転移魔法を試してみる。あらかじめ、エメルに新しい指輪を渡してある。
「
すると、停車中の馬車のエメルのそばに転移ポッドが出現。
「お。うまくいった」
「あら。これは新しい魔法なの?」
「指輪をしていてもらったら、どこにいても俺がいつでも駆けつけることができるよ」
「へー。じゃあ、例えば悪漢に誘拐されても大丈夫か」
「それはいいね」と、実際に誘拐されたことがあるリズが言う。
するとエメルが期待に満ちた表情で言う。
「あたしが指輪をしたまま寝ちゃったら、ベッドに駆けつけてくれるんですね?」
「いや、そんな品性のないことはしない」
セーラが冷静に突っ込む。
「指輪をした相手のプライバシーってやつはどこに?」
「ううむ」
「もうちょっと相手への配慮が必要ね」
企画書を突っ返されたみたいになってる。改良が必要かぁ。
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