目線を高く、上へ

 メディアは昨日のことを思い出す。


 まずはコレットにおずおずと尋ねてみた。

「国王がガッタム家の言うがままだったというのは本当でしょうか?」

「どうしたの、メディア。誰かに何か言われた?」

「ええ。まあ」


 するとコレット、部屋にいた数人のメイドに手で合図をして部屋から出す。人払いである。

「人払いをするほどの秘密ではないのだけれど、一応ね。王家がガッタム家の言いなりというのは本当よ。ガッタム家の言うことを聞いていれば、身分の保証はあるし、潤沢な資金も提供されるし、楽して好きなことをして暮らしていられるわね」

「ガッタム家にはどんな得が?」

「そりゃ、国内で違法なことをしても咎められないわけだから、王家のために使う金額の数倍、数十倍の利益が得られるんじゃないかしら」


 初めて聞く衝撃的な内容に戸惑うメディア。


「今まで、私は王国と国民の正義のために戦ってきたと思っていました。間違いだったのでしょうか?」

「いえ。王国のためにあなたが身をにして働いていたのは誰もが知っていることよ。そこにはちゃんと正義があったはず。ただ、世の中は全部が全部、善意とか正義でできているわけじゃないのよね、どうやら」

「どういうことでしょうか」


「例えば今回、ゾルトブールの内乱に干渉したのは、マミナク地方を取り戻すという大義が一応あって、王国としてはそれを正義の行いとして遂行しようとしたわけじゃない?」

「そうですね」

「その正義の目的のために国王の命令で動いたあなたは、何ら恥じることはないと思うわ。国民の中にも、あなたを悪く言う人はいないはずよ」

「有難うございます」


「でも、あたしが聞く話では、やはりその裏ではガッタム家が何かを画策していたらしいのね。詳細までは知らないけど、結論から言えば、ゾルトブールの内乱が長期にわたる大規模なものになって大量の死傷者を出すに至ったのはすべてガッタム家の計画通りということになるわ。最終的には失敗したみたいだけどね」

「では、私は結果的にではあっても、それに手を貸してしまったということでは?」

「命令で動いていただけよ。気にすることはないわ」


 だが、「例の男」に糾弾された内容がメディアの心にズキズキと刺さる。


「途中から、何かおかしいとは感じていたのです。あのときに声を上げていれば……」

「声を上げていたら何か変わったかしら?」

「それは……」


 少し考え込んでしまうメディア。


「でも、今のままではいけないように思います」

「そうね。でも、どうしたらいいのか、私にも分からないわ」


 しばらく沈黙が続く。

 緊張を和らげるようにコレットが言う。


「そうだわ。メイドたちには秘密にしているんだけど……」

 そういって立ち上がると、部屋の隅の物入れで何かを探している。持ってきたものは果物の瓶詰めである。


「これはね、ゾルトブールで採れるハスタリンという果物のハチミツ漬けなのよ。これがもうね、絶品。誰も見ていないから、二人で食べましょう」

「え。いいんですか」

「いいのよ、いいのよ。あなたが帰還したお祝いよ」


 ハスタリンのハチミツ漬けを食べながら、コレットが教えてくれた。

「王国がガッタム家のいいなりになったそもそもの原因について知りたいなら、書庫の管理をしている白髪のおじさんに聞くといいわ。名前はちょっと忘れちゃったけど、みんなから『長老』って言われているわ」

「『長老』ですか……」



 メディアは教えられた通り、王宮内の書庫へ出向く。『長老』と皆から呼ばれている男性は奥の閲覧室にいた。

「失礼だが、『長老』殿かな?」


 男性はメディアを見ると意外そうな顔で対応する。

「いや、長老などと呼ばれる歳でもないのだが……。大魔法士のメディア・ギラプール殿がこんな所にどんなご用件かな?」

 確かに老人という歳ではなさそうだが、白髪にすこし広いツヤツヤした額、そして哲学者を思わせるような強い眼力の容貌が、なんとなく『長老』っぽい。


「実はコレット様に紹介して頂いたのですが、王国はどうしてガッタム家の言いなりになどなっているのかと……」

「ふむ、なるほど。外では話すことも憚られるようなことだが、ここなら大丈夫だろう。まあ掛けなさい」


 机に向かい合って座ると、長老が話を切り出す。

「まずメディア殿は、エスファーデンとゾルトブールを比べて、どちらが優れているとお考えかな?」

 メディアは即答する。

「それはもちろんエスファーデンでしょう。ずいぶん昔に奴隷制度を撤廃したエスファーデンの方が、ゾルトブールなどよりも知的にも文化的にも優れた国であるのは間違いがないと思うのですが」


 すると長老、少し困ったような表情でこんなことを言う。

「まさにそこなのだよ」

「はい?」


「では、奴隷とそうでないものの違いはどこにあろうか?」

 メディアは少し言葉を選びながら答える。

「……奴隷は誰かの所有物ですから、命令されるままであって、責任というものはありません。ということは、自らの責任で行動できるかどうか、でしょうか?」

「ふむ、良い答えだ。だが、自らが責任を負うということは、その行動の目的や手段、影響などを、これまた自分で考えなければならない。その、自分で考える力は自分で身につけられるものかな?」


 少し考える。

「分かりません」

「では、人間は話の仕方や文字の書き方を、自分ひとりで身につけられるかな?」


「……教育ですか」

「その通り。奴隷は自分の一歩先の足元しか見ておらん。自分の立つ場所を知り、目線を高く上に向けることができなければ奴隷と同じなのだ。そして目線の先に立ち現れる未知なるものを見極め、自らの行動の是非、善悪を判断するためには、自らが見たものだけでは足りぬ」


「それが教育で得られるものですか」

「そうだ。この国は奴隷の身分こそ撤廃したが、国民に教育という水と栄養を与えることをしなかった。出来上がったのは、他人よりも大きな声を出すのが才能と信じ、足を引っ張り合うことを努力だと、暴力で相手を排除するのが強さだと考えるような連中よ」


「しかし、エスファーデンの国民はゾルトブールの奴隷よりも自由で、自ら考えて生きているものと私は思うのですが」

「見た目はな。だが、ゾルトブールの奴隷でさえ、簡単な読み書きや計算はできる。エスファーデンの国民はどうだろうか。簡単な読み書きができれば、自分の考えを皆に知らせたり、遠く離れた誰かの考えを知ることができる。明日の予定を書き記したり、過去からの教訓を学んだりできる。農作物の上手な育て方、家畜の病気の防ぎ方、美味しい料理の作り方を広めることもできる。これができないのは、例えば暗がりの中で手探りで生活するのにも似ている」


 メディアはゾルトブールの美味い料理のことを思い出す。あれに比べてエスファーデンの料理や菓子ときたら。ああ。そういうことか。


 長老はさらに言葉を続ける。

「自らを教育するシステムを備え、学ぶことを美徳とする国民、現状を見極め、常に視線を高く保つ国民こそが理想だと思うのだが、どうか」

「……私には判断できません」

「それは残念だな。だが、足元しか見ない国民性につけ込んで支配層を意のままにし、国民を食い物にする勢力が現れた。それが現状だ」

「それがガッタム家だと?」

「……多くは語らんが、結局は自らがまいた種でもある。そして、一部の特権的な人々に抑圧されて生きることに甘んじているのでは家畜と大差ないとは思わぬかな?」

「家畜、ですか」

「そうだ。制度としての奴隷がなくても、国民の視線が前を向いていないのでは発展など望めようか。奴隷でさえ反乱を起こすことがあるのに、反乱すら起こさぬように生かされているだけの国民は家畜としか呼べないではないか」


「申し訳ありません。私にはあなたの言葉の半分くらいしか分かりませんが、それでも胸が痛いです。この国には何か大切なものがないと思います」

「そうか。せめてその感じを胸に抱いて先に進んではくれないかね。国の将来とは子供たちの将来だが、それを決めるのは現在の大人の役割だ」



 長老の話を聞いて薄暗い書庫から出たメディアは、外の眩しい光に少しばかり立ち尽くしてしまう。


 エスファーデンはゾルトブールより優れていると思い込まされていた。だが、ゾルトブールでの体験から、長老の話が真実なのだと認めざるを得ない。自分が今までエスファーデンに対して抱いていた思いは、まるで子供に言い聞かせる作り話のような陳腐なものだったことに気付かされてしまった。


 コレットは王国の暗部に気づきながらも、改革する手段が見つからないまま日々を過ごしている。これまでは気の良い側室だとしか思っていなかった自分が恥ずかしい。


 ふと、亡くした我が子のことを思い出す。

 あの子が生きていたら、どんな教育をしてあげられただろうか。この国はあの子が誇れるような国になれるのだろうか。


 まずは、王の死の真相を確かめる必要がある。ゾルトブールの内乱に介入することを決定したのは誰なのか。そしてニーファはどこへ行ったのだろうか。


 メディアは王宮の暗い廊下を歩きながら、特務部隊のメンバーに日頃言い聞かせていた言葉を自分に向けて投げかける。


 あたしができることを、やろう。


 そして、……目線を高く、上へ!

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