第二王妃コレット

 メディア・ギラプールは混乱していた。


 王宮のそばで衛兵ともめていた男女を見つけ、警固兵を伴って駆けつけてみたところ、その場にいた若い男にいきなりゾルトブールでの自身の行動を非難された。さらにその男は亡くなった国王はガッタム家の操り人形だと言い放ったのである。

 その男女は王宮の警固兵に斬りかかられても臆する様子もなく素手で対応し、まばゆい光を放ったと思ったらその場からかき消すようにいなくなってしまった。警固兵の持っていた棍棒を女が素手で真っ二つにしたのにも驚いた。


「何なのだ! あいつらは?」


 あの男は、メディアがゾルトブールで特務部隊として活動していたことだけではなく、ラカナ公国の大使館を襲撃したことまでを把握していた。しかも、大使館の人間に生存者がいると言う。

「そんなばかな。大使館の建物は完全に潰れていた。生存者がいるだと?」


 このちょっとした事件は、公にすると少しばかりまずい。自他ともに認める王国の正義の体現者であるはずのメディアが反論もできずに非難されたこと、かなり強大な力を持っているらしい正体不明の魔法士が王都に現れたこと。王が亡くなって不穏な情勢の今、この2つの事柄が事実として国内に広まるのは民衆の不安を煽るだけだろう。

 とっさにそう判断したメディアはその現場にいた衛兵たちに、口外無用と言いつけて戻ってきたのだ。ただ、噂というものは止めるすべもない。遠巻きに見守っていた人間が他にも何人もいる。

 しかし、王宮側に「事件」として正式に報告するのもためらわれる。ちょっとしたことでも政治的な駆け引きや謀略の材料になりかねない。そんなことに巻き込まれるくらいなら、白日夢でも見ていたことにしてとぼけておいた方がきっとマシだ。


「こんな時期に、何とも忌々しい」


 メディアは王宮の建物をつなぐ回廊をずんずんと歩いて自らの居室に戻る。ドアを乱暴に閉め、簡単な木のベッドにゴロリと横になる。ゾルトブールで太ももに受けた傷がまだ少し痛い。


 しかし、あの男女は何をしに来たのだろう?

 こちらから名乗ったわけでもないのに、自分をメディアであると見抜いたのも不思議だ。


 男女は軽装で武装もしておらず、旅人のようにしか見えなかった。エスファーデンの王宮に何か抗議をしに来るつもりなら、あんな所で衛兵ともめごとを起こすのは馬鹿げている。

 メディアに会いに来たわけでもないだろう。メディアがあの現場に居合わせることになったのは、単なる偶然だ。傷が治ってきたので、久しぶりに勤務に出てみたのだが、それは今朝思い立って決めたことだ。


「観光にでも来たのか?」

 そう考えたこと自体が、何か可笑しくて、ひとりでクスッと笑ってしまう。戒厳令の王都に観光? まさかそんな。


 その時、ドアをノックする音がして、女性の声がする。

「メディア様。コレット様がお茶でもいかがですか、と仰っておられます」

「あ、いいな。行く行く」


 コレットは王の側室の一人だが、有力な貴族の娘であり、事実上の第二王妃である。平民出身のメディアとも親しく話をしてくれる、王宮の中のオアシスのような存在である。


 迎えにきたメイドの後をついて、コレットのいる離れに向かう。


 コレットはウェーブのかかった薄い緑の髪を長く伸ばし、花柄の白いゆったりした部屋着を着ている。小柄な体に、相変わらず可愛らしい笑顔でメディアを迎えてくれる。


「コレット様、お久しゅう」

「あらあら。眼帯なんかして、大丈夫なの?」

「えっと、こっちの傷は大したことはないんです。それより、太ももに受けた矢の傷がまだ少し痛みますね」

「でももう勤務に出てるということは、何日かしたら元通りということかしら」

「そのつもりですけど、もうゾルトブールには遠征したくないですね」


 メディアの首のペンダントに気づき、コレットが言う。

「あら。相変わらずそのペンダントをしているのね」

「ええ。陛下から頂いた唯一のお品物です。今や形見となってしまいましたが」

「まだ実感はないんだけど、いろいろやらかした末に亡くなったわねえ。一種、せいせいした気分よ」

「そんなものですか」

「そうよ。別にあの人が好きでこの場所にいるわけじゃないもの。あなたはどうなの?」

「人が好きとかいうのは正直よく分からないんですが、陛下に尽くすのは私にとっては栄誉なことですので」

「ふーん。……あたしは今更もう無理だけど、あなたは好きな人を見つけて結婚した方がいいわ」

「え。そんなこと、考えたこともありません」

「いいえ。考えておくべきよ」


 テーブルに座るとメイドがお茶を出してくれる。


「あなたが強いのは分かっているけれど、相手は精鋭の騎士団でしょう? 毎日心配していましたのよ?」

「それはもったいないことです。しかし、精鋭の相手よりは、雑兵どもがやたらと射掛けてくる矢が難敵でしたね」

「あら。魔法士が弓矢の攻撃に弱いというのは本当ですの?」

「ある程度は防げますが、不意を突かれたり、雨あられと矢を射掛けられるとさすがにすべてを防ぎ切るのは難しいですね」


「ねえ、ゾルトブールってどんな所だった?」

 コレットは貴族の娘ということもあり、生まれてこの方、国外には出たことがないのだ。外国の珍しい話も聞きたいのだろう。

「ゾルトブールはですねえ、何と言っても食事が美味しいんですよ」

「あら。それは羨ましいこと」

「バローナク山脈を越えてゾルトブールに入ると、まずラシブ川のほとりにマキシバリーという小都市があります。比較的大きな宿場町ですが、ここの食事が美味いことにまずびっくり」

「そこが料理で有名ということ?」

「いえいえ、それはまだ序の口。町の規模が大きくなるにつれて、料理の種類も味も、段違いです。戦乱で荒れてはいましたが、王都のウマルヤードの料理は絶品でした」


「えー。いいわねえ……。ねえ、お菓子とかはどうかしら?」

「えっと、我々は王都に向かう前の数日間、ラシブ川の少し下流にあるシェブラ湖の近くに滞在したのですが、ここは見たこともない菓子類が沢山作られていましてね、その甘くて美味しいことと言ったら」

「それはイトキスという町かしら。田舎の町のはずよね?」

「そうです。その湖から海までの川沿いにずっと穀物やら果樹やらの畑が広がっています。そこで収穫される小麦や果実を使っているんですね」

「でも、果実や小麦ならここ王都の周辺でも十分な収穫があるはずでしょ? 何か秘密があるのかしら? 作物の種類が違うとか?」

 コレットは納得が行かない様子だ。


「それは私も不思議なんですが、ゾルトブールに行って気付いたことのひとつに、商人から農民から、どの職業の人も生き生きとしていて、自分の職業に誇りを持っているらしいということがあります」

「え? 農民が自分の職業に誇りを持っている、のですか?」

 怪訝な表情のコレット。

「ええ。私も最初に耳にした時は何を言っているのか分からなかったのですが、どうやら本当で、一生懸命に育てた作物を美味しく食べてもらうのが農民の喜びであり、誇りだと言うのです」


 コレット、少し考えている。

「ちょっと意味が分からないわね。畑に植えた麦や木になっている果実を収穫するのが仕事なのでしょう? それを一生懸命にやっても、適当にやっても、収穫される麦や果実に違いがあるとは思えないわね」

「私も今ひとつ納得はできていないのですが、愛情を込めて作った作物の方が絶対に美味しいというのです。実際、食事は美味しいので信じざるを得ないというか……」

「へえ……。お菓子についてはどうなのかしら?」


「これも、多くある菓子店が競い合って、より美味しいものを提供できるように努力をしているそうです」

「確かに、外国土産でもらうお菓子は、国内で売られているものとは段違いよね? どうしてなのかしら」

「エスファーデン国内では、新しい店が美味しい菓子や食事を提供しはじめると、昔からの店が妨害に乗り出すのが普通だそうですが、ゾルトブールではむしろ、新しい店に負けないように老舗も一層努力をするのだそうです」

「はー。なるほどね。うーん。考えてみるとそちらの方が健全よね」

「健全、とは?」


「そうねえ、努力の方向が間違っていないということかしら。例えば、騎士団にすごく強い新人が入ったとするじゃない。正しいのは、その新人に負けないように古参の団員も努力することであって、新人の足を引っ張ることじゃないわ」

「それはそうですね」

「うーん、ウチの王国の国民性みたいなことなのかしら。何かしら、努力の方向が間違っている気がするのよねえ」

「どうしてそうなったんでしょうか。昔はひとつの王国だったと聞きましたが」


 すると、手にしていたカップをテーブルに置いて、コレットがこんなことを言う。

「あのね、あたし、ずっと考えていたことがあるんだけど」

「何でしょう?」

「エスファーデンは王宮にも、教団、つまり『ラシエルの使徒』にも、『予知』のスキル持ちエクストリが何人もいて、将来のことを言い当ててくれるじゃないの」

「そうですね」

「その予知で将来のことがだいたい分かっちゃうから、予知が良ければそれ以上努力はしないし、予知が悪かったら、どうせ悪いんだからあがいても無駄。何もしないでやり過ごそう、とか考えるでしょ?」

「そういう傾向はありますね。でも、予知を直接耳にできるのは王宮の一部の人たちくらいで、一般の国民にはそういう機会はほとんどありません」

「いえいえ、それでも、よ。王宮や教団が予知に頼っているという話を聞けば、未来というのは決まっているもので、努力しても変えられないんだと思うじゃない」

「なるほど。だから最初から努力しようとしないということですか」

「ええ。あたしはそんな風に考えるんだけど、どう思う?」


 メディアもカップをテーブルに置いて、少し考える。

「そうですね……。確かに予知はよく的中しますから、未来はある程度決まっているように感じますが……。でも例えば、剣術の達人になると予知された少年がいたとしても、油断して稽古をサボっていたら達人になどなれません。逆のことも多分あって、努力すれば報われることもあるはずだと考えるべきなのではないかと」


 するとコレット、身を乗り出して言う。

「そうそう。きっとそうよ。予知はあくまでも『そういう可能性が高い』ってことだと思うのよ」


 メディア、ちょっと思い出したことがあって、小声で言う。

「実は今回の作戦のことで……」

「何かしら」

「もう終わった作戦なので話してもいいと思うのですが、実は、今回の件も『予知』の力を借りて進めていました。通常なら失敗することなどないはずなのですが」

「でも、失敗だったのよね? まあ、秘密裏の作戦だったようだし、国民は知らされてはいないはずだけど」

「そうなのです。ですから、『予知』を前提として努力しない生き方も間違っているのかもしれません」

「うんうん、そうね。でもどうやったら国民の考え方を変えられるのかしら?」

「長年にわたる考え方なので、変えるのは難しいのでは?」

「そうねえ……」


 会話の間中、メディアは「例の男」に言われたことが気になっていた。

 そうだ、コレットなら相談に乗ってくれるかもしれない。

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